第6話 雨雅ゆかり

「はぁ......わーったよ。自己紹介だけな? 栞と同じクラスの、雨雅ゆかり。この同好会には入らない。以上」


 年上! 枯月さんと親しげだったので勘づいてはいたが少々驚いた。

 なにせ、この雨雅という人は前述の通り姿は可愛らしい印象の人であった。

 しかし、よく見てみると鍛えられた脚をしている。おそらく運動部に所属しているのだろう。


「私佐野橋悠加です。よろしくお願いします、雨雅さん!」


 悠加も流石に敬語である。


「タメ口でいいよ」

「分かった! じゃあよろしく、ゆかり」


 枯月さんが勝手に許可を出し、悠加もそれに乗った。


「おいマジで冗談は程々にしろよ?」


 雨雅さんの機嫌が悪くなっているのが目に見えてわかる。


「ほら、安曇ちゃんも。ゆかり、こう見えてちょっと優しいから」


 私が少し怯えながら眺めていると、枯月さんが声をかけてきた。

 雨雅さんがこちらを鋭い目で睨んでくる。


「え、えぇっと.....安曇、七です。よろしくお願いします」


 少しの間雨雅さんが私を眺める時間があった。

 私は少し俯いていた。


「お前、この同好会無理やり入れられたんじゃねーの?」

「じ、自分の意思で」

「ふーん」


 そんな短い会話を交わして、私と雨雅さんのファーストコンタクトは終わった。


「こら、ゆかり。あんまり後輩イジめちゃだめだよ」

「お前はあたしの親かよ」


 雨雅さん、話しかけられた相手が枯月さんの時だけ、語気が弱くなっている気がする。


 もしかして、私と同じように、ただコミュニケーションが得意ではないだけなのではないだろうか。

 元々仲の良かった子とだけ普通に話せるのは、そういう人の特徴である。


 そう思った途端、先程まで少し怖がっていた雨雅さんに、勝手に親近感を持ってしまった。


「よーし! これで部員数が四人になったから、正式に同好会名乗れるね! 先生に報告行こう!」


 悠加が意気揚々と声を張り上げる。


「おい、誰が一度でもこの同好会入るなんて言った?」

「栞がゆかりの事新入部員って言ってたし」

「勝手に決めんな! というか下の名前で呼ぶな! 殺すぞ!」

「まあまあ。名前貸してくれるだけでいいの。お願い。ダメ?」


 枯月さんが屈み、雨雅さんと目線を合わせてお願いする。

 傍から見ると子供に語りかけるお姉さんというような構図である。


 私が子供だとして、もし枯月さんからあの話しかけられ方をしたら躊躇う事無く枯月さんに従うであろう。


 だが、相手は子供ではない。


「嫌だ」

「仮入部! 仮入部って形でもいいから......!」

「嫌だ」


 はあ、とため息をつき、枯月さんが諦めたような寂しい表情をして膝を伸ばした。

 しかし、どうやらこの人はまだ勧誘を諦めていない。


 今度は枯月さんが雨雅さんの後ろに回り込む。

 そして再び屈みこみ、雨雅さんの耳元に顔を寄せ......蠱惑的な表情を浮かべ、何かを耳打ちした。

 枯月さんの潤った唇の動きからは妖艶さを感じる。


「お前なぁ......卑怯だろそれ言うのは......」


 雨雅さんはさぞ呆れたというような顔をしてそう言ったが、頬は少し火照っていた。


「ね、ゆかり。入部しよ?」


 枯月さんは立ち上がり、にこりと上品だが子供のような笑みを浮かべた。


「......わかったよ」

「「やったー!」」


 枯月さんと悠加が同時に歓声をあげた。


「うるっさいなぁお前ら......。特にお前」


 雨雅さんが悠加を指さす。


「え〜? 私?」

「お前だ。まだお前の事は信用してねーからな」


 悠加が目に見えてしょんぼりした表情をする。


「まあいいや。とにかく先生に報告行こ!」




 四人で職員室前に並ぶ。


「倉橋先生いらっしゃいますか!」


 佐野橋がドアを三回ノックすると声を張り上げる。


 先程まで呆れた顔をしていた雨雅さんだったが、倉橋先生の名前を悠加が口にした途端、少しギョッとしたような顔になった。


「おい待て。まさか......この同好会の顧問、倉橋か?」

「うん。そうだけど......」

「おい栞お前、知ってて黙ってやがったな......」


 鋭い視線を向けられるも、お淑やかな笑顔で返す枯月さん。


 そうしているうちに、私たちの前には既に倉橋先生が立っていた。


「おう! 部員四人集められ......って、ゆかり! お前帰宅部入るのか!」


 雨雅さんは俯いて顔を隠していたが、名前を呼ばれて心底ウンザリしたような表情で顔を上げた。


「いやぁ、先生嬉しいよ。これからもお前の顧問、続けられるんだなぁ」


