うそう、むそう

#73

第1話:寄り道



有時ゆうじさん、俺と寄り道しませんか?」


トレーニングメニューを終えたリキが、体育館に残ってシューティングをしている俺に声をかけた。

「寄り道?今日?」

「いや、盆の帰省ついでに寄り道。ん?道草?」

リリースしたボールの放物線を追う。

シュパっと音を立ててネットが揺れ、ボールはワンバンでリキの手に収まり俺に返された。


今シーズンから移籍してきたリキは、高校バスケ部の弟のチームメイトだった。

初対面が実家だったのもあり、帰省するとやたらいる「弟の友達」の感覚がまだ抜けない。


「寄り道が正しいな」

手を止めてビブスの裾で顔の汗を拭う。

「新幹線とかは俺がアレしますんで!」

「こんな寄り道の誘われ方初めてだ」

「お初っすか?すいません、恐縮です!」

「前から気になっていたけど、リキは直ぐ謝るな?」

「すいません!有時さんに憧れ過ぎて枕詞まくらことばになってます」

アシストしていたコーチが「もう兄弟みたいに見えるけどね」と言うと、リキはハハっと口だけで笑った。


リキは全て知っている。


「バスケ選手になって兄ちゃんとビックリマンシールになる!」

と豪語して俺の背を追っていた弟は、一言の相談も無く突然に進路を変えた。

恥ずかしながら、どこで道を違えたか俺は分からない。


弟の充時みつじとリキは、高校でU-18日本代表に選出され、大学ではインカレで優勝に2回も導くバスケ好きなら誰でも知っているコンビ。

誰もがプロ入りを疑わなかった。


だが、鳴物入りでプロになったのはリキだけで、弟は一般企業に就職を決めてコートを去り、それを境に俺を避けた。


何か理由があるはずだが、無理に追うのははばかられ。

自然に話せる様にと、盆と正月の帰省は墓参り以外の予定を入れないで機会を伺っていた。


でも、いつも弟はいない。


「行こうかな、寄り道」

「決まりっすね!」


連休前に帰省する予定をずらし、先に「寄り道」を決行する事になった。


最後の練習を終え、早めの帰省で混み合うホームで新幹線を待つ間に母に電話し「迎火に間に合うよう、13日に帰る」と伝えた。

「今年は充時、帰るの?」

「盆明けに墓参りだけ来るみたいね」

「そう、か」

俺が肩を落とすと、隣にいたリキがスマホを突然奪う。

「ママ〜さん、ご無沙汰してます!」

「あら!もしかしてリキちゃん!」

漏れ聞こえる嬉しそうな母の声に俺が笑うのを見て、リキは目元のシワを深くする。

「13日俺も行っていい?パパさんいる?ママさんの唐揚げ食いたいな!」

通話を終えると新幹線がちょうど到着した。

車内は家族連れが多く、窓側の座席をとり合って怒られる幼い兄弟をぼんやり見ながら、ふと不安に駆られる。


家族に優しいのは嬉しいが、リキの距離は近すぎやしないだろうか?

