第9話 デート
何を着て行くか、約四十分悩んだ。
様々な葛藤があり、紆余曲折を経て最終的にラフめな服装に落ち着いた。
何と書かれているか確認した事も無いような筆記体の英語が胸にプリントされたTシャツ。
初夏に履くには少し厚いジーンズ。
ピアスは悪目立ちしない程度の物を選んだ。
昔、演劇部で私のした役に不良少女があったのだが、その時にピアスは開けた。
イヤリングで良いのに! と多方面から言われたが、私は役への没入感を優先してしまった。
なんだかんだ、今でもよくピアスは付ける。
待ち合わせ場所に辿り着いたのは、約束の五十分前だった。
浮かれすぎである。
悠加に不要な焦りを与えないために、「もう着いたよ!」なんて野暮なメッセージは送らなかった。
私は気長に待つ事にした。
しかし、その数分後、私は悠加と思しき人物の姿が視界に入った。
勿論、目を疑った。
まだ約束の四十分以上前だというのに、まさか二人とも到着しているという事はあるまい。
しかし、何度見ても悠加だ。
恋した人の顔を忘れるはずも間違えるはずも無い。
待ち合わせ場所の近くに立ってスマホをいじっている。
「えっと......悠加?」
「おっ! 七、もう来てたの?!」
それはこちらの台詞である。
悠加はふんわりとしたブラウスに、緩めの黒いキュロットスカート。
薄い生地の青いシャツを羽織っている。
お洒落なキャップを被っており、普段の快活な悠加とのギャップに心がときめく。
「まあ、うん。今来たところ。悠加も来るの早いね?」
「私はちょうどさっきまで他の用事あったから。七が来るまでカフェでも入って休んでようかな〜って思って、念の為もう七が来てるか確認しに来たんだけど......まさか本当に居るとは」
念の為確認しに来たと言う割に、先程の挙動は少し不自然なような気がした。
明らかに私を待とうとしているような動きだった気がするのだが......私の思い違いだという事にしておこう。
「まだ上映までかなり時間あるし、二人でカフェでもどう? 良いとこ知ってるから!」
「う、うん。良いよ」
「おっけー。じゃあ付いてきて!」
思いがけない幸運。二人っきりでお茶ができるとは。
私は今にもスキップでもし始めそうな想いで、悠加の後ろを歩いた。
辿り着いたのは小洒落た喫茶店。
この中途半端な時間だからというのもあるが、客は私たちの他に一組。
「穴場」という印象だ。
至る所からコーヒー豆のいい匂いがする。
チェーン店に連れて行かれるのを想定していたから、少し驚いた。
改めて、悠加って意外と上品だよなぁ、と思う。
何と言うか、育ちが良い感じがする。
「今日朝ちゃんと食べてないし、パンケーキとか頼んじゃおっかなぁ......」
悠加がメニューと睨めっこしながら言う。
多分、悠加がパンケーキを食べている姿はかなり画になる。
悠加には、パンケーキを食べていそうなひと、という偏見がある。
でもパンケーキよりパフェ......いやシュークリームの方が似合うかもしれない。
色々考えた結果私の導き出した結論は、悠加は甘い物似合うというだけの事だった。
「私朝ちゃんと食べちゃったし......飲み物だけにしよ」
部活を辞めてから、ただでさえ運動不足だったのに余計に運動量が減ったせいで、少し、ほんの少しだけ、太った気がする。
ので、最近は食べる量を減らすようにしている。
別に本格的にダイエットをする訳でも無いので、意識程度のものだが。
「じゃ、私のパンケーキちょっと分けたげよっか?」
「うん。ありがとう」
食べる量を減らすとは言えど、そのために幸福を逃す程私は馬鹿ではない。
悠加の提案を受け入れないはずが無かった。
暫くして、悠加の頼んだロイヤルミルクティーと私のアイスコーヒーが来た。
「七、ブラック飲めるんだ?」
私が何も入れずにストローを口にくわえると、悠加が驚いたように聞いてくる。
「え、まぁ......うん。悠加、飲めないの?」
「まあ、飲めるけど」
じゃあ何故驚いたんだ。
私が飲めなそうだからだろうか。
悠加の中での私のイメージは、さしずめ小動物的可愛さの同級生という感じだ。
自分で言うのも恥ずかしいが、実際ウーパールーパーと比較されたり犬のように撫でられたりしているから事実だ。
ならば、小動物ではなく女としての可愛さを魅せ、そういう風に意識をさせねばならない。
好きになってもらう前に、恋愛対象として意識してもらう。
枯月さんから聞いた事だ。
友達としての好意を、恋愛対象としての好意にせねばならない。
それからまた暫くして......
