第7.5話 チェス
静まり返った部屋の中、チェスの駒を進める音だけが聴こえてる。
私とゆかりの間にあるのは真剣な、張り詰めた空気。
「チェックメイト」
そんな空気を裂くように、ゆかりが一言。
「......うわぁ、負けちゃったぁ......」
一気に緊張感のあった空気は和らぎ、私はソファーに倒れ込む。
「ゆかり、強くなったねぇ」
「八十二勝八十二敗。これで引き分け、か」
思い返せば、二人でチェスを始めたばかりの頃は、ずっと私の勝ちが続いていた。
それもそのはず、私は幼少期に本気でチェスをやっていた時期......正確には、本気でやらねばならないと思っていた時期があった。
勿論、未経験のゆかりにそう簡単に負けるはずも無かった。
それが、今ではこのザマである。
ゆかりは、私なんか比にならないような速度で成長。
このまま真剣に続ければ、ゆかりはプロを目指せるかもしれない。
本人にはそのつもりは無いようだが。
「もう一回やるか?」
「うーん、四時間ぶっ続けでやってるし、もう少し休んでからにしない? 安曇(あずみ)ちゃんの容態も心配だし」
ゆかりとチェスをしていると、私は時間を忘れてしまう。ゆかりもそうだ。
二人とも、何かに熱中すると他のことにかまけて居られないひとなのだ。
事実、先程チェスをしている最中、安曇ちゃんと佐野橋(さのばし)ちゃんが愛してるゲームをしているのに全く気付かなかった。
ところで、安曇ちゃんは大丈夫だろうか?
佐野橋ちゃんによると、愛してるゲームをしていたら押し倒され、そのまま安曇ちゃんが失神したという事だったが。
家に医者を呼んで診てもらうと、軽い貧血との事だった。
もう遅い時間だ。
肝心の佐野橋ちゃんはもう帰ってしまったし、安曇ちゃんも返さねばならない。
しかし、安曇ちゃんの両親の連絡先を私は知らない。
起きるまで待つしかない。
「でも、馬鹿だよな。愛してるゲームして失神ってのも」
「こら、馬鹿とか言っちゃ駄目だよ、ゆかり。......にしても、さっきの安曇ちゃん、"本気"のそれだったよね......」
「確かにな。......私たちも、愛してるゲームやるか?」
悪い笑みを浮かべ、ゆかりが冗談のように言う。
ゆかりの事は好きだ。恋愛的なそれでは無いが、間違いなく、友達としては大好きだ。
だからこそ、軽率なゲームでその思いを伝えたくなかった。
私は安曇ちゃんのようにはできる気がしないし。
という訳で、断る事にしたが、単に断ったら私が照れているだけだと思われそうだ。
それは嫌だ。
なので、私もひとつ、軽く冗談を言ってやる事にしたのだが......。
「しないよ。でも……ゆかりが言いたかったらいつでも言っていいんだからね? 愛してるって」
「はぁぁぁ......! お、お前なぁ......そういう事言うと本気にされるぞ? 相手があたしだから良いが......」
相変わらず、かなり動揺している。
私はゆかりを揶揄うのが好きだし、揶揄われているゆかりも好きだ。
しかし、ついやってしまうその行為が良くない事なのは分かっている。
ゆかりは多分、私の事が好きだ。恋愛的に。
そんなゆかりの気持ちを揶揄うような行為は宜しくない。
でも、私はゆかりの気持ちに、正直に、真っ直ぐに向き合える自信が無い。
私が誰かと付き合う資格は無いから。
それ故に、つい揶揄ってしまう。
「ほら! 次の試合やるぞ! 駒並べろ......」
照れ隠しにゆかりが駒を並べ始める。
正直、可愛いとは思う。
でも、恋愛的に見てはならないから、あくまでゆかりとは友情であらなければならないから、そうしている。
しかし、何かが少し違えば、きっとゆかりと一緒に幸せになる世界線もあるのかもしれない。
そういう事は考えるが、私はゆかりと付き合うつもりは無いし、そうする事はできない。
「次は勝つよ!」
「望むところ」
ただ、こうしてチェスをしている時間が続けばいいのに。とは、心から思う。
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