第7話 本心からの言葉
なんやかんやあって、ボードゲームを皆でする事になった。
囲碁をやりたがる悠加を抑えようと思ったが、無言でチェスの駒を並べる雨雅さんを見て、やめておこうと思った。
「おい栞、チェスすんぞ」
「ゆかり......今日は二人じゃないんだよ? 四人で遊べるゲームとか......」
枯月さんに叱られ、雨雅さんが不服そうにしていたから、私は助け舟を出すことにした。
「悠加が囲碁やりたいらしいし、二人でチェスしてていいですよ?」
「安曇ちゃんありがとう......ほら、ゆかりも」
「はぁ……ありがと」
枯月さんは雨雅さんの保護者、という感じである。
先程までは見せなかったような笑顔で楽しそうにチェスを始める。
「七十九勝八十二敗。だったよな。今日こそ追い越す」
「望むところだよ」
結構二人は長い付き合いのようだ。
百六十一回のチェスをしたという事は、きっと私には想像できないような途方もない時間を二人で過ごしてきたのだろう。
「よーし! じゃあ囲碁しよう、七!」
ところで、悠加は何故ここまでして囲碁を欲しているのだろう。
「えぇっと......実は私囲碁分かんなくて......」
「じゃあ将棋! できる?」
「ルールくらいは?」
将棋をやる事になった。
「参りました............悠加強くない?」
「えっへへぇ......まあね」
惨たらしい負け方だった。
私も歩兵と香車だけで随分粘った方だ。
ゲーム開始数分で、私の角行と飛車はいとも簡単に奪われ、それからすぐに、桂馬、金と銀もやられた。
「でも、七結構筋は良いよ。私が教えてあげる」
「うん......お願い」
こういう訳で、まずは「囲い」というものを教わった。
王を他の駒で囲い、自陣の護りを固める。
「船囲い」だの「美濃囲い」だの色々言われたが、要領の悪い私には何一つ覚えられなかった。
「よし、将棋は難しいからやめよう」
私が眉間に皺を寄せて必死こいて囲いを覚えようとしていると、悠加がそう提案してくれた。
意思の弱い私は簡単にそれに乗った。
「愛してるゲームをしよう」
突然の提案に、私は素っ頓狂な声を出して狼狽えた。
「知ってる?」
その下品な名のゲームを、全く知らない訳では無い。
お互い、交互に愛を囁き、先に照れた方が負け。
私はそれをする人々を見て、今までは愚かだと見下していたが、もし、悠加とそれが出来るのならば幸せだろう。
しかし、そんなもので得た「愛してる」に意味はあるのか。
私は葛藤した。
「やる?」
「やる」
葛藤したつもりだった。
しかし、悠加の悪魔的な微笑みが、私のそのプライドを一瞬にして焼き払った。
即答してしまった。
広い、ソファーの上。
悠加が私の方へ向き直る。
枯月さんらの視線が気になったが、二人はチェスに怖いくらい集中しており、私たちには見向きもしていない。
私も意を決して、悠加の方を向く。
何としてでも、負ける訳には行かない。
私が負けなければ、悠加が負けるまで、私は悠加から愛の言葉を貰い続けられるのだ。
普通に戦って勝てるとは思わない。
しかし、私には演劇がある。
部は辞めたものの、私は実はめちゃくちゃ演劇の才能がある。
逆に演劇以外には何の才能も無いのだが、これ関連になった途端私は尋常ではない力を発揮する。
演劇のこの溢れんばかりの才能をフル活用し、悠加に愛を囁かせ続けるのだ。
正直、演劇の才能に頼ることには嫌悪がある。
しかし、今は緊急事態である。そんな事は言っていられない。
佐野橋はソファーの上に膝を乗せ、足を揃えて上半身を乗り出したような姿勢で私に自信ありげな表情を向けている。
横座り、所謂お姉さん座りとか人魚座りと言われるものだ。
此方も負けては居られない。
私は元演劇部だ。自分の魅力を生かす綺麗なポーズくらい、しっかり把握しているつもりだ。
何をすれば悠加の心を掴めるか。
私は考えた。悠加は今まで私のどこを褒めた?
どこを可愛いと言った?
