第11話 試験期間

 雨雅さんが帰宅同好会に入り、帰宅同好会が正式に同好会として認められるようになってから一週間と少し経った。


 活動内容は今まで通り、ただ帰るだけだったり、寄り道をしたり。


 雨雅さんはなんだかんだ活動に付き合ってくれた。

 枯月さんが弓道部で居ない日は絶対に来ないが。


 枯月さんが居ない日は悠加と二人だけで帰り、枯月さんが居る日は四人で帰ったり、寄り道をしたり。


 そんな生活にもだいぶ慣れてきた。

 未だに悠加からのスキンシップにはあまり慣れないが。


 しかし、平和というのはそう長く続かない。

 我々は「期末テスト」という大悪を前に、試験期間前最後の部活のために教室に集まっていた。

 うちの学校では、テスト一週間前から部活が原則禁止となる。


「や〜、そろそろ期末テストだね。みんな成績どう?」

「私はまずまずって感じかな!」

「嘘つけ。お前は基準がおかしいんだよ。現代文学年一位のくせに」

「確かに現代文は得意だけど……ゆかりだって物理の点数めっちゃ高いらしいじゃん!」

「二人とも結構勉強できるんだね……」


 他三人が楽しそうに言葉を交わす中、私だけが会話に入れていなかった。

 会話に入れば、自分の学力の低さが露呈してしまう。

 赤点を取らない事を目標にしている私がこの人達の前で喋れる気がしない。


 私は空気と同化し、できるだけ話を振られないよう固い笑顔のままでそこに座っていた。


「佐野橋は低そうだな。明らかに勉強して無さそうだし」

「失礼な!」


 雨雅さんと悠加も、今ではこんな会話ができるくらいには打ち解けている。


 それにしても、悠加の成績がどの程度なのかは私も気になる。

 確かに低そうではある。

 でも意外と勉強しているイメージもあるから、なんだかんだ平均くらいは取れているかもしれない。

 だとしたら少し悲しい。


 悠加には私と同じくらいであってくれる事を祈る。


「馬鹿っぽく見えるかもしれないけど! 一応私、学年で上から十番目くらいには入ってるよ?」


 絶望。

 私なんかとは比べ物にならない所に居た。

 可愛くて優しいだけではなく、悠加は頭も良いのだ。


 自分の存在感をさらに薄めねばならない。

 私は自分がそこに存在していないのと変わらないような振る舞いをし続けた。

 今会話に入ったら、悠加からは呆れられるかドン引きされ、雨雅さんから笑われながら馬鹿にされ、枯月さんから「流石にもうちょっと頑張った方がいいんじゃないかなぁ……」と優しく言われてしまう。


「で、七は成績どのくらい?」


 終わった。

 話を振られて答えない訳にはいかない。


「え〜っとぉ……その……中の下くらいかなぁ……」


 中の下と濁すが、実際は下の上くらいだ。

 自分で情けなくなる。


「あたし知ってんぞ。点数低い奴らは自分の点数盛りたがんだよ。実際赤点スレスレくらいだろ、安曇」


 雨雅さん鋭すぎる。

 私は何も言い返せない。


「七がそんな点数低いわけないじゃ〜ん。ね、七?」


 私は何も言えず、ただ笑顔を浮かべているような事しかできなかった。


「……図星?」


 枯月さんが驚いたような顔をしている。

 やめてくれ、その顔が一番心にくる。


「大丈夫だよ、七、試験までに私たちが勉強教えてあげるから……」


 悠加は優しすぎる。

 悠加だってテスト前で忙しいはずなのに、私の勉強を手伝ってくれるなんて!