本当はリキが充時を切り離して、弟に成り替わろうとしているのでは・・・


「有時さん!すいません、現金って持ってます?」

ポンポンっと太腿を叩かれ我に帰る。

「少しならある」

「明日が、500円と100円欲しいって」

「明日が?何の連絡だよ?」

「充時があし・・・あ、や、」

突然の弟の名前に俺は慌てて言葉を拾い集める。

「明日の寄り道に現金が必要でそこに充時も関わっているのか?」

思わずキツくなった口調にリキはしゅん、と眉根を下げた。

「すいません」

「いやこっちもすまない、大きな声で」

「へへ、フォーメーションミスでドッキリ失敗しました」

「リキの単独ミスだし、これはサプライズだろう。ある意味でドッキリは成功だけど」


そんな器用な男じゃないな。


⭐︎


ホテルで一泊し、早朝の満員の電車に揺られ、晩夏ばんかの蝉にけたたましく鳴かれながら一駅歩く。

トライアスロンみたいに辿り着いた場所は芋洗い状態の大型イベント会場だった。

一駅歩いたのも混雑を避けるためかと納得していると、人混みの中で頭一つ出た男がこちらに手を振った。


充時だ。


人を掻き分け近ずくリキの後ろから、俺はもう逃げられないように慎重に近づいた。

「充時、おはよう」

「お、お@%$」

弟の緊張感で肌がビリビリする、もう少しそっとしておこう。


見覚えのある大きな建物の前で列に並びながら、まだ自体が把握出来ず視線を泳がす俺の肩をリキが叩く。

「コミケ、って知ってます?」

「ニュースで見た事がある」

「ここがそれですよ」

「!初めて来た」

俺達のやりとりを聞いて慌てて弟が会話に混ざる。

「だ、だよね〜!最近はハリウッドスターも来るし、カメラ入る事あるから気をつけて」

キャップを深く被り直し、あらためて周りを見渡す俺に弟は顔を寄せて声を絞った。

「ど、同人誌って知ってる?」

「自費出版した書物だろう?」

「そ、そう!それの即売会!特にここは選ばれし人が集う・・・例えるとオールスターゲームだよ!」

「おぉ、なるほど!コンテストもあるのか?」

「それは無いけど、コスプレのスペースはある意味でコンテストかな」

後ろのリキも「へぇ」と関心している。


自分もよく分かっていない所に寄り道をサプライズする大胆さに2つの意味で感心した。


弟が受付を済ませ、関係者パスを受け取り首から下げる。

「兄貴達はボランティアの売り子って事になってる。チームにバレるとマズいから、顔は隠して」

「分かった」

「俺はやばいと思ったら変顔でのりきるから大丈夫!」

と、リキは顎をグッと前に出してふざけるが、それで済むなら警察は要らない。

弟は自分のキャップをリキに被せ、俺は予備のマスクを探す。

「いつも気遣いありがとう。だが、軽はずみな事をすると通報され退団になる。リキには自分の沽券こけんとチームのゴール下をこれからも守ってほしい」

「すいませんした」

しゅんと顔を下げたところにすかさずマスクをつけた。



「やっぱ紙媒体は必須ですよね!サークルカットと一緒にチェックした日から新刊も全裸待機してました!」


皆さんのアドレナリンが、凄い。


会場内は、手作りの本の蚤の市と言ったところだろうか。

しかも作者が手売りして交流出来るので、ファンは気持ちをその場で伝えられ、何というか熱量が凄い。

俺達が任された役割は「会計」ひたすらに計算し、礼を言う事だけに専念し、リキが在庫を確認する。

本の値段は端数の無い綺麗な数字で、計算しやすいが偏った釣り銭が必要になり、500円と100円の減りが早く前日の言葉を理解した。


「終わりかけに客で来てほしかった」

緊張が解れたのか、弟が接客の合間に愚痴をこぼす。

「男3人でこのキャパ無理」

そうだな。

俺は190㎝、2人は2m超え、会議用テーブル一台分の陣地に俺達は狭すぎる。

しかも隣人問題を起こすと厄介らしく、少しでもはみ出ると「兄貴ライン割ってる」と審判より鋭い注意が飛ぶ。


インカレ優勝に導いたキャプテンを務めただけある、さすがだ弟よ。


「朝イチで売り子に店番頼んで新刊並びたかったのに」

ぶつぶつ言いながらも対応は怠らないし

「行けよ?俺達見てるし」

「それが無理。兄貴、ライン割ってる」

チェックも怠らず、スッと足を引いた俺に項垂れ

「でもさ、学祭みたいで懐かしいな!」

呑気なリキの笑顔に弟は溜息すら諦めた。


諦めること、それも、大切。


怒涛の午前中を終え、昼過ぎには一部を除いて客がまばらになった隙に、リキが遅い昼飯の調達に出てくれた。

2人でパイプ椅子に腰をかけ、会話の機会がうまれたが。


「・・・」

もう5分、真っ直ぐ前だけ見ている。


