第13話 予想外の夜

 屋敷に帰り着くと、窮屈な正装を脱ぎ捨ててラフな部屋着に着替え、冷静でいようと書類に目を通す。しかしどうしても目が滑ってしまう。


「ふぅ」


 書類を閉じる。

 今ごろ、アルバートとジークフリートはダンスを終えて、二人きりで庭にでも出て、色々なことを話している頃合いだろうか。

 そして少しずつ気分が盛り上がっていく二人は──。

 このゲームはR18だから、そういうシーンも登場する。

 高まりあう互いの気持ち。二人は今夜、ついに一線を越える。


(……朝帰りするだろうけど、こういう時ってどんな風に出迎えたらいいんだ?)


 そんな現実的な問題を考えてしまう。

 前世は一人っ子だったから、分からない。


(平常心で、何事もなかったようにするか? アルバートが話してくれるまで……。いや、それはそれで不自然だよな。突然、外泊してくるわけだから。でも子どもじゃないんだから、根掘り葉掘り聞くのもな。アルバートだってさすがに照れくさいし、いくら仲がいい兄弟とはいえ、聞くべきじゃないか……)


 アルバートが照れくさそうに、ジークフリートのことを話すことを想像した刹那、胸の奥がズキリ、と痛んだ。


(な、なんだよ、ズキって。失恋じゃあるまいし。あくまでアルバートは推しであって、別に恋愛対象って訳じゃないんだから)


 しかし一度アルバートとのことを考えると、襲撃の夜、一緒に眠ってくれた時のことを思い出してしまう。

 頬に火照りを覚える。


「……寝るか」


 あれやこれやと無駄に悩むのは精神衛生上、好ましくない。

 その時、扉が開く。


「まさか屋敷にまでお手洗いのために戻った訳じゃないですよね」

「アル? ど、どうして……」

「どうしてって……兄上がいきなりいなくなったので。部下をつけていて良かった」

「部下をつけるって……まさか騎士団か? まさか監視させていたのかっ?」

「悪い言い方をしないでください。いつまた襲撃かあるかは分からないんですから、念には念を入れて密かに守らせるのは、当然のことです」


 鈍感なオルティスでも、今のアルバートの言葉の端々に怒りが滲んでいるのは分かった。


「……どうしてお前が怒るんだよ」

「突然、一人にさせられたんです。帰りたいならそう言ってくれれば良かったのに」

「一人って……違うだろ」

「どういう意味ですか?」


 オルティスは小さく溜息を漏らす。


「俺は気を遣ってやったんだぞ。お前と……その……ジークフリート殿の」

「どうしてここで団長の名前が出てくるんですか?」


 アルバートはとぼけているようには見えなかった。

 心の底から理解できないという顔をしている。

 幼い頃から見て来たのだ。それくらいの表情は分かる。


(な、なんか、おかしいぞ……?)


「ジークフリート殿と踊ったんじゃないのか……?」

「どうして団長と踊らなければならないんですか? ──兄上がいるのに」

「は……?」


 虚を突かれ、間の抜けた声が漏れてしまう。


「一人、待ちぼうけを食らって、兄上が戻るのを待っていた私の気持ちが、分かりますか? おかげで煩わしい女どもの誘いを断るのに無駄な労力を使う羽目になったんですよ?」


 アルバートはじりじりと距離を詰め、あっという間にオルティスは壁際にまで追い詰められた。


「待て。どうして俺と踊るんだよ……」

「兄上こそ、何をどう勘違いして、私が団長と踊るなんてそんな気味の悪い妄想をしているんですか?」

「だ、だって、お前はジークフリート殿が好きなんだろ?」


 アルバートはオルティスの言葉が理解できないと言うかのように、やれやれという風に頭を振った。


「嫌ってはいませんが、踊りたいと思ったことは一度もありません。団長はあくまでただの上司なんですから。私が踊りたいのは、兄上とだけ、です」


 アルバートはオルティスの右手を優しく握る。


「ですから、一曲踊ってください」

「待てよ。踊るって言うのはどういうことか分かって……」

「踊りたいから、踊るんだけですよ」

「だったら、別の人間と」

「嫌です。兄上としか踊りたくありませんから」


 逃げようと体を引くが、アルバートは強引に右手を掴んで抱き寄せると、どこにも活かせないと言わんばかりにオルティスの腰に腕を巻き付けた。


「勝手にいなくなったことが悪いと思うのなら、付き合って下さいね」


 笑顔の裏にある、否を許さない圧力に、オルティスは呆然としてしまう。

 アルバートのリードで、ダンスは始まった。


(俺は死ぬはずだったモブだぞ!?)


