第2話 コックリさん

 退魔師。

 いまだ闇に潜む怪異、妖怪、妖異、怪物に対抗する人間できる者たちは数多く存在し、主に退魔師協会と呼ばれる機関に所属する者をそう総称する。そのため、陰陽師から道士、海外のエクソシストに至るまで、そう呼称することもある。いわば怪異退治のエキスパート。

 夏樹もまたその末席に所属する退魔師だ。

 そして氷華はその助手だ。いまは、そういうことになっている。


 ホワイトボードが扉の前に設置され、夏樹がそこに『コックリさん』と書いていく。

「えー……簡単に言うとやな、『コックリさん』っちゅうのは降霊術の一種や」

「こうれいじゅつ」

 ソファにしっかり座った氷華が、ホワイトボードに書かれていく文字を反芻する。

「おう。幽霊を呼び出してあれこれ聞いたりする儀式のこと。『コックリさん』は狐の霊を呼び出して質問に答えてもらおうってやつやな」

 ホワイトボードに四角を書き、その中央上部分に鳥居を書いた。その下に「はい」と「いいえ」。そして「あいうえお」以外は適当に線を書いた五十音表記を書く。

「こんな感じの紙を全員で囲んで、十円玉に人差し指を乗せる。そしたら『コックリさん、コックリさん、おいでください』ってやるわけや」

「それだけでコックリさんが来るんですか?」

「そういう儀式やからな」

 夏樹はホワイトボードの隅にある赤色の磁石を手にすると、鳥居の部分に置いた。

「そうすると、指を乗せた十円玉が誰も動かしてないのにひとりでに動き出す。ひらがなの上で質問の答えを示してくれるんや。答えたら鳥居に戻る、っていう流れを繰り返して、最後にはお願いして帰ってもらう」

「質問って、たとえば?」

「たとえばかぁ。……せやな、『氷華が好きな人は誰ですか』って質問をしたとするやろ。そうすると十円玉が、『ひ』『な』『た』『な』『つ』『き』と……」

「それは百パーセント詐欺ですね」

 真顔で言う氷華。

「そうかあ? お前、オレのこと結構好きやろ?」

「百パーセント、詐欺です」

 氷華の長い髪がひとりでに浮き上がるように揺れた。窓も開いていないのに、どこからともなく冷たい風が吹き抜ける。射貫くような視線が夏樹に刺さった。

「た、例えや、例え!! マジで怒ることないやろ!」

 氷華のじとっとした目が見つめると、髪がふわりとおさまった。すべて幻だったかのように冷気がぴたりとやむ。

「もーっ、続き行くで! えーと……」

 氷華が何事も無かったかのようにスッと片手をあげる。

「はい、先生」

「はい、氷華君」

 夏樹が何事も無かったかのように氷華をあてる。

「どうして狐の霊なんですか?」

「お、ええ質問やな!」

 夏樹は笑うと、ホワイトボードに再び絵を描き出した。

 三脚の上に、丸い板か蓋のようなものが乗せられた絵だ。

「もともと『コックリさん』は、海外のテーブルターニングっていうのが起源でな。これは不安定に作ったテーブルに向かって手を置いたり音や傾き加減で『はい・いいえ』を占うモンや。日本ではお櫃の蓋が使われとったみたいやけど、この時のテーブルが揺れている様子が『こっくり、こっくり』しとるから、日本ではコックリさんになったんや」

「いい質問とか言うわりに、ぜんぜん狐と関係無いじゃないですか」

「そこや。日本は日本で、江戸時代に『狐の神霊を呼び出して質問する』みたいな占いが流行ったみたいでな。一方でコックリさんには『狐狗狸』って当て字が使われたせいで、混同されたのかもしれん。当て字の方にも狐の字が使われとるし」

