山姥――⑦
夏樹は地面に落ちた護符を拾い上げた。
これは退魔協会への提出用だ。慎重にしまい込んでおく。その頃には、風に吹かれて灰はどこかへと舞ってしまっていた。
「はー。肉弾戦はやっぱ疲れるなぁ」
「その割には楽そうじゃないですか。頭を使わなくていいからでは?」
「それってオレがバカやって言うとる?」
「さあ?」
氷華がそしらぬ顔をしたとき、雪が溶けるように、氷華から白い色が抜けていった。髪飾りも和装も氷のように砕けて消えていき、氷華は自分の黒髪を触ってから、洋装に戻った自分の姿を見下ろした。
「戻ってしまいましたね。残念」
「そりゃ簡易的なやつやからな。緊急回避ってことで」
それよりも、と夏樹は氷華をじろりと見る。
「お前、一瞬オレのことも凍らそうとしたやろ」
だが、彼女はまったく悪びれない。
「バレました?」
「そらバレとるわ! 次やったら二度と限定解除もしてやらんからな!」
「いじわる」
まるで夏樹が悪いような物言いに、言葉を失う。
「いっそ全部解いてくれてもいいんですよ」
「だからアカンって……、そ、それより! 探すもんがあるやろ!」
夏樹はむりやり話を引き戻し、コテージの方を指さした。
「はぐらかしましたね」
氷華はそういいながらも、コテージに向かう夏樹のあとを追った。彼が足で開拓していく雪の間を通って、中へと戻る。
そこから、他の部屋をくまなく捜索した。
途中でキッチンに入り込んだ夏樹は、ゴミ箱の奥で捨てられている古い睡眠薬の箱と、それらしい青い粉の入った小瓶を発見した。
「これか。やっぱり睡眠薬やった」
「でしょうね」
氷華は肩を竦めた。
「これから食べる人間に、あまり変な薬は入れたくないでしょうからね。せいぜい睡眠薬でしょう」
「嫌な推測やな……」
夏樹は眉間に皺を寄せた。
「気になるところといえば、あとは地下じゃないですか?」
二人は地下室の扉の前に立ち、じっと見つめた。
「鍵がどっかにあるはずやけど。……ま、この際ええか」
それほど複雑な鍵でもない。
夏樹は扉の前に座り込むと、懐からピッキング用具を取り出した。
「ホントは最初から証拠を発見したかったところやけど……」
「どこで何を仕込まれるかわからなかったですからね」
「……おし、開いた」
立ち上がり、ピッキング用具をしまいこんでからドアノブに手をかける。
扉はなんの抵抗もなく、内側に向かって開いた。その下には地下に続く狭い空間と、まるで飲み込むかのような階段があるだけだ。階段の途中までは廊下の明かりに照らされているが、その下は真っ暗でなにも見えない。
「降りれそうやな」
「スイッチが見当たりませんね」
天井には電球があるが、肝心のスイッチが見当たらない。
「とりあえずスイッチ探しがてら、行けるとこまで行ってみるわ。お前は懐中電灯かスマホか持ってきてもらえるか?」
「わかりました」
氷華はうなずき、踵を返した。その姿を見送ってから、夏樹は地下室へと視線を戻す。試しに一歩、二歩と階段を下っていく。
――それにしても、この臭い……。
カビ臭さに混じって、奥から何か言い様のない臭いが漂っている。
この臭いがなんなのか、わずかに見当がつきそうだった。腕で鼻をおさえ、少しだけ眉間に皺を寄せる。壁に手をつけて電気のスイッチを探しながらも、どこか消極的になってしまっていた。この先にあるものが、もしも夏樹の予想通りだとするなら――。
下まで降りたとき、夏樹の指先が壁から突き出たプレートと突起物に当たった。
――……ああ。
たぶんこれがスイッチだ。意を決して押す。
ブンッと小さな音がして、地下室が暗く照らされた。
「うっ……」
夏樹は思わず声をあげた。眉間に皺を寄せる。予想通りの光景だとしても、実際に見るのとは違う。それ以上先に進むのはしばし憚られた。
「夏樹さん。懐中電灯が……、どうしました?」
「降りてこん方がええ……」
暗い明かりに照らされていたのは、ここで殺された無残な犠牲者たちの屍だった。
既に骨になっているものや、いまだ肉がくっついているものが混在して散乱している。石造りの中央には、何度も流れて乾いて黒く変色した血の跡がついていた。食べかけのまま無造作に投げつけられた肉は腐りかけて壁にべったりと貼り付き、あるいは砕けた骨にはかじられた痕跡がはっきりと残っている。六人どころではない。ところどころ破れた服の残骸が残り、それがかつて生きた人間であったことを伝えていた。
そこに混じって、服の残骸の多くが荷物と一緒に捨てられていた。リュックサックがそのまま残り、ストックや割れたサングラス。割れた携帯電話も一緒に落ちている。彼らの生きた証も、すべてここに集約されていたのだった。
*
彼らはクマに襲われたということになった。
人間の味を覚えたクマが一頭いて、死体がいくつか見つかったのだということに。聞く者が聞けば変だと気付くだろう。しかしこの状況でそれ以外のカバーストーリーが誰も思い浮かばなかった。何人もの人間を殺した姿無き殺人グマに責任を覆い被せ、多くの目を欺いた。姿無きクマは地元の猟師によって退治されたことになり、その代わりに見つかった骨や荷物は遺族のところに戻ることになった。
山の入り口に設置された献花台は、お供えのジュースや菓子と一緒に埋まりつつあった。
二人はそれぞれ花を添えると、夏樹は深く頭を下げて手を合わせ、氷華は少しだけ頭を下げてから手を合わせた。
氷華が先に目を開けて隣を見る。夏樹が頭をあげて、氷華を見下ろした。
「行きますか」
「ああ」
二人は目立たないようにそっと立ち去ると、人々の中に消えていった。
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