会話の糸口を探し、俺は目の前に並んでいる本を手に取った。

「これが充時の作品か?」

ノートくらいの薄さの本は、ツルッとした光沢のある表紙のものと、少し簡素で冊子みたいなものがあり、見る限りどこも似た様な品揃えだ。

ページをめくろうとすると「中はだめ!」とすごい速さでスティールされ、紙で指先が切れた。

なんでもない小さな傷だが、弟は慌てて俺の指の付け根を掴んで片手で鞄の中を探る。

「ごめん、怒ってる?」

「まさか。大した傷じゃない」

「それもだけど、その。俺が、何にも言わなかった事」

「・・・」

騒ついた黄色い声が響く会場内で、やはり俺達だけが静かだった。


「話す準備は出来たか?」


弟はギシッと椅子を軋ませて膝を閉じて座り直す。

話を聞く際、必ず相手の目を見るが、今はそうしない方が良いと判断して赤い線がスッと入った指先を見た。

血が出てないのを確認した弟は鞄から筆箱をだし、ペンライトみたいなイラストが入った水色のマスキングテープを見つけて、絆創膏代わりに応急処置で指に巻いていく。


「大学の先輩が、教員採用試験に落ちたんだ」


チラッと顔を見たので、相槌する。

「子供の頃から教師になりたかったって聞いてて、なんて声かけようかすごい悩んだ」

「非常勤で働きながら、また受ける選択もあるよな?」

「それ、俺も全く同じ事考えてた」

フッと鼻息が指先に当たった。

「だけど先輩「この仕事もやりたかったんだ」って、コンサルタント会社の営業職に就いたんだ、むしろラッキーくらいのノリで」


処置が済んでも握ったままの手が、ずっと冷たい。

前を少し通り過ぎ、俺達を二度見して立ち止まった女性の2人組が「このシチュ尊い」と座り込んだ意味も分からない。


「小学校の時さ、抜け道見つけたの覚えてる?通学路から外れた路地」

「え?あぁ」

って俺、びっくりしてさ。先輩の行動は、あの時の気持ちに似てた」

弟からふうっと長いため息が出た。

「バスケばっかで、それでもいいと思っていたのにな」

俺もつられて、ふうっと吐いた。


「就活組は色んな会社を回ってて選択肢がある。でも俺は兄貴の背中をずっと追いかけてて他を見てなかった。

気づいたらバスケ以外の道を探したくなってて、もう無理だった」


自嘲気味に笑う弟のまつ毛が震えて、止まったままの唇が俺の返事を待っている。


バカだな、でも成る程な。

言い難いよな?でもまずは、


「ありがとう。チームやあちこち色々言われたろう?」

そう言うと弟の手に体温が戻った。

「そんなの引退してからでも良いだろ!って松永監督怖かった」

緩んだ頬を見て見て安心した。


隣に座ってくれただけで、俺はもうどうでも良かったのかもしれない。


「勇気のいる選択だったよな。でも、一言ほしかった。

だって、寂しいじゃないか」

「ごめん。兄貴もかなり周りに言われたよな」

「なんてない、済んだ事だ」

弟の顔にみるみる懐かしい幼さが戻っていく。

「本当、困るんだよなぁ兄貴は!思いっ切り喧嘩出来たら意地が張れるのに、なんでも受け入れるからつい見栄を張っちゃう。大変だった、ここまで来るの」

「うん、よく頑張った」

「・・・兄貴、俺達さ」

弟はスッと手を離し、椅子を倒さん勢いで立ち上がった。


「すっごい見られてる!」


仲直りを生暖かい視線で見守られた俺達のコミケは幕を閉じた。


⭐︎


帰り道、弟はスマホの裏に入れたカードを見せてくれた。

それは春に発売されたBリーグウエハースの選手カードで、リキがプッと吹き出す。


「ちょ、有時さんじゃん!」

「神引きした。うそ!リトル選手家に5枚ある」

「リトル5枚を合成したらエンヴィになるぜ」

「ならんわ!てか、チームメイトを合成素材扱いすな」


待受画面は見たことのない水色の髪のキャラクターで、指のマスキングテープの柄と同じペンライトを持っていた。

センシティブな事かもしれない、そっと裏返しで返した。


「俺を避けてたんでなく、コミケに参加する為にいなかったのか?」

「実は。盆と正月だし、抽選外れても委託販売とか色々と。

いつも待っててくれたんだよね」

ごめん、と下げた弟の後頭部を撫でると、リキが突然足を止めた。


「俺もお兄ちゃん欲しくなった」


はぁ?と俺達も振り返る。

「サイン入りレアの川村のカード持ってる?」

「ない、欲しい」

「よし!有時さんとトレードしようぜ!」

「兄貴と川村選手のカードを?」


弟はう〜ん、と首を捻って腕を組んで悩む。


弟よ。

俺は250円のお菓子のおまけと悩まれる程度の兄なのか。

立派なビックリマンシールになるから刮目かつもくしていなさいよ?