 とは思うが、モブだのなんだのと言ったところで、アルバートには理解できないだろう。

 アルバートは嬉しそうに軽やかなステップを踏む。

 オルティスもまた、これまでまともに踊ったことなんてなかったはずなのに、ステップを踏むことが出来た。


「兄上とこうして踊れるなんて感動です」


 アルバートは無邪気に笑う。


「ほ、本当にジークフリート殿とは……」

「しつこいですよ」

「う、ご、ごめん」


(だって気になるだろうが!)


 戸惑っているはずなのに、嬉しさがないと言えば嘘になるくらいには心が浮つく。


『嫌です。兄上としか踊りたくありませんから』。


 さっき言われた言葉が頭の中でよみがえった。

 鼓動が速まり、体が妙に火照る。


(でもこうして踊ってるのは……ただの親愛から、だよな? 俺は攻略キャラじゃないんだから)


 と、不意に右手を包み込んでいたアルバートの手に力がこもった。


「兄上、今日のように私から逃げようなんてもう考えないでくださいね」

「に、逃げるなんて大袈裟だろ」

「本当ですか?」

「俺が信じられないのか?」

「……それはそうですよ。だって、兄上は家督を私に譲り、見知らぬ土地で生きようと考えるような人だから」


 声のトーンが低くなる。


「っ!」


 心臓が止まるかと思った。

 気付けば、密着したままダンスは終わっていた。

 さっきまで楽しい雰囲気があったはずなのに、部屋の室温まで下がり、凍えるような寒さに襲われるような錯覚に陥ってしまう。


「私が気付かないとでも?」


 アルバートが耳元で囁く。


「な、何を……」


 オルティスは動揺のあまり自分の声が自分のものでないかのように、感じた。


「屋敷の人間に兄上を見張らせていたんです。どうしていきなり新しい金庫を買ったのか。その中に大事そうにどんなものがしまわれているのか……本当はそんなことしたくありませんでしたが、執事長から知らせを受けて、開けるよう支持したんです」

「いくらなんでもそれはやりすぎだろっ」

「そうですね。でも開けさせて良かった。兄上が私へ当てた手紙や、他人名義で購入した土地の証書、それから領地の運営状況の記録が、丁寧に保管されていました。証書以外は私にあてられたものでしたね。次の公爵家の跡継ぎに、と」

「……っ」


 オルティスは口を開きかけるが、言葉がでない。

 まさかアルバートがそんなことを屋敷の人間に指示していたなんて想像もしてなかった。


「だから、手を打ったんです。国王に耳打ちをして、兄上を宰相に任じるようお願いしたんです。兄上の優秀さは折り紙付きでしたし、議会派貴族のサイラスが宰相をしていることを苦々しく思っていた国王はすぐに飛びついてくれました。いくら兄上でも、宰相の地位もなにも投げ捨ててまでは消えられないでしょうから」


 アルバートの表情からはいつの間にか笑顔が消えていた。

 淡々とした口調や、どこにも逃がさないとオルティスを包み込む屈強な腕の力強さもあいまって、まるで捕食動物に捕まった小動物の気分だ。


「どうしてそこまで……」

「決まってるじゃないですか。僕の自慢で、憧れで、大好きな兄上とこれからも一緒にいるためです」

「だ、大好きって言うのは兄弟として――」

「違います。一人の男として。私は兄上を愛しているんです」


 心臓を鷲掴みにされたような衝撃に貫かれた。


「……お、俺たちは男同士なんだぞ」

「知っていますよ。でもこの胸にある気持ちは愛情としか思えないんですよ。王都でたくさんの美しい女性を見ましたが、兄上と一緒にいた時の喜びや胸の弾むような、離れた時の苦しいような感情が乱され、振り回されるような気持ちを与えてくれる人とは会えなかった。兄上だけなんです。私の心がこんなにも騒ぐのは……」


 心臓が早鐘を打つ。

 オルティスは動揺し、どう反応していいのか分からない。

 まさかアルバートがそんな気持ちを抱いていたなんて夢にも思わなかった。

 嬉しくないと言えば嘘になる。しかしその気持ちを受け止める覚悟も、心の準備も、オルティスにはなかった。


「兄上、安心してください。この気持ちを押しつけたりはしません。無理矢理、押しつけても意味はないってことくらい分かっていますから。ただ私の気持ちを分かって欲しくて。それから、逃げないで欲しいということを伝えたかったんです」


 アルバートはオルティスの前髪を優しく撫でると、額にそっと口づけをした。

 額に触れる柔らかな唇の感触に、びくっと反応してしまう。


「おやすみなさい」


 微笑をたたえ、アルバートは部屋を出ていく。

 オルティスはアルバートの腕の支えを失ったせいか、足元から崩れ、尻もちをついてしまう。

 高鳴る鼓動を意識しながら、今もまだ唇の感触の残る額に触れた。


(こ、こんな展開、予想もしてなかったぞ……)


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