第12話 舞踏会
目覚めは良かった。
半覚醒で目を閉じたまま、寝返りをうち、腕を動かす。と、腕を優しく掴まれる感触に、うっすらと目を開けた。
「ん……?」
「おはようございます、兄上」
はっと我に返ったオルティスは「悪いっ」と距離を取ろうとするが、掴まれた腕はほどけず、抱きしめられる。
「気分はいかがですか?」
「すごくいい。お前が一緒に寝てくれたおかげだな」
昨夜、悩まされていた恐慌や不安が嘘のように消えている。
腕を放すとアルバートはベッドから抜け出す。
「今日からは団員に守らせます。いいですね」
「……悪い。迷惑をかける」
「この国の柱石たる宰相閣下をお守りできることは騎士団にとってまたとない栄誉です」
アルバートはどこか芝居がかった口調で言った。
「兄上を襲った犯人についても早晩、調べがつくと思いますから。何か分かったらすぐにお知らせしますね」
「ありがとう」
オルティスは爽快な気分で顔を洗い、歯を磨き、服を着替えた。
支度を済ませ、朝食を摂ると、いつものように迎えの馬車が来る。
今日は騎士団員たちが厳重に四方を固めていた。
衛兵たちと比べると、安心感が段違いだった。
オルティスはアルバートに別れを告げ、馬車に乗り込んだ。
数日後、騎士団員によって議会派貴族の子爵が逮捕されることになる。
容疑は、宰相であるオルティスの殺人未遂。
しかしそれだけでは済まなかった。
生き残った闇ギルドの殺し屋の証言で、芋づる式に大勢の貴族まで検挙され、王都は一時騒然とした。
貴族たちは自分たちは無実だと言いつのったが、自宅を強制捜索したところ、今回の陰謀に関する覚え書き、および、血判状まで見つかったとあっては言い逃れはできない。
裁判は事柄の重大性を鑑み、速やかに審理が行われ、全員に有罪判決が下った。
直接、闇ギルドとかかわった中心の貴族たちに関しては死刑が、それに賛同した貴族たちは王都からの追放。
領地の召し上げ、爵位の喪失など厳しい処罰となった。
最早、オルティスを阻む勢力はいなくなり、ロイドも職場復帰を果たし、全ての貴族を対象とする検地が行われる運びとなった。
これによって大勢の貴族が経済的な打撃を受け、それに比例するように国庫は潤沢になり、その資金を使い、オルティスは福祉政策や大規模な公共事業等を開始することができた。
※
王都にいてもかしましい蝉時雨が響きわたる中、王の発案で舞踏会が開かれる運びとなった。
もちろん手配を行うのもオルティスの仕事。
招待状の発送から、食事などの手配を手早く行う。
普段の仕事とはまた違う神経の使い方をしたせいか、かなり疲労しながらも、どうにかこうにか本番前に準備を整えることができた。
そして本番を迎える。
紳士淑女たちが馬車で王宮に乗り付け、きらびやかな衣装と共に姿を現す。
客人たちの到来を、オルティスは観察していた。
「宰相殿」
ジークフリートが歩いてくる。
黒を記帳した騎士団の正装姿で、左胸にはいくつもの勲章が輝く。
ただそこにいるだけだというのに、存在感があるというのは一種の才能だ。
「ジークフリート殿、先の件では色々と骨を折っていただきありがとうございます」
先の件とはもちろん、大量の貴族逮捕に関するものである。
さすがにあそこまで大々的な捜査はアルバート一人の権限では実行できなかったところ、ジークフリートがゴーサインを出してくれたのだと聞いていた。
さすがはアルバートの恋人。
未だに嫉妬してしまう自分がいることを否定できないものの、これだけ話の分かるスパダリならば、アルバートが惚れるのもやむをえない。
オルティスがアルバートの立場でも、惚れるだろう。
「あなたのやろうとしていることは至極全うなことです。それに何より、連中はやりすぎましたからな。これで懲りたでしょう。もし何か問題があれば、すぐに仰ってください。我々、騎士団は全面的に宰相殿を支持しておりますから」
「ありがとうございます」
騎士団は完全な実力社会で貴族と平民は半々くらいということもあるのだろうが、自身も貴族であるジークフリートの人間性によるところが大きいだろう。
ジークフリートは別の客人に呼ばれ、そちらに向かっていく。
「宰相様」
「これは……」
ぎょっとした。
声をかけてきたのは前宰相のサイラスだった。
まさかサイラスから話しかけて来るとは予想もしていなかった。
冷静に話しかけているが、そもそも彼は初日からまともに引き継ぎをしないなど、嫌がらせを仕掛けてきた張本人である。
あの時のことを盛大に皮肉ってやろうかという考えが頭を一瞬よぎったものの、今ここで悶着を起こすわけにはいかないごすぐに却下する。
「貴公の活躍、聞いている。大胆な改革に着手しているようだな」
白々しい。
聞いているどころか、自分の所属する派閥が狙い撃ちされたように攻撃されて、内心どう思っているか分からない。
「褒められることは何も……。宰相としてするべきこと、しなければいけないことをしているだけに過ぎません」