まず、初対面の人とろくに話せない、小心者の私。
気の弱い役を演じたことなら幾らでもあるし、そもそも自然体の私がそうである。
次に、可愛いと言われ動揺する私。
これは直接的には出来ない。何故ならしたらゲームに負けるから。
しかし、小突いたら揺れそうな、心が弱そうなそういう雰囲気を作るくらいは可能だ。
よって私は、小心者で弱く、緊張している私を演じればよい。
自然体の私とそう変わらないと思われるかもしれないが、意図して弱さを演じるのと、素で弱いのは、心の持ちようが大きく違うのだ。
動揺を演じる事に集中すれば、動揺する事は無い。
私がそういう私を演じるために選んだ座り方は、体育座りである。
ソファーの上に足を立て、それを両手で抱えるように支える。
少し伏し目気味にして上目遣いを意識。
緊張している事を示すために深呼吸。
「ふふ、七、緊張してる〜」
よかった、悠加は今の私を自然体の私が緊張しているものと認識している。
しかし今の私は緊張する私を被っているのみであり、実際緊張していない。
私は何回も、何十回も舞台に立ってきた。
そのため、「演技中には緊張する事が無い」のだ。
異常な才能だが、これに助けられた事は何度もある。
普段のように不意打ちで来られれば私も動揺するが、来ると分かっている愛してるに動揺する私では無い。
「じゃ、じゃあ悠加から......」
「分かった。......七、愛してる」
悠加が身を乗り出し、蠱惑的な笑みを浮かべて私にそう囁く。
ああ、綺麗な響きだ。
しかし、集中を切らしてはならない。
気を弛めれば、負ける。
少しでも気を抜いたら私は照れる。
顔を真っ赤にしながら両手でそれを隠し、言葉にならない悲鳴をあげながら地面に蹲るだろう。
それだけはあってはならない。
私は適度に動揺を演出し、心の内側から溢れ出る歓喜と狼狽と悠加への好意とを押さえ付ける。
「悠加......愛してる」
言ってしまった。
演技だとしても、言ったのは事実。
決してこれは真実の愛の告白ではない。
そもそも悠加への私の気持ちは恋愛ではなく友愛である。
そう自分に強く言い聞かせ、自我と演技を保つ。
「ぐぅ......中々手ごわい......」
悠加は、そんな事を言ってわざとらしい笑みを浮かべ、動揺を隠している。
頬が少し赤らんでいる。
「七、愛してるよ」
悠加が一呼吸し、体制を整えたのち、私の方へ大きく身を乗り出して言う。
顔と顔とが近くにあり、普段の私であれば卒倒するだろうし、今の私も卒倒しそうだ。
私は身体を少し後ろに倒し、一度距離を取る。
しかし、それだけで終わってしまったら私の敗北だ。
私は体制を戻し、そして足を崩してさらに身を乗り出す。
「愛してる」
悠加が少し仰け反る。
頬が林檎のように赤く染まる。
普段の私はこんな感じなのかなと思うと途端に恥ずかしくなるが、照れている悠加を見て親近感を抱いた。
「くぅ......効くねぇ。じゃあ最終手段」
悠加が挑発的ににやりと笑って、自信ありげに私の方に身を強く乗り出す。
悠加はその細い綺麗な腕を私の首にかけ、私の耳にその唇を近付ける。
「愛してる」
耳元に微かに息がかかる。
体温を感じる。
今すぐにでも抱き返して、私も愛してると、そう一言告げてやりたい気分だった。
理性が使い物にならなくなって、まともな思考ができなくなる。
だが、私はまだ負けていなかった。
接触が反則じゃないなら、私もそれを利用するまでだ。
ある種吹っ切れたような開放感をもって、私は悠加の肩を押し返す。
悠加は突然の事に何も出来ず、背中からソファーに倒れ込む。
「愛してる」
悠加に覆い被さるように、悠加の顔の左右に手を置き、言う。
「七ぁ......それ反則っ、私の負け......」
勝った。
悠加の心を、一瞬ではあるが掴んだという、その妙な優越感に近い高揚感。
しかし、それは次第に疑念に変わる。
私の言葉では無い、演技の私が絞り出した言葉で悠加を照れさせて、それで何があるのか。
演劇の才能しかない自分に嫌悪を示していたのに、結局こんな時にまで演劇に頼るのか。
嫌いになって逃げた演劇を使って、好きになった「友達」に勝とうなんて。
あまりに醜くないか。
あまりにみっともなくないか。
そう思った時、私の喉は勝手に次の言葉をひねり出していた。
「愛してる!」
「ちょ......追い討ちだめ......」
悠加の頬も、私の頬をみるみる赤くなる。
ああ、本心からの愛してるを言ってしまった。
友愛であって恋愛ではないと言い聞かせていたのに、口に出してしまったなら、自分をこれ以上騙す事はできない。
私の悠加に抱いている感情は愛だ。恋だ。
「ちょ、七、どいて......こっち、見んなよぉ......」
こっち見んなよ、と言われて私は背徳的な高揚感を感じたが、どうやら、悠加の視線からしてそれは私への言葉では無く、私の後方への言葉なようだった。
振り返るとそこには、チェスをやめてこちらを眺め、「あらあら」とでも言いたげな表情でこちらを見る枯月さんと、少し気まずそうに頬を赤らめる雨雅さんが居た。
「えっ......はっ、あっ、ご、ごめんっ!!!」
私はすぐに悠加から離れる。
「そういうの他人の家でやんなよ......」
ごもっともだ。
「七、大胆だね......」
悠加からそう言われ、急に正気に戻る。
私は何をしていた?
演技の時間が終わり、突然忘れかけていた緊張と恥とが私の頭に流れ込んでくる。
私はそのまま真後ろにぶっ倒れた。
そこからの記憶は無い。
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