第3話 萩原家へ

 翌日、荻原朋子は学校に来ていなかった。

 放課後になってから、氷華はメモした萩原朋子の住所を夏樹に渡した。夏樹が通学用のバイクを持ってくるのを待って、二人でメモの住所へと歩きだす。あちこちから帰路につく生徒たちの声が遠くなっていく。

「休み時間にあの二人を呼び出して、あなたが言っていたことを聞いてきました」

「おう、どうだった?」

「まず、儀式の時の紙とコインですが、どちらも萩原朋子が持ち帰ったそうです」

「ふむ」

 バイクを引きながら、夏樹が頷いた。

「本当は、コインは学外の自販機で使う予定だったそうですが……、三人ともパニック状態で帰ってしまったそうなので、萩原朋子が持ったままかもしれませんね」

「ありそうな話ではあるな」

 夏樹は少し考えてから続ける。

「『コックリさん』の場合は使った紙やコインはすぐに処分すること、ってルールがあるからな」

「なるほど。それが精神的にも影響している可能性はありますね」

 氷華は納得したように頷く。

「それと、エリナ様にした質問ですが……これがどうもハッキリしなくて」

「え? 質問はしてなかったんか?」

「いえ、最初に『本物のエリナ様ですか?』と聞いたんだそうです。それで、コインが『はい』に止まったと。ですが、別の質問をする前にあちこちコインが動いたと……」

「ああー」

 思い当たる節があるらしく、夏樹は声をあげた。

「『コックリさん』にそれを聞くのもルール違反やな」

「なぜです?」

「そりゃ、それこそ変な雑霊や悪霊が降りてきとる可能性もあるからな。霊を感知できない奴は多いから、霊は自分のことを知ってもらえる奴に取り入ろうとする。そういうこっちゃな」

 夏樹は肩を竦めた。


 萩原朋子の家は、街の中心を突っ切る駅を通って南側へと渡った方にあった。南側は古い商店街を中心に、昔ながらの家々が立ち並ぶ区域だ。住宅街もどこか古い作りの家が多く、メモを確認して着いた萩原朋子の家も似た作りだった。石垣に囲まれた家は、古いというだけでない、どこか重苦しい空気がある。

 小さな門扉越しに中を覗き込むと、植物の生えた薄暗い前庭に人影が見えた。

 氷華は声を掛けようとして、直前で口を塞ぐ。

 それは人間ではなく、真っ黒な人影だった。それが庭先に何人も立ちすくんでいる。二人のことを気にせず、みんな二階のある部屋を見上げている。部屋はぴったりと窓が閉まり、カーテンも閉まっている部屋だ。

「これは、すごいですね」

 氷華は気を引き締めた。

「氷華……」

「はい」

 緊張感を漂わせた返事をする。

「ここんちめちゃくちゃな大家族やな!?」

「……」

 どこまでも冷たい視線が夏樹を射抜き、パキッと氷にヒビが入るような音がした。

「……真面目にやってもらえますか?」

「い、いや、お前の緊張をほぐそうと思ってやな……」

「じゃあなおさら真面目にやってください」

 夏樹にくぎをさしてから、氷華は門扉の横にあるチャイムを鳴らした。

 2回目のチャイムで「はい」と返事があった。

「こんにちは。突然失礼致します。私たち、萩原朋子さんの同級生で、湊斗学園高校生徒会の者です」

 インターホンの向こうからした返事には、もう怪訝な色が消えていた。

「萩原さんがずっと学校に来られていないということでして……」

 インターホンについたカメラ越しへ、笑顔を見せる。

 少なくとも同じ制服を着た女子生徒と男子生徒がいるのだから、安心はしただろう。

 玄関の開く音がして、色のくすんだエプロンをした中年女が出てきた。

「すみません、片付いていなくて」

 女の――萩原朋子の母親の案内で、2人は家の中に入る。玄関は何かが発酵した臭いがする。生ゴミが袋に入ったまま置かれていた。

 入ってすぐのダイニングに通されても、どことなくゴミの臭いが漂っていた。

「すみませんね。あの子、誰とも会いたくないって。いま、お茶を出しますから」

「ありがとうございます」

 氷華は気にせずにこやかに対応する。

 一方で、チラリと部屋の中を見回した。

 黒い人影があいこちにいて、うつむいて座っていたり、立ちすくんでいる。人影のひとりなんかはキッチンの入り口に突っ立っているので、萩原の母親は毎回その人影をくぐり抜けることになっていた。

「私もここのところ、体調を崩し気味で……夫もあんまり帰ってこないし」

「そうですか、それはお辛いでしょうね」

 お茶を受け取り、氷華はうなずく。

「ええ、そうなの。季節のせいなのかしらね。最近、寒くなってきたでしょう」

「そうですね。朋子さんも季節柄のせいでしょうか?」

 たずねたが、母親はどこか遠くを見ていた。

「でも……あなたには関係がないことですし……」

 母親がそう言った後ろで、黒い人影が数歩ほど近寄っていた。誰もその場を見ていなかった。

 二人は思わずお互いの顔を見る。

「ここを片付ける気力もなくてねえ、ごめんなさいね……」

 母親はぶつぶつと、とりとめのないことを言い続けている。

 周囲を見ると、黒い人影たちの顔が一斉に母親のほうを見ていた。

 どうやらすぐに会わせるつもりはないらしい。

「いえ、萩原朋子さんは我が学園の生徒です。関係はあります」

「そうかしら。でもねえ……」

「ご本人にお話を聞くことはできませんか?」

「あの子……そのう、きっと嫌がると思って……」

「それはご本人に拒否されてから考えますよ」

「それに、この部屋も片付いていないので……」

 ダイニングの片隅にいた黒い人影たちが、音もなく母親のほうに近づいてきた。

 いつの間にか母親のまわりを取り囲んでいる。

「こりゃ、らちがあかんな」

 ぼそりと夏樹が言った。

 部屋の出入り口のほうからも、廊下に立ちすくんでいたらしき人影が入ってこようとしている。全員がじっと母親を見ている。

「大丈夫です。少しお話を伺えないか、お部屋の前で尋ねるだけですので」

 まだ母親は決めかねていた。

「それとも――」

 ゆら、と氷華の髪の毛の先が宙に浮かんだ。

 冷気が微かに漂いはじめる。

 褐色の瞳が揺れて、いまにもその下から別の色が浮かび上がってきそうだった。

「――お約束、しましょうか?」

 萩原の母親は、『約束』という言葉にビクッと体を震わせた。

 なにか恐ろしいことを思い出したような、青ざめた顔で唇を噛む。

 視線をあちこちに彷徨わせているが、自分でも思ってもみない反応だったらしい。言葉を失ったまま、指先をいじる。

 夏樹は氷華の髪が揺れるのを見ただけで、その冷ややかな威圧感には何も言わなかった。すぐに視線を母親の背後へと向ける。そこにはさっきよりも濃くなった人影たちがこっちを見ていた。

 夏樹はぱっと顔を明るくする。

「まっ、別にむりやり蹴破って聞くような真似はせんから! 部屋の前で聞くだけやし!」

 人好きのする笑みを浮かべる夏樹。

 氷華は一瞬むっとしたような表情を浮かべた。しかし髪が落ち着いていき、冷気もいつの間にか消えていく。

「えっと……あのう」

 呆然とする母親に、夏樹は軽やかに立ち上がった。

「じゃあ、ちょっと時間もらうで」

 氷華は少し遅れてから、慌ててその後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪花火奇譚 冬野ゆな @unknown_winter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画