第10話 午後
昼過ぎ。
ほとんど真上から差し込んでいる太陽光が非情に私たちを襲う。
帽子、被ってくれば良かったなぁ。
私たちは軽めの昼食を済ませ、行き先も定めずに二人で街を歩いていた。
「あっついなぁ、今日......」
悠加がさっきからこれしか言わない。
「こんだけ暑いと溶けるね......七、もし私が溶けても、私の事忘れないでね......」
「なにそれ」
悠加が暑さでとうとう頭がおかしくなり始めた。
今まで通りと言えば今まで通りなのだが。
駅前を通り過ぎる。
話し声、怒鳴り声、車の音、電車の音......大きな音が苦手という訳では無いが、こういう騒がしいところの雰囲気は苦手だ。
「人多いね。はぐれないように......」
悠加がそう言ったのと同時に、私の手が握られる。
悠加が私と手を繋いでいる。
一瞬、反射で手を離しそうになるが、私は手を握り返す。
また胸の鼓動が激しくなる。
今日はあまりにも心臓を酷使しすぎている。
一日で寿命が半年は縮まったかもしれない。
握った悠加の手は、意外と大きくて、でも細くて、それでいて柔らかくて。
この手で私にもっと触れて欲しい。
そんな欲望がふつふつと湧き上がってくるが、抑える。
ところで、私、手汗をかいていないだろうか。
悠加に汗まみれの手を握られているとしたら、それはかなり嫌だ。
「その、手汗、かいてたら、ごめん」
「んー? 全然大丈夫だよ」
悠加にはなんてことの無い一言でも、私にとっては心の底から嬉しかった。
人混みの中を、悠加に引っ張られるような形で進んで行く。
なんだか、ずっと悠加に頼りっぱなしで情けない。
未だに恋愛対象として意識させる事に成功できていないし。
私はせっかくの「デート」でありながらも、ため息を吐きながらとぼとぼ歩いていた。
その時だった。
すれ違う人たちの中に、見知った顔があった。
「なっ、安曇......?」
思わず振り返って二度見すると、相手と目が合う。
声をかけられた。
「西......村............」
演劇部に所属していた頃の親友、西村雪菜の姿がそこにはあった。
今ではすっかり、お互い上の名前で呼び合うようになってしまったが。
「あ、同じクラスの!」
私が立ち止まったので、悠加も振り向く。
手を繋いでいるのを西村に見られたくなかったから、さりげなく手を振りほどく。
悠加が少し寂しそうな顔をする。
「あ、佐野橋さん。珍しい組み合わせ......だね」
気まずい。
おそらく、西村もそう思っている。
状況的には一番気まずいのは悠加だろうが、悠加はニコニコしたままそこに立っている。
「えっと......なんていうか、話すの久しぶり、だね?」
「うん......」
少しの沈黙ののちに、西村が切り出す。
「安曇......私さ、劇団のオーディション受ける事にしたんよ。本気で、プロ目指してる。まだ、誰にも言ってない。安曇だから言う」
いずれ、西村ならすると思っていた事だったから、驚きは無かった。
にしても、未だに他の人には言わないような事を私にだけ言ってくれるとは。
私は意地張って西村と距離を取ろうとしているのに、西村はいまだに私を好きでいてくれる。
自分がみっともないと思ってしまった。
「それで............あの......さ、安曇も、一緒に受けようよ。部活には戻ってこんでもいいから。でも、演劇には戻ってきて欲しい」
西村が、勇気を振り絞って、震えるような声で私に告げる。
いずれ西村なら私をまた誘ってくれると、そう思っていた。
「ごめん。西村」
しかし私は、ただ一言それだけ言って西村の誘いを断る事にした。
きっと、西村は私の事をちゃんと理解してくれているから。
それだけで全て伝わると思ったから。
西村も「そっか」と一言だけ言って、少し泣きそうな顔になってしまった。
「それじゃ、ちょっとでも話せて良かったわ。またね」
西村は急ぐように走り去ってしまった。
一瞬目が潤んでいるのが見えたから、それを隠すために急いだのかもしれないと思った。
演劇部を抜けたせいで気まずくなってしまった関係ではあるが、お互い別に嫌いになった訳ではない。
また、もう一度親友としてやり直せないかなと思う。
「七、断って良かったの?」
「うん。私にはもう帰宅同好会があるから」