 その発言からして、雨雅さんは倉橋先生が顧問をする部活に居るようだ。

 倉橋先生は確か、陸上部とボルダリング同好会と車中泊同好会の顧問を務めていたはずだ。

 体格からして雨雅さんは陸上部での付き合いだろう。


 現部員なのか、元部員なのか。

 二人の話し方を見るに、おそらく既に何かしらの理由で部活を辞めている。

 先程のコミュニケーション能力の件といい、雨雅さんにはなぜか親近感が湧く。

 口は悪いが常識人っぽいし。


「うるせぇなぁ......。まじで陸上部の奴らに此処の事言うなよ?」


 雨雅さんか陸上部という予想は当たりだったようだ。


「どうして?」

「こんな同好会に所属してると思われたらみっともねぇだろ」

「酷い事言うなお前!」


 横を見てみると悠加がまたまたしょんぼりした表情。


「まあ、とりあえずお前たちを正式に同好会として認める。活動場所も明日までに適当な教室を用意しとくよ」

「やったー!!」

「でもメインの活動が帰宅だし......教室とかあんまり使わなくない?」

「何言ってるの七ぁ。部活には部会が必要だよ......。そういう時に教室は必要じゃない?」


 部会までやるつもりなのか、悠加。


「お前たちには期待してるぞ〜。帰宅同好会! じゃ、私はこれから車中泊同好会の部会があるから。また明日!」


 車中泊同好会ってどんな同好会なのだろう。

 おそらく、この場にいた全員が似たような事を少しは考えただろう。


 倉橋先生は、急ぎ足で職員室を去ってしまった。




「という訳で! 正式に同好会として認められたので、活動日や活動方針について決めましょう」


 佐野橋が自分で拍手したので、枯月さんと私は合わせて手を叩く。雨雅さんはムスッとした表情のまま頬杖をついていた。


「活動日は毎日。活動内容は帰宅部っぽいこと。出席ノルマ無しで部費ゼロ円! 決定!」

「おい待て待て待て!! 活動内容が大雑把すぎるだろ。馬鹿かお前」

「活動内容、こういう風にしか表現できないんだよね......」

「今までどんな活動して来たんだよお前ら......」


 雨雅さんは呆れを通り越し、疲れた顔をし始めている。


「という訳で今日も活動開始! 全員帰宅!」


 活動開始と同時に鞄を持ち、教室を後にする。狂った習慣に適応しつつある自分が居る。


 雨雅さんも渋々鞄を手に取る。

 一応活動に参加する意思はあるようだ。


「今日は何するの? 悠加」


「悠加」と下の名前で呼ぶのもそろそろ慣れればならないなと思いつつ、そう口にする。


「今日はねぇ......えへへ......」


 まだ下の名前で呼ばれたのが嬉しいのか質問にも答えずにやにや笑っている。


「安曇ちゃん、下の名前呼びになってる......」

「惚気んな。部活しろ、部活」


 二人が私たちの事を人前で惚気けている恋人を見るような目で見てきたため、私は少し決まりが悪かった。


「今日は、誰かのお家に突撃しようと思います!」


 雨雅さんに指摘され、正気に戻ったように悠加が活動内容を発表する。


「活動内容、想像以上に帰宅部だな」


 雨雅さんが関心したように言う。


「で、誰の家行くの?」

「誰でもいいよ。あ、でも私の家は今日無理」

「私も今日は......ごめん」

「あたしは嫌だぞ?」


 三人が同時に枯月さんの方を見る。


「私はいつでもおっけーだよ!」


 枯月さんが親指を立ててウィンク。


「よし決定! レッツゴー枯月家!!」


 楽しみになってきた。「城」とさえ噂になる枯月さんの豪邸である。

 庭に池があったり、犬小屋が家みたいな大きさだったり、虎を飼ってたりするかもしれない。


 私たちは学校を後にし、水ヶ丘から電車で約三十分、そしてそこから徒歩で枯月邸へ向かう。

 この時点で既に五時。

 おそらく広い土地なだけに、街の中心からは少し離れているのだろう。


 駅からの道のりは少し険しい。

 上り坂が多く、人気はあまり多くない。

 林で囲まれた一本道。車道と歩道は一応分けられてはいるが、どちらも狭く、車に轢かれてもおかしくない。

 ガードレールは錆びており、転落の心配もある。


「まだ着かないの〜?」

「もうちょっと。あと五分くらいで着くはず」


 蝉があちこちで鳴いている。

 道が木で囲まれているため、尚更五月蝿い。

 汗だくになっている悠加に対し、枯月さんは平気そうだ。


「来る度に思うけど、この道長すぎんだよ......こんな暑い中この距離歩いたら死ぬぞ......」

「ゆかり、来た事あるの?」

「何回か。というか下の名前で呼ぶな!」