「......パンケーキ、思ってたより大きくない?」
「そうだね......」
「七、手伝って貰うよ」
私たちのテーブルに置かれたのは、値段の割に大きすぎるパンケーキ。
なんなら二枚あるし、分厚い。
体型を見るに、悠加はおそらく少食だろう。
しっかり食べていてこの体型だと流石に心配が勝つくらいには痩せている。
とは言えど、その痩せ方は理想的であり、程よいもっちり感のような物もある。
羨ましい。
そんな悠加には、朝食をしっかり取っていないとはいえこの量は少し厳しいだろう。
食料制限の事は一旦頭から捨て去り、悠加の手伝いに徹する事にした。
「いただきまーす!」
「いただきます」
正直、お腹が空いていた訳ではない。
しかし、目の前にある蜂蜜のかかった分厚いパンケーキを見ると、どうしても食欲が掻き立てられる。
まずは一口。
フォークの先に刺さったパンケーキの一欠片を口に運ぶ最中、蜂蜜の甘い香りがした。
ゆっくりと噛むと、口いっぱいにまろやかな甘みが広がる。
穏やかで、どこか懐かしいような味。
上品な味わい。
柔らかい生地は舌の上でとろけ、すぐに全て飲み込んでしまった。
要するに、美味い。
口の中にまだウットリするような上品な甘みがほんのり残る。
「めちゃくちゃ美味しい......」
「でしょ〜?!」
悠加が頬を抑え、いかにも「美味しいです」というような蕩けた表情で言う。
一口、二口と食べ進める悠加を見て、私もあまり無かったはずの食欲が出てきた。
十分も経たないうちに沢山あったはずのパンケーキは無くなり、皿の上には垂れた蜂蜜だけが残った。
かなり、食べてしまった。
この後ポップコーンだとかを食べると考えると、今日一日で今までの食料制限が無駄になったような気になる。
だが、めちゃくちゃ美味しかったから構わない。
「いやぁ、幾らでも食べれちゃうねぇ」
「危ないね......これ。食べ過ぎちゃう」
少し膨れた腹を撫でながら、ため息を吐く。
「そうだ! 帰宅同好会の今後の展望、話して起きたいんだけど良い?」
「うん。聞かせて」
喫茶店を出て歩いている最中、悠加がそう切り出した。
「まず夏休み。勿論活動はあります!」
「夏休み......って何やるの?」
言われてみれば、もう夏休みが近い。
期末テストの事を考えないようにしていたせいで、夏休みの存在も忘れかけていた。
「活動と称してみんなで出かけたり?」
相変わらずのようだ。
「あと、合宿と称してみんなで旅行行きたいの!」
悠加と、旅行。
一生忘れられないような濃い思い出になりうる時間を悠加と過ごす。
それはとても素敵な事だ。
「いいね! 行きたい場所とかあるの?」
積極的に聞いてみる。
「ふっふっふっ......まだ秘密〜」
悠加がいじらしい笑みを浮かべ片目を閉じ、人差し指を口元に当てる。
その全ての動作が、なんというか、色っぽいと感じてしまった。
なんだか、会話をしていても私ばかりが悠加にときめいている気がする。
私の方からも、流石に何か動かねばならない。
今こそ枯月さんから教わったテクを使う時。
「ところで悠加? 今日暑いね?」
さりげなく話題を提供しつつ、軽くボディタッチ。悠加の肩に手を当てる。
身体に触れる事で、相手との心理的距離も縮めるのだ。
だが、あまりベッタリ触りすぎても良くない。
違和感無い程度に触れ、深層心理に語りかけるのだ。
「んん? ああ、うん。暑いねぇ?」
悠加が怪訝そうな顔をする。
話題を完全に間違えた気がする。
だが、まだ枯月さんから教わったテクは沢山残っている。
「えっと、そのぉ............この服、か、かわっ......可愛いね?」
さりげなく、褒める。ついでにまた肩を触る。
少し恥ずかしくてしどろもどろになってしまったのだが、可愛いという意思は伝わった。
大丈夫。
「七、どしたのさっきから」
「い、いやぁ......別に......」
悠加が口元を抑えてくすくす笑う。
まずい、明らかに私の意図と違う方向に向かっている。
ならば奥の手だ。
使いたくは無かったが......直接的に好きというワードを相手に伝える。
枯月さんは「使いどころが何よりも重要で〜」とか何とか言っていたが、今言わずしていつ言うのだ。
「あー、やっぱ私、悠加の事、好き、だ、なぁー」
よし。言えた!
問題点をあげるなら、私の声が街の喧騒にかき消されておそらく悠加には届いてないというくらいだ。
「ん? 何か言った?」
「何も」
自分が嫌になる。
この意気地無し!