「そっか」
悠加は珍しく少しおどおどしていたが、私の返事を聞いていつものように快活な笑顔を見せてくれた。
「じゃ、行こ。悠加」
今度は私の方から手を握って歩き出してみた。
こういう時に動かないでいつ動く。
ようやくカッコイイ所を見せられたのではないだろうか。
悠加の手を握ろうとする私の手は少し震えていたが。
「七ぁ、大胆......」
「悠加に言われたくない」
そう冷静を装いつつも、私の心臓は相変わらずバクバク鳴っていた。
ふらふら目的地も無く歩いていたら「ゲーセン入ってみたい!」と、悠加が言い出したから、目の前にあったゲームセンターに入る事になった。
「私あんまり来たことないんだよね、こういうとこ」
「へぇ。意外」
もっと私以外の友達とかと一緒に良く来ているものだと思っていたから意外だなぁ、などと考えていたら、悠加が私以外の友達とどう過ごして居るのかが突然気になってきた。
私以外と手を繋いだりしているのだろうか。
否定したかったが、悠加ならやりそうだ。
特に何もしていないのに勝手に嫉妬してしまった。
「ねぇねぇ七! 私これ取りたい!」
私がそんな感情に包まれていると、悠加に握られた手が引っ張られた。
悠加がクレーンゲームの台を指さして言う。
子供みたいで可愛い。
悠加が指さしていたのは、胴体がやたら長い猫のクッション、というより抱き枕。
これを抱きながら眠る悠加の姿を想像したら、絶対にこれを取らねばならないという気概が湧いてきた。
幸い、私はそこそこ上手い。
「私がコツなら幾らでも教えるから、頑張って」
「うん!」
こうして、私がアドバイスを出して悠加が動かすという形で、二人でクレーンゲームをした。
「次!! あと一回! あと一回! 次取れるから!」
「分かった!!」
私も悠加も、やめ時を完全に逃すタイプだった。
既に五千円くらい使っている。
馬鹿みたいだ。
アームは無慈悲に虚空を掴んだ。
「よし、最終手段だ。七、代わって」
「了解!」
流石にこれ以上の浪費は危ないと判断したのか、私に交代する事になった。
今更遅いような気もするが。
その後また約二千円を追加で投入し、ようやく抱き枕を入手する事ができた。
「はぁ......はぁ......ようやく............取れ、た......」
「やったー......。七、ありがとぉ......!」
悠加が嬉しそうに抱き枕を強く抱きしめ、頬を擦り付ける。
可愛い。
頑張った甲斐があったというものだ。
「この猫、七だと思って大事にするね......」
抱き枕に使う文言では無い気がする。
それだと、悠加は蕩けるような笑顔で私の事を強く強く抱きしめながら頬を擦りつけている、という事になってしまう。
なんなら、悠加が私の事を自宅で抱きしめながら添い寝したりするかもしれない。
そんな妄想を勝手にして勝手に恥ずかしくなって来た。
「次! プリ撮ろう、七」
ゲーセン内を、抱き枕を抱えた悠加と一緒に進んで行くと、プリクラの立ち並ぶエリアに来た。
ゲーセンに来ることは結構あったが、プリクラを撮ったのは一度か二度くらいだ。
「あんま撮った事ないなぁ」
「私もなんだかんだ数回しか無いや」
その数回が私以外の誰かとの物だと思うと、また勝手に嫉妬心が湧いてきた。
ならば、今回を悠加にとって過去最高のプリクラにしてやろう。
お金を入れ、準備完了。
機械の指示通りに色々設定し、中に入る。
機械からポーズを指定される。
「ポーズ指定してくれたりするんだね」
「ピース......こうかな」
ピースしろと機械から言われ、どうピースすれば「映える」か試行錯誤してみる。
せっかく悠加と写真を撮るのだ。
長く残るかもしれない。
ならば「映え」ねばならぬだろう。
「七、もっと寄ろ!」
悠加が距離を詰めてくる。
突然だったため、少したじろいだ。
顔と顔の距離がかなり近い。
先程まで「映え」とかなんとか言っていた癖に、緊張で全部が頭から吹き飛んでしまった。
そんな調子で数枚指示通りのポーズで撮っていく。
結局ほとんど「映え」なんか気にしている暇は無くなってしまった。
完成品が酷いものになっていない事を願う。
「次で多分最後だね」
「そうだね」
最後のポーズ指定。
機械音声が告げたポーズは......