⭐︎


売れ残った本などのの配送準備を終え、会場を後にした。

俺達の宿泊するホテルの近くで用があるらしく、朝の緊張はどこへやらの弟は、イベントの成功もあってか機嫌がいい。

近くで祭りがあるのかコミケ程でもないが人が多く、浴衣の人と何度かすれ違った。


「てか何でうちの兄貴なの?」


2人はまださっきの俺のトレードの話でもめていた。

「兄貴なんてそこらにウロウロしてるだろ?」

そんな、兄を公園の鳩のように言わないでくれ充時。

確かに、世界規模で見れば大体が誰かの兄だが。


「全然違う!例えばほら・・・」

リキは隣を歩く俺を上から下までじっくりと見た。

目が合ったので笑いかけると「へへっ」と後頭部を掻きつつ照れ笑いで目を細める。

「ほら、なんか・・・ほら、いいじゃん」

だが俺を兄にする理由は特になく、今一番近くに居た兄貴だから選出されただけかもしれない。


素直に悲しい。


「そもそもな?充時だってお兄ちゃん選んで弟になった訳じゃないじゃん?」

「まぁ、そもそもで無く、たまたまだけど」

「そもそもな・・・そもそもって何?」


2人が同時に俺を見る。

もうホテルの前に着いたし、悲しい俺はシャワーを浴びながら1人になりたい。


「最初って意味だ。接続詞として事項を説き起こす時の前置きに使う事もある」

「ほら便利じゃん」

「兄貴をYahoo!知恵袋みたいに言うなよ」

充時、お前は公園の鳩のように言ったがな。

「いいじゃん好きなんだもん」

「軽いんだよ理由が」


そもそも俺がどっちかの兄だったら何かが変わる訳でもない。

恐ろしくどうでもいい。

このどうでもいい論争を終わらせて俺はシャワーを浴びてビール飲みたい。


「折衷案だ。今から実家に帰るまで、俺はリキの兄になる」

2人はぴたりと論争を止め俺を見た。


「マジっすか!やった!」

「て事は、今から兄貴じゃなくて、有・・・時、さん」

「なんだ?」

返事をして顔を見ると、充時は真っ赤になって手と頭をすごい速さで横に振った。

「いや無理だわ、無理無理!俺、職場でも兄貴の事名前で呼んだ事ない。いつも背番号とチーム名だし」

「俺はお前にとって名前を呼んではいけないあの人なのか?」


真っ赤な充時を押し退け、リキが意気揚々と前に出て咳払いをする。

「俺は余裕!お兄ちゃん!」

「うん」

「すいませんけど、ここは「なんだ?」でしょ!?」

「てか、リキ兄貴いるじゃん?」

「チッ・・・バレちゃしょうがない!そうさ、俺は兄貴の弟さ!」

「うん」

「すいませんけど、もうちょい頑張って、お兄ちゃん!」


⭐︎


弟と別れてホテルに戻ると、カウンター係が「ちょうど部屋から花火大会見えますよ」と教えてくれた。

先ほどの人達は皆、会場に向かっていたのか、と合点がいき、それならば。

と急いで部屋に戻って2人で窓側のベットに座ってビールをあけた。

少し離れた河原で開催されているらしく、防音加工の壁越しにも籠った音がボンボンと聞こえ、窓枠がちょうど縁になる。

まるで大型テレビで鑑賞しているようだな。

エアコンが効いて、混雑する帰宅の心配もない環境は有難いが、ここに現地の風情はない。

かと言って、一度きりの風情を求めて人混みに戻る気力もなく、俺は上唇の窪みに乗ったビールの泡を舐めた。


「俺、盆休みのデート苦手なんですよ」

つまみに開けたナッツを拠りながらリキがポツッとこぼした。

「デートが?どうして?」

「俺の父ちゃん、高校の時に死んだじゃないですか。でも、盆って死んだ人帰ってくるじゃないですか」

「まぁ、そういう時だもんな」

「あの世から帰省中の父ちゃんの視線が気になって、エッチできない」

吹き出し笑いで鼻からビールが出た。

咽せてるのか、笑っているのか自分でも分からない俺を見て、リキはむぅっと下唇を突き出して腕を組む。

「それはその、物理的に視線を感じるの?」

「概念です!父ちゃんの視線の概念にもう12年間、悩まされてんです!」

「フハッ!考えたことなかった」

もう無理!とベットに突っ伏す俺の足を「笑い過ぎ!」とリキは蹴飛ばしてビールを一気にあおった。

「よく“故人はいつも家族を見守っている“と言うけど、それは大丈夫なの?」

「それは、もう、すいませんけど、仕方ないと思って夜を営みますけども。でもなんか、あるじゃないですか!あの〜葬儀の夜に未亡人が仏壇の前で〜系のAV!あれとかすっごい萎えるんですよ!」