 氷華は瞬きをした。

 狐の霊を呼び出すというわりにイヌとタヌキもいるとはどういう了見だ。そうは思ったが、これ以上ツッコミを入れるのは野暮かもしれないと思い始める。

「……それじゃあ、その紙は? どこから出てきたんですか」

「いつ頃からこういった紙を使うようになったのかはわからん。ただ、ウィジャ盤っていう海外から来た占い用の文字ボードが元ネタになっとるのは確かやろうな」

「はあ。それで、いまの形になったと」

「そういうこと」

 夏樹はターニングテーブルの絵をペンで軽く叩く。

「とはいえ、元々のコックリさんの起源やテーブルが動く原因については、既に明治時代には『井上円了』って人間に暴かれとる……いわば科学的に証明されとる」

「そんな暴きたがりの人間が他にもいたんですか」

 眉間に皺を寄せる氷華。

「あの『小泉八雲』以外に?」

「……。まあな」

 頭を掻き、夏樹はなんとも言えない顔をした。

「とにかく――それなりに歴史のある儀式だというのはわかりました」

 氷華が頷いて、ソファの背にもたれかかる。

 どこか冷たい息を吐き出しながら、視線をテーブルへと戻す。それから、考え込むように片手を口元へとやった。

「ですが、どうしてそれがエリナだかエルナだかになったんですか?」

「多分やけど、コックリさんの派生系のひとつやないかな」

 氷華はもういちど視線を夏樹へ向けた。

「コックリさんは70年代のオカルトブームで再燃したんや」


 オカルトブームとは、心霊現象や超常現象、UFO、超能力、未確認生物、都市伝説といったオカルト系の流行のことだ。「ノストラダムスの大予言」の終末論をきっかけに、70年代に第1次ブームが起きると、テレビ番組などもこぞってとりあげた。そのうちのひとつにコックリさんも一役買っていた。


「一気に人気が加熱すると、もう起源や原因なんぞ忘れ去られとった。なんでもわかる手頃な占い。この頃にはこの図も、十円玉も使われだしとった。紙の方は専門書の付録としても付いとったみたいやな」

「そんなに流行ったんですか?」

「占い好きの女子に見事にハマッたみたいでな。一番大変やったのは学校。さっき例に出したみたいな、『なんとかさんが好きなのは誰ですか』……つまりは恋占いが大流行りした。当時の退魔師連中もあちこち駆り出されて、大変やったらしい」

「あらまあ」

 氷華は僅かに目を細めた。

 あきらかに面白がっているのは夏樹にもわかったが、彼は何も言わなかった。

「実を言うと、九割以上は集団パニックの類やったけどな。コインが動くって現象も、今ではある程度解明されとる。潜在意識や、筋肉疲労からの腕の細かい動き。誰かが意図的に動かしとる可能性もある。でも、目の前で実際にコインが動くと、『本当にコックリさんが来た』ってことになる。……こういうのは集団パニックを引き起こしやすい」

 目線だけで、それで、と促す。

「そうなるともう、あちこちの学校ではコックリさん禁止令まで出てくる。それでもやりたい。やってみたい。危険な遊びではないと思わせたい……、そうなると、はい、氷華君!」

 ビシッと音でも立てそうな勢いで、ペン先で氷華をあてる。

「どうするかわかるか?」

「わかりません!」

「ちょっとは考えろや!? ……名前を変えて、『これはコックリさんじゃないです』ってやったわけだな」

「危険ドラッグみたいなやり口ですね」

「なんでお前はそういう事だけ知っとるんや」

 コックリさんは知らなかったくせに、という若干の非難の目線が向けられる。

「有名どころだとキューピッド様やエンジェル様、守護霊様。危険な遊びじゃない、ってのを強調したかったんやろうな」

「では、『エリナ様』も、そういうルールの抜け穴をついた名前ってことですか」

「多分な。……ただ、オレは聞いたことがないからローカルなやつかもしれん。有名所以外にも結構な派生が作られたらしいし」

 氷華は今度こそ視線をテーブルに戻した。


「それじゃあ、荻原朋子は本当にただの体調不良や病欠の可能性もありますね」

 少しだけ目を細める。

「それはまだ見てみねぇとな」

 夏樹はクリーナーを手にとり、ホワイトボードを消していく。

「儀式として最初は不完全でも、多くの人間に知られて信じられていくことで本物になることがある。そうして、本物を呼び寄せることもな。でもそれ以上に、雑霊を呼び寄せることはままあることや」

 綺麗にしたホワイトボードを部屋の隅へと戻すと、氷華に向き直る。

「……では明日、荻原朋子が学校に来ているかどうか確認しましょう。いなかったら自宅へ訪問する。それでいきませんか?」

「おう。ええよ」

 夏樹はニッと笑い、方針は決まった。

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