「二人で抱きしめ合う」
だった。
「えぇっ......! だっ、抱きしめっ、え?」
「はぁ〜。プリクラって結構過激だねぇ」
そんな事を言いながら、悠加はもう腕を広げている。
いや、おかしいだろう。
普通こういうポーズの指定はカップルコースなどを選択した場合のみされるものじゃないのか?
完全に使う台を間違えた。
この台を作った会社に文句を言ってやりたい。
「ま、待って心の準備が......」
私は深呼吸をする。
呼吸が震えている。
「よし、やろう」
確かに恥ずかしいのだが、拒む理由は他に無かった。
悠加と抱き合えるならラッキーだし、ここで拒んで嫌われても困る。
何より悠加が乗り気なのだ。
なら乗らねばならないというものだろう。
「七、抱き心地良いよね〜」
悠加の細い腰に両手でしがみつくように、悠加を抱きしめる。
二人でカメラの方を向く。
悠加と頬がくっつきそうな程近い。
悠加の綺麗な髪が肩に当たってこそばゆい。
甘い匂い。悠加の匂いがする。
よく考えてみれば、二人で抱き合うというのは初めてかもしれない。
そう考えると余計緊張してきた。
今までは一方的に悠加から抱きしめられていた。
その時も勿論緊張はしていたけれども。
「悠加、意外と身長高いよね」
黙っているのも気まずいので、そんな事を言ってみる。
私の身長は百六十もないくらいだが、悠加はそんな私より少し高い。
百六十五はある。
「どうしてだと思う?」
「どうして、とは?」
「何故私の身長が高いのか」
「そんな事聞かれましても......」
会話の内容が意味不明すぎるが故、ハグによる緊張がほぐれているのを感じる。
「はい、タイムアップ。正解は、七を抱きしめるためでした〜」
「は?」
なんというか、恥ずかしさより圧倒的に困惑が勝っている。
そんな、童話の赤ずきんに出てくるオオカミみたいな事を言われても……。
「や、いつもみたいに顔真っ赤にして慌てると予想してたのに......」
「しないし......っていうか、いつもの私へのイメージそんななの?」
私の恋心が悠加にバレてないか、それだけが心配になる。
「そういえば私たち、いつまで抱き合ってんだろ」
「た、確かに。もう撮ったよね多分」
慌てて悠加から手を離す。
悠加も少し寂しそうな顔を一瞬したが、すぐにいつもの笑顔になり、
「よし、撮れたの確認しよう」
やたら切り替えが早い。
私が余韻に浸っているというのに。
抱きしめられた部分の感触を想起しながらドギマギしているというのに。
「結構いい感じなんじゃない?」
「まあ、確かに......」
とても青春というような感じがする。
ちゃんと現役女子高生らしい事をしている感じのある写真が並んでいる。
「落書きとかしてみる?」
落書き。
プリクラといえばこれ、というようなイメージがあるのだが、落書きで私と悠加の二人だけの写真を汚したくない気持ちがある。
しかしそんな独りよがりな気持ちから悠加から楽しい体験を奪ってしまう訳にはいかない。
「悠加がやりたかったらしたら?」
「じゃあいいや」
意外な返答だった。
悠加ってこういうところあるなぁ、と思う。
なんとなくだが、悠加は楽しくプレイしていたゲームのデータが当然消えても「あーあ。まあいいや、他のゲームしよ!」とか言い出しそう。
或いは、大事にしていた物が壊れても「まあ新しいの買えばいいよ」とか言いそう。
酷い偏見を今悠加にぶつけている気がする。
「どれ印刷する?」
「抱き合ってるのは......やめて欲しいな」
「そっかぁ、恥ずかしいかぁ」
悠加が残念そうにため息を吐く。
そんな反応されるとつい罪悪感が芽生えそうになるが、別に私は何も悪くない。
結局印刷したのはハグの写真では無かった。
それでも、写真に写った私は明らかに表情が固く、緊張しているのがよく分かる。
「いいの撮れたね〜。はい、これ七の分」
家でも悠加の顔が見られる!