「ハハハハ!」

「マジで笑い過ぎ!」

完全にツボに入った。

逆流したビールで鼻の奥が沁み、笑い過ぎもあいまって涙が滲む。

枕元のティッシュに手を伸ばすが、体を支える左手がシーツで滑ってまた突っ伏す。

「あ!ハートの花火!・・・ってもう有時さん!」

呆れたリキに思い切り尻を叩かれベットが軋むと、それすら面白くなって。

履いたままのサンダルをそのまま脱ぎ落として文字通り腹を抱えて笑った。

ふうふうと、息が出来るようになった頃にはベットメイクされていた上布団のシーツが剥がれ、酒と笑いで熱くなった体にシーツの冷たい部分が気持ちいい。

こっちはリキのベットだった。

チラリと見上げた視線にリキはビールを飲む手を止めた。

「なぁ、さっきの話だけど」

うつ伏せになって乱れた髪を手櫛で撫で付け、付いた肘に顎を乗せる。

「迎火に手紙を添えて、デートに合わせて墓参りを奥にずらすのはどう?」

「手紙に「エッチしたいから今年はゆっくり帰ってきて」って?」

「うん。ご先祖全員周知になるけど」

「新手の羞恥プレイ?」

「ふふふ・・・!」

また笑う俺に拗ねたような仕草で膝を抱えたので、さすがにそろそろ申し訳ない、と隣に座り直した。

「1年のうちの数日じゃないか、我慢なさいよ」

「でも、今!って時あるじゃないですか?相手にも失礼かな、って」

「そんなリキを笑って、側にいてくれる人が本当の人だよ?」

パチっと指を鳴らしてその指で俺をさす。

「それ!やっぱ年上ですよね!」

「いいかもね?リキは周りを気遣いすぎるから、それをカバー出来る器量の人がいい」

「そうなんすよ、焼いたお節介を燃料に生きてんですよ俺!自給自足で低燃費、お買い得ですよ!」

「迎火は13日?あと2日あるな」

「エッチするなら今ですね」


2人同時にビールを飲む。


ゴクっ、とリキの喉が鳴って喉仏が上下する。

廊下で子供が「もぉぉ、ハナビおわる!パパはやくぅ〜!」と声が響き、文句と地団駄交じりの足音がわざとらしく通りすぎ、遅れて父親らしき控えめな足音が続く。

背徳感のような、罪悪感のような。

少しリキの言葉の意味を理解する。

静かになってもしばらくビールの缶を口につけたまま聞き耳を立てていた。

「なぁ」

「はい」

「電気、消さない?」

俺の提案にゆっくり視線が泳ぐ。

「ぅへ?」

「その方がよく見えるだろ?」

花火、と外を指さすと、リキは少し遅れてコントみたいに拳で手のひらをポンっと叩いた。

「それな!消しましょう!」

ツインのベットの間にあるスイッチに手を伸ばしてベットに乗る。

「・・・てか、すいませんけど有時さんのがスイッチ近いし!」

柔らかめのマットが沈んで体が傾き、ビールをこぼしかけて慌てて体を捩る。

「立ってベットまわれよ」

「有時さんが消せばいいのに!」