 そんな会話を繰り広げていると、突然道が開けた。

 その先に広がっていたのは異世界のような異様な空間............「城」と聞いていたが、過大評価でも無いようだ。


 木々の中に聳え立つ、テーマパークのシンボルのような四階建ての建物。

 周囲から少し浮いて見え、異様な圧を放っている。


 悠加はその様子を見て、目を丸くして口を半開きになっていた。


「ここが私の家」

「うわぁ」


 悠加と私は情けない感嘆の言葉を喉から絞り出す以外、何もする事が出来なかった。




 家の中も、勿論凄かった。


 入った途端、明らかに枯月さんの親族では無いであろう女性が現れた。

 服装が明らかにその家の者というより従者という感じだった......一言で言えばメイド服を着ていたため、その人がメイドの類なのは一目で分かった。


「栞さま、おかえりなさいませ。御学友の方々も、どうぞごゆっくり」

「ただいま。......この人はメイドの中野さん」


 枯月さんに続き、悠加が黙って靴を脱ぐ。私と雨雅さんも同様に。

 悠加も、こういう場で騒ぐ程空気が読めない訳では無いようだった。

 或いは、ただ緊張で何も言えないでいるのか。


「とりあえず、みんな私の部屋においで。リビングだとメイドも居て居心地悪いだろうから」


 枯月さんの後を追い、先程まで賑やかだった私たちは黙って階段を登った。

 踊り場には、価値は分からないが恐らく超高価であろう絵画が一枚貼られ、異様な存在感を放っている。


 枯月さんの部屋は三階だった。


 やたらと縦に長いドアには、栞と書かれた札が掛けられていた。

 枯月さんがそのドアを開く。


 小声で「お邪魔します」などと言いながら部屋に足を踏み入れるとそこには、私の家のリビングと違わぬようなサイズの広い部屋があった。

 豪勢な壁紙に反して家具は可愛らしい。しかしサイズが可愛らしくない。


 年頃の女の子らしいベッドはおそらくダブルサイズであり、天蓋が付いている。

 部屋の中にベッドとソファーが両方あるというのは、私にとって衝撃的な光景であった。


「とりあえずみんな座って?」


 その一言に従い、私たちはソファーにゆっくり腰掛けると、部屋のドアが開く。


「お茶をお持ちしました」


 ドアを開き、お盆を持った中野さんが現れると、私たちの前の机に紅茶を並べる。


「じゃあ、とりあえずゲームでもする?」


 枯月さんが提案する。

 枯月さんでもゲームはするのか。

 私は頷いた。


「中野さんに持ってきて貰うね」


 中野さんは「かしこまりました」と一言だけ言うと、部屋を去っていった。


「......栞、あれなに?」


 ドアが閉まる音を確認すると、悠加が大きな水槽を指さして枯月さんに聞く。


「あれはウーパールーパーの水槽だね。近くで見てみる?」


 言われるがままに水槽に近づくと、そこには川を一部だけ切り取ってきたかのような綺麗な装飾と、数匹のウーパールーパーが居た。


「可愛いでしょ」


「......可愛い。飼いたい」


 悠加が目を輝かせ、水槽と顔がくっつきそうな距離でウーパールーパーを眺める。


 また、胸の中に霧がかかったようなあの感情が襲ってきた。

 私はウーパールーパーに嫉妬しているのだ。


 私に放った可愛いは、ウーパールーパーごときに安売りするような言葉だったのだという事に、言い表せない不快感を抱いた。


「飼うの、結構大変だよ? 餌代とか維持費も結構かかるし、水換えたりコケ掃除したり手間もすごいかかるから......」

「うーん............七! ちょっとこっち来て」


 私が勝手に苦しんでいると、悠加が私に手招きしてきた。


「もうちょい奥。水槽と並んで」


 言われるがままにする。


「笑って〜」


 ぎこちない笑顔を作る。


「......ウーパールーパーより七の方が良いや」


 悠加が数秒私の顔と水槽を見比べたのち、納得したように一言。

 狼狽える私には見向きもせず、悠加はソファーへ戻ってしまった。




 それから少しして、中野さんが入ってきた。

 手に持っていたのは、私が想像していたゲームとは異なる物だった。

 チェス盤、将棋盤など、多種多様なボードゲーム。そしてその全てが小綺麗で上品。


「何やる〜?」

「私囲碁やりたい!」


 四人でやれるものを選べよ、と思ったが、悠加の笑顔があまりに無邪気だったから私は何も言えなかった。


 という訳で、みんなでボードゲームをする事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る