と真っ先に考えてしまったのが情けない。
受け取ったばかりの写真を財布に入れた。
その後も色んな所に行った。
洋服を見たり、今更タピオカミルクティーを飲んでみたり、行く場所が無くなったのでとりあえずカラオケに行ったり......
久しぶりに一日中笑顔で過ごせた気がする。
悠加ともし同棲なんかしたら、これが毎日続いてしまうかもしれない。
そんなの幸せすぎる。
しかし、現実はそうでは無い。
二人の時間には終わりが訪れる。
「じゃ、今日楽しかった! ありがとう!」
駅についてしまう。
「こちらこそ」
使う電車が違うから、今日はもうここでお別れ。
明日になればすぐ会えるのに、何故こんなにまで寂しいのだろう。
「暗い顔してどうしたのぉ。私と離れるの寂しい?」
悠加が冗談みたいに言うけど、私は本気だった。
でもそれを勘づかれる訳にもいかなかった。
「え、いや、そういう訳では......」
私は弁明にもなっていないような弁明をする事しかできなかった。
「図星だね。七、可愛い〜」
悠加が嬉しそうに私の頭をくしゃくしゃ撫でる。
その手の体温が心地いい。
でも、それと同時にやっぱりまた一人の人としては見て貰えなかったな、という悲しみもあった。
「あの......さ、悠加?」
「何?」
「また......二人で遊ぼ?」
たったそれだけの事を言うだけなのに、私の心臓はバクバクと鳴っている。
悠加を好きな気持ち、全部バレてしまったらどうしよう。
このたった一言でも、勘づかれてしまうかもしれない。
「うん、勿論!」
悠加がいつも通りの澄み渡った屈託のない笑みを浮かべるから、私は全てが許されたような、救われたような気持ちに突然襲われた。
悠加の笑顔の破壊力は凄いなぁ、とつくづく思うばかりだった。
「じゃ、また明日」
「うん、また明日」
悠加が手を振りながら階段を上がっていく。
私は一歩も動けないまま手を小さく振っていた。
その晩。
私は今日撮ったばかりの写真を眺めていた。
今日の事を色々と思い出し、写真を眺めながらにやにやしてしまう。
その時、突然携帯の着信音が鳴った。
悠加から電話である。
胸が高鳴る。
私は恐る恐るそれに出た。
「も、もしもーし」
「おっ、もしもし! 七!」
スマホ越しでも、元気な悠加の声が聞こえると私も気分が良くなる。
「今日は本当にありがとう。楽しかった」
どうしても、まだ感謝を伝えきれていないような気がしたから、私はまずそれを伝えた。
「そっかそっか〜。七が楽しかったなら良かった!」
その後、結構長い時間雑談をした。
だいたい十五分くらい。
基本的には悠加が喋っているのに私が相槌を打つような形だったが、それでも本当に幸せだった。
「じゃ、切るね。また明日学校で!」
「うん、ばいばい」
電話が切れる。
「............好きだよ」
電話が切れた後、つい口から零れる。
ただ、何も点いていないスマホに向けて。
この想いを一度口に出さないと気が済まなかったから。
勿論、悠加に聞こえるはずも無かった。
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