「七、さっきから何か変だよ?」
「う、うん、ごめん......」
何故だか申し訳ない気持ちにさえなってきた。
自分の愚かさが身に染みる。
「でも、七のそういうところが可愛くて好きなんだけどねぇ〜」
悠加がそう言って頭を撫でてくる。
身体が固まる。
完全敗北だった。
一言で私のやろうと試みていた事を全てやられた。
だがそんな事よりも、悠加が私に好きと言ったのが気になった。
いや、多分友達としてなんだろうけど、それでも好きと口にされるとそれはそれは嬉しい。
心臓が早鐘を打ち、体温が上昇していくのが分かる。
私は情報過多で機能停止しそうな脳でどうにか歩行という行為だけは辛うじて続けていた。
結局、また私が悠加に惚れ直して終わってしまった。
私たちが映画館に着いた頃には、上映時間が近付いて来ていた。
チケットは佐野橋が既に予約してくれていたようで、すんなり入手できた。
やはり、意外と用意周到である。
「七ぁ、ポップコーン何味がいい?」
「えっ......じゃあ............キャラメルかな」
まだ食べるの? と聞こうか迷ったが、悠加は食べる気満々だったので、私は屈するしか無かった。
悠加はLサイズのポップコーンを一つだけ買った。
流石に二つ買う程の食欲は悠加も無いらしい。
ドリンクは二人分買った。
いざ、シアターへ向かう。
場所は最後列。
ここしか空いていなかったらしい。
「楽しみだねえ」
「うん」
スクリーンで興味の無い映画が流れる中、囁き声で会話する。
なんだか少しこそばゆいような気持ちになった。
今、悠加と二人だけ。
このシアターの中で、まるで二人しか居ないような感じ。
会話が終わって、悠加が予告編を眺めている最中も、私はスクリーンなんかに目もくれず、悠加を眺めていた。
たびたび手を伸ばし、ポップコーンをひとつまみする悠加。
私は、咀嚼している悠加の滑らかな頬が伸び縮みする様を眺めている。
見ていて飽きない。
悠加のガラス細工のような瞳にスクリーンの光が反射して輝く。
もし私に絵心があったなら、今すぐにでもスケッチブックでも取り出してその輝きをどうにかして紙に収めようとしていただろう。
「七、どうかした?」
「いや、何も......」
あまりにも私が悠加の方ばかり見るため、心配されてしまった。
なんだか罪悪感がある。
私は悠加を眺めるのを諦め、スクリーンに目を移した。
いつの間にやら上映中の注意に関する映像に画面は切り替わっており、そろそろ本編が始まるという雰囲気だった。
映画の内容は、ごく普通のラブコメ。
しかし、映像のクオリティは高いし、最近勢いのある俳優が出ているらしく、役者の演技も上手い。
それに、王道を征きながらも先の展開が想像できないストーリー。
素直に面白いと認めざるを得ない。
評価が高いのも納得である。
登場人物にあまり感情移入できないからと、ラブコメは今まであまり通って来なかったが、見てみると面白い物だ。
私が実際に恋を経験したというのがその大きな理由の一つではあるのだろうが。
映画が後半に差し掛かると、二人の関係も進展して来る。
それに合わせ、私もドキドキしてくる。
こんな恋愛ができたら、というような気持ちで、横をちらりと見る。
そこには私の愛してやまない人の、私の愛してやまないその横顔があった。
ふと、私もポップコーンを食べようかと思い、容器の中のそれに手を伸ばした。
突然、私の手が体温を感じた。
驚いて手を引く。
悠加と手が当たってしまった。
ただでさえ映画の影響でドキドキさせられているというのに、その思いがけないハプニングはさらに私の脈拍を加速させた。
映画はクライマックスに差し掛かる。
キスシーン。
今まではどんな気持ちで眺めれば良いのか分からなかったキスシーンだが、今なら少しくらいは心が動く。
怖いくらい理想的な結末を迎え、暗転。
スタッフロールが流れ始める。
私は悠加の方を向く。
悠加は一切動かず、ただ制作陣の名前が流れているだけのスクリーンに釘付けのままだった。
私も、スタッフロールが終わるまで悠加に付き合う事にした。
「いやぁ、面白かった! 青春だねぇ......アオハルだよぉ、甘酸っぱい」
シアターを出ると、悠加がおじさんのような事を言いながら伸びをする。
「うん。確かにめっちゃ面白かった。評判良いの納得」
「そうだねぇ」
ポップコーンと飲み物のゴミを捨てながら、映画館の出口へと向かう。
「でも、流石にヒロインがちょろすぎる気したんだよねぇ......。まあ尺とかの問題で仕方ないのかもしれないけど、あんなにすんなり恋に落ちるかなぁ」
とても自分に刺さった。
相手がめちゃくちゃ可愛くてめちゃくちゃ優しくしてくれたらすんなり恋にも落ちますよ。
と文句を言いたかったが、私は曖昧な肯定の言葉だけを述べた。
映画館を出て、駅に向かって歩く。
もう二人きりの時間も終わってしまうのか。
「今日は楽しかったよ、ありがとう、悠加」
悠加が怪訝そうな顔をする。
「七ぁ。まさか私がもう帰らせてあげるとでも思ってる? まだ昼前だよ、日が暮れるまで遊んでこ?」
今日の目的は映画を見る事だと思っていたから、悠加のその台詞は想定外だった。
「い、いいの?」
私はついガッツポーズをしそうになる。
「じゃ、デート続行って事で!」
「で、でぇっ、ででで......」
デート。
今悠加、デートと言ったか。
確かに二人で出掛けたらそれはデートと呼べない事も無いのだが、言われると意識してしまうというか......。
だが、どうにか自我を保て。
過度に動揺しているのがバレたら芋づる式に恋心もバレる。
「七ぁ、どこ行きたぁい?」
「は、悠加が行きたいとこなら何処へでも!!」
デート後半戦。
今度こそ恋愛対象として意識して貰おうと意気込み、私は再び歩き出した悠加の後を追った。
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