わぁわぁ騒いでいると部屋が真っ暗になった。

目がシパシパして、ぎゅっと目を閉じゆっくり開けると、エアコンの電源の緑の光りと白い壁がぼんやり浮き上がる。

窓の外は花火も止み間か外もほの暗く、耳を澄ますと音楽が聞こえ、道路を挟んだ斜め向かいのマンションのベランダで男女がキスをかわした。

わお、エモーショナル。

じゃなくて。

「ベットサイドだけ点けて」

「文句!人動かしといて文句!てか、ホテルの電気ややこしくないですか?」

暗闇に浮かぶ白いスイッチをリキが出鱈目に切り替え、あっちこっち点いたり消えたり。

「エアコン切ったりするよな」

言った途端にすんっとエアコンが止まり、目を合わせ笑う。

そしてパッと窓から顔が照らされ同時に外を見た。

クライマックスが近いのか、連打する花火の白い光が弾けてこぼれ、パラパラパラと雨が傘を叩くような音がする。


「花火が終わる時」


声の方に視線をやると、半開きのリキの口から八重歯が白く光った。

「エッチしたくなんないですか?」

おっとり垂れた目に大輪の花火が広がり写る。こちらを見る気配がして俺は花火に視線を戻す。

「お父さんに言いつけますよ」

ドドンッと一際大きな最後の一発。

「やべ、父ちゃん怒ってる?!」


花火が終わる時。

俺は始まったばかりの休みが、夏と一緒に過ぎ去ってしまう気がする。


最後の花火が打ち終わり、ベランダの男女がもつれ合うように中に消え、カーテンがサッと閉じられた。

リキの言葉は正解だったな、と緩くなったビールを飲み干した。


先にシャワーを浴びて、しわしわにしてしまった窓際のベットに潜り込む。

シーツの冷たい部分に全身を預けて目を閉じ、しばらくうつ伏せたり、横になったり冷たい部分を求めて動いていると、早々にリキが浴室から戻った。

「ちょっと!すいませんけどそっち俺のベットだし!」

「空いてる所で眠りなさい」

「そんな、置かれた場所で咲きなさい、みたいに言われても。俺、窓側じゃないと寝れないし〜」

無理やり体を押し込まれ、俺の冷たい領土が奪われる。

反抗心でうっすら目を開けると、まだ髪も濡れたままのリキの顔がすぐ側にあった。

いつもと違うシャンプーで少し軋んだ俺の髪と同じにおいがする。

でも、濡れているせいか、リキの方が濃厚に鼻の奥までかおる気がする。

「久しぶりですね、こうゆうの」

ビールのにおいが混ざった呼気が俺の前髪を揺らし頬骨をくすぐった。

「ゆ、」

「お父さんに通報します」

「もう!教えるんじゃなかった!」

ちぇっ!と唇を尖らせて、肩にかかったタオルで髪を拭きながらリキが立ち上がると、マットレスが解放されたように揺れた。



いつの間にか眠っていたようだ。

起き上がると掛け布団がずり落ち、壁側のベットでリキが大の字でぐうぐうと寝息を立てていた。

はて?体の下にもう一枚掛け布団?