「一人で勉強しててもつまんないし、私とゆかりも手伝うね!」

「勝手にメンバーに入れるな」


 二人も優しい。

 雨雅さんもこんな事を言ってはいるが、枯月さんがやるとなったら多分付き合ってくれる。


「じゃあ目標は全科目平均点!! 頑張ろうね七!」

「無理無理無理無理…………」


 この一週間は地獄になりそうだ。




 こういう訳で私の勉強を見る会が始まった。

 試験前で部活として活動するのは禁止なので、私たちの教室にみんなで集まる事になった。


 現状一番マシなのは国語で、一番酷いのが理科。

 まずは最低限赤点回避のためにも、理科から重点的にやっていくことになった。


「……お前マジで授業聞いてたかぁ?」

「聞いてはいるんですけど……授業終わった途端全部忘れちゃって」


 雨雅さんは一分に一回くらいため息を吐いている。

 私の出来が悪すぎる。


「なんで勉強なんかしなきゃいけないの……」

「自分が何故勉強しているか理解するため、だよ」


 悠加が哲学的で良い事を言っている。

 改めて、悠加は私より格上の世界に居るのだなと感じる。


「やめだやめ。物理だけなら単位落としても留年しないし、他の科目伸ばすぞ」


 完全に見放された。




 という訳で社会。


「伊藤博文って何した人でしたっけ」

「安曇ちゃん、本当に授業ちゃんと聞いて……いや、何でもない」


 枯月さんからもこの扱いである。

 私本当にこのままだとマズイかもしれない。


「安曇ちゃん、演劇やってた頃はちゃんとセリフとか覚えられてたの?」

「……そういえば台本だけはすぐに覚えられたな」


 演劇関連の事になると急に私はスペックが上がる。

 本当に天性の才能としか言えない。

 こんな必要無い才能いっそ持たずに産まれてくれば良かったのに。


「じゃあさ! 七が歴史上の人物になればいいんじゃない?」

「どういうこと?」

「七が、伊藤博文とか板垣退助の性格とか妄想して演技してみるの。そしたら、その人が何やったかくらい覚えられるんじゃない?」


 流石に馬鹿みたいな発想だが、私にはそれくらいしないと覚えられないかもしれない。


「じゃあ私伊藤博文やるから、栞は大隈重信。七が板垣退助をやろう。ゆかりは……」

「あたしはおままごとには付き合わないぞ!」


 そんなに嫌だったのか、教室を出て行ってしまった。


「まあいいや。三人でやろう。私は伊藤博文です」


 美少女の口から「私は伊藤博文です」なんて出てくると少し馬鹿馬鹿しくて笑いそうになる。


「私は大隈重信です」

「私は板垣退助です」


 会話が止まる。

 教科書から得られる情報だけで演技しろと言われても難しすぎる。

 全員が自己紹介だけして無言になってしまった。


「……えーっと……国会を、作りましょう」

「じゃあ私は……立憲改進党を作ります」

「じゃあ、私が自由党を……」


 悠加がどうにか喋りだしたは良いが、これ以上喋る事が無い。


「よし! やめよう! こんな事小学生でもやらない!」


 あなたが発案者ですけどね。


「あ、でも、なんとなく人の名前は覚えられたかも。悠加の『私は伊藤博文です』のインパクトが強かったから……」

「そっかそっか! なら良かった」


 一応少しは私も進歩した……のか?




 お次は国語


「じゃあ今から全員古文で雑談しよう」


 悠加が突然提案する。

 多分二人が何言ってるかも分からなくなるし、私も喋れなくなる気がする。


「分かれり。やらむ」


 枯月さんはもう既にノリノリである。


「七、何か話したまへ」


 突然の無茶ぶり!

 おそらく現代語で同じ事を言われても何も答えられない気がする。


「え、えーっと……今日は良き天気なり」

「さりかし。日ごろ暑くなれり。熱中症には心留め」


 多分枯月さんは暑いから熱中症には注意しよう、的な事を言っているのだろう。


「我、気を付けむ」


 助動詞を使えた!

 意志の助動詞「む」を使えた!

 この程度の事だが、つい嬉しくなってしまう。


「喜べる七はいとらうたし……」

「何と申しているなり?」


 悠加が何を言っているか分からないから、枯月さんに助けを求めてみる。

 枯月さんはニヤニヤしながら口元に手を添えていた。


「ふふ、喜んでる安曇ちゃんが可愛い、だってさ」

「ちょ、栞〜! 言わんでよ……」

「あ、あなや……」


 勿論この時の私は「らうたし」という単語がどちらかといえば小動物的可愛さを表す時に使う言葉だとは知る由もなかった。




 今度は英語。


「今から全員英語で雑だ……」

「「やだ」」


 私と雨雅さんが食い気味に拒否する。

 流石に英語で雑談されたら全く何を言っているか分からなくなってしまいそうだ。


 ちなみに、雨雅さんは暫くしてから普通に帰ってきてくれた。


「じゃあ普通に教科書使って、音読からやってみよっか!」


 枯月さんが教科書を開く。


「じゃあ私の後に続いて。These are humans to eat」

「なんで発音がイギリス英語なんだよ!」


 枯月さんが綺麗な声で少し独特な発音で英文を読み上げ、雨雅さんがツッコむ。

 ツッコむとこそこ?