どうやら掛け布団の上で寝てしまった俺に、リキが自分のものをかけてくれたようだ。トイレに立った後、背中を掻きながらスウェットに手を突っ込んで寝るリキを見下ろす。

「壁側でも問題無さそうだが」

波打ち際でも寝そうだな、と半分に畳んで掛け布団を腹にかけてやった。

同じ部屋を使っていた頃は、弟にもよくかけてやった、まぁすぐ跳ね返されたけど。

案の定、リキも直ぐに右足を出して、のしっと掛け布団を挟んで寝返りを打ち抱き込む。

なんとなく腹がたって、スウェットのウエストの紐をぎゅーっと引っ張り、ギチギチに結んでやった。




翌日はのんびりと観光とトレーニング施設で汗を流し、13日の昼前に実家に戻った。

ちゃっかり寄り道したリキは、母の手料理を堪能し、父とバス釣りの話で盛り上がり、今は二つに折った座布団を枕にしてリビングの床で昼寝をしている。

母が言うには高校の時からリキはこんな感じだったそうで、早くに家を離れた俺の知らないリキのいる我が家という、不思議な空間に今いる。

うちの家族より家族で、弟よりも弟かもしれない。


そんな事より。


「何処でも寝れるじゃないか、ばか」

ついに昨夜、ベットに押し入られた事を思い出す。

侵入を許した自分も共犯か。

「リキちゃんとお兄ちゃんがいたら、エアコンが頑張り過ぎて寒いわ」

ソファでスマホを触る俺の後ろを通り過ぎ、母は嬉しそうにエアコンの温度をあげて、サーキュレーターを回した。

「充時も揃うとエアコン壊れるな」

俺の呟きに母はリモコンを持ったままサッと隣に座る。

「みつと話せた?」

「え?あぁ」

「リキちゃん、あんた達の仲直りのために色々してくれたのよ?」

言われてみれば。

「寄り道」の声をかけてくれたのは6月で、そこから色々と不器用ながら画策し、サプライズまでしてくれたのに、当たり前のように受け取るばかりだった。

兄貴面だけ一丁前で、俺の方がすっかり甘やかされていた事に気がつく。

もう少し要求を聞いてやればと、濃ゆいシャンプーのにおいが鼻を過ぎる、が。


これとソレとは別の話か。


夕方に迎火を焚いて、母が墓参りに出ている間に庭の木に水をやっていると、のそのそとリキが起きてきた。

「俺、二日連続で寝ぼけてスウェットの紐ガチガチに結んでて、トイレやばかったんすけど、なおってた」

「良かったな」

その犯人は俺だ。

「ママさんは?」

「墓に迎えにあがっているよ」

「そろそろ俺も帰んなきゃ妹に怒られる!」

「お父さん待ち侘びてるぞ?」

思い出し笑いを噛み殺していると、いつの間にか帰宅した父が廊下のサッシを開けて声をかけた。

「リキ、葡萄ぶどういるかい?」

「パパさん大好き!いただきます!」

「有時、百日紅さるすべりにもしっかり水をあげてくれよ」

「百日紅?」

「お前達が立っている所の花だ」

そう言って父は奥に消え、俺達はからからの木を見上げる。

優しさと同じで、近くにありすぎると気が付かないものだな。

百日紅の背丈はリキより大きく、濃ゆいピンクの花が固まり枝先を重そうに弛ませている。

小さな花弁がフリルのように波打って愛らしい。

だが、時期を過ぎると花弁の色は抜けるのか、足元に落ちた花びらは白かった。

リキはつるりと艶のある木の肌を撫で「猿が登れないからサルスベリ?」と首を傾げ、頭にかかった花を振るう。


「はぁ、あと数時間で父ちゃん強化日かぁ」

「たかが数日だろ」

「有時さんは知らないから言えるんすよ!」

木からずれて根元に水をかける。

奥からスーパーの袋を持ってきた父が、仏間で葡萄を選びながら声をあげた。

「リキ、お母さんはいるのか?」

「今年も妹と2人です!」

少しふざけてホースを上向けると、木に当った水がパラパラと降り、百日紅の花びらも一緒に花火のようにばらばらと落ちてきた。

ひゃっと声をあげて肩をすくめたリキに目を細めると、つられるように八重歯を見せて徐に仏間に背を向けた。

「今がチャンス」

父から俺を隠す。

熱に浮かされたリキの瞳がすっと瞼に隠れて、俺の唇に、息がかかる。

互いの息遣いに目を閉じかけた時


「お父さんにも供えるんだよ!」


不意に聞こえた父の声で、体がボワっと熱くなった。


「父ちゃんの視線、気になった?」


まだ父不在の不適なリキの声が重なって、不覚の俺の心臓が中から肋骨を叩いてる。

するりと手からホースが奪われ、俺は濡れた手でTシャツの胸をギュッと握った。


花火が終わる時。


風情よりも情熱が勝ることを、これから何度も思い出すだろう。


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