 例文が明らかにおかしくないだろうか。

 日本語訳で「これらは食べるための人間です」だ。

 教科書のくせにどんな世界観だよ。


「あいるどぅえにしんとぅめいくゆぅすまぁいる!」


 今度は悠加がほぼ日本語のような発音で私に向けて何か言う。

 枯月さんが口元に手を添えてニヤニヤしていたり、雨雅さんがため息を吐いているから、多分またさっきのように私を揶揄うような言葉だろう。


「なんて言ったの、悠加」

「あなたを笑顔にするためなら何でもします、だって。口説き文句みたいなものだね」


 来るとは分かっていてもやっぱり照れてしまうものだ。

 私の頬はやはり紅潮している!


「ゆーあーべりーきゅーと」

「悠加ぁ……!」

「何見せられてんだ、あたし?」




 最後に数学。


「数学はとにかく演習! 頑張ってね〜」


 今、私はヒィヒィ言いながら大量の問題集を解かされている。


 私が頑張って勉強している横で悠加はお菓子食べてるし、雨雅さんはスマホでゲームし始めたし、枯月さんも読書してるし……。

 さっきまでみんなでワイワイ勉強していたとは思えない空気になっている。


「国語も社会も英語もあんなワイワイやってたのに、なんで数学だけこんな淡々と……」

「数学ってのはそういうものだよ、安曇ちゃん。ずっとやってれば楽しくなってくるから。ほら、最終下校時刻まで演習!」


 頭いい人はみんなそれを言う。

 勉強はずっとしてたら辛くなくなるとかなんとか。

 その辛くなくなるまでの時間が嫌なんだよこっちは!


「七、頑張ってるね〜。チョコあげちゃう」


 悠加が私の口元に当然粒状のチョコを押し付けてくる。

 勢いに負けて少し唇を開くと、そのままチョコを押し込まれる。

 口の中にチョコを詰め込まれてしまった。


 それだけならまだ良かったのだが、問題は私の唇がが悠加の手と触れてしまった事だ。

 私の唇と触れた……なんなら唇に突っ込んだ人差し指で、悠加は平気な顔をしてチョコを摘んで自分の口に運んでいる。


 間接キスでは……?

 これが間接キスなのだとしたら、私のファースト間接キスは指という事になる。

 初めてにしては過激すぎやしないだろうか。


 問題集に集中できない!


「ほら七、手止まってる。ここまで進んだらもう一個チョコあげるから」


 悠加が問題集を指さす。

 チョコがもう一個欲しいあまり、私はめちゃくちゃ集中して問題集を解いた。




 それから一時間半程度全力で問題集を解き、最終下校時刻のチャイムが鳴った。


「はぁぁぁぁぁ……終わった……」

「安曇ちゃんお疲れ様〜」

「七、最後の方めっちゃ集中してたね。そんなにチョコ好きだったんだ」


 チョコじゃなくて悠加が好きなんだけどね。


「じゃあ帰ろっか……」

「あ、待って。今試験期間中で部活禁止だよね?」


 悠加が何かに気付いたような深刻な顔をする。


「じゃあ帰宅するのも禁止じゃない?」


 確かに。


「アホか。その理論だと数学同好会とか物理同好会の奴らが試験勉強できなくなるだろ」


 確かに。


「じゃあ各自帰宅って事で。最低限の帰宅にしよう! 解散! お疲れ様!」

「は〜い。じゃあみんなお疲れ様〜」

「お疲れ」

「お疲れ様」


 そんなこんなで地獄の試験勉強一日目が終わった。

 勿論帰宅してから勉強する余裕なんて無かった。

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