自重しようと思ったのも束の間、心の奥底にあるサイラスへの嫌悪感を抑えきれず、つい嫌味を言ってしまう。
サイラスはまさかそんなことを面と向かって言われるとは思っていなかったのだろう、一瞬表情が引き攣り、目つきが鋭くなったように見えた。
「これからも引き続き、ご指導ご鞭撻をよろしくお願いします、サイラス殿」
「私で良ければ……いつでも」
サイラスは足早に離れていく。
(喧嘩を売るつもりはなかったけど、やってしまった……でも、スッキリしたな)
と、場がざわつく。
何か問題が起こったのかと冷や冷やしながらそちらを見ると、アルバートが入場してきたのだと分かった。
彼はマントを翻し、黒い騎士団服の正装姿。
歩くだけで、擦れ違う貴婦人たちがまるで引力に導かれるように、アルバートの姿を目で追いかけている。
夫のいるマナーをわきまえた貴婦人でさえ目を奪われるのだから、十代の恋に恋する令嬢たちは言わずもがな。
黄色い悲鳴じみた声が聞こえてきて、「アルバート様、本当に素敵だわ」「まだ決まった御方がいないって本当かしら」「見た目良し、家柄良し。そんな御方、小説だけだと思っていたのに……」などと囁き声が聞こえてくる。
これにはオルティスも大いに賛同する。
とはいえ、残念ながらアルバートにはジークフリートというれっきとした想い人がいるのだ。
(一夜にして何十人という令嬢たちが失恋するわけだよな)
そしてゲーム上の流れで言えば、それが今晩、明らかになる。
アルバートは早速、貴族たちに捕まっている。
貴族たちはそれとなく自分の娘アピールに余念がない。
アルバートは落ち着いた素振りでそれに応じている。
アルバートくらいの美形だと無表情でもそれなりに見えるから羨ましい。
オルティスが押し黙ったら、ただの愛想の悪い嫌な奴と思われるだけだろう。
と、アルバートがオルティスに気付くと、他の誰にも見せない笑みを浮かべる。
「っ!」
推しの笑顔を独占できるのは、義兄の特権だ。
あからさまな態度の変化に、今の今までアルバートと話していた人たちも唖然としているが、アルバートはまったくそんなことを気にした素振りはなく、近づいてくる。
「兄上」
「アルバート、今日も決まってるな」
「似合いますか?」
「ああ、すごく」
くすり、とアルバートは微笑むと、自然な所作で給仕が運んでいたフルートグラスを取り、一つをオルティスに渡す。
「どうぞ」
「ありがとう」
軽くグラスを打ち付け、唇を湿らせた。
「おめでとうございます」
「? 何が?」
「今回のパーティーは兄上が宰相になられて初めてのものじゃないですか。大成功のようですから」
「あ、ああ。そうか。ありがとう。ところで俺と話しててもいいのか?」
アルバートは何がいいたいのかと聞くように、首を傾げた。
「ジークフリート殿はあっちだぞ」
オルティスは自分のことは気にしなくていいからと暗に伝えたつもりだったが、義弟は別段気にした風もなく、他の来客たちと話しているジークフリートを一瞥すると、「そのようですね」と無感動に言うだけだった。
(まさか、ばれてないと思ってるのか……?)
兄に色恋のことを知られたくはないという感覚は、ゲーム世界だろうと現実だろうと変わらないのか。
(無駄な努力なのになぁ)
どうせ、すぐに二人が想い合っているのは分かることなのに。
そこへ先触れの声が響く。
「国王陛下のご入場でございます!」
先触れの声と共に、白い正装の国王、そしてそれに続くように王妃と王太子がやってくる。
オルティスをはじめ列席者たちは一斉に頭を下げた。
国王はにこにこと満足そうな笑みを浮かべ、「今宵のパーティーは皆も知っての通り、余が新しき右腕、オルティス・ブラッドリー侯爵によるものだ。皆、思う存分楽しんでくれっ!」
王の挨拶で、パーティーは本格的に開始される。
「宰相。楽しんでいるか?」
「国王陛下」
オルティスとアルバートは深々と頭を下げる。
「お前は普段から思い詰めたような顔をしがちだからな。今宵のパーティーでは気を楽にして、思う存分、楽しむといい。人間、根を詰めすぎてもいい結果にはならんからなぁ!」
このパーティーを事実上取り仕切っているオルティスにそんなことを言うなんて、さすがは国王。お気楽だ。
「陛下にそのように言っていただき、嬉しく思います。お言葉に甘えさせて頂きます」
「だからそれが固いというのだ。アルバート、少しは兄に遊び方を教えてやれ。退屈な領地暮らしが長すぎて、中身はとうに還暦を過ぎているのではないか?」
国王はアッハッハッハ、と一人でウケる。
「陛下、それは言い過ぎです」
「本当か? そんなことを言うのであれば、意中の女くらいはいるんだろうな」
「残念ながら……」
「見たことか。お前は公爵家の当主。余の治世支える能臣なのだから、いつまでも独り身では困る」
「なかなか機会に巡り会えず……」
「うむ。なれば、余に紹介してやろう。どんな女が好みだ? 何なら今ここで好みの令嬢がいれば、すぐにでも呼びつけようぞ。ん? どうだ?」
王相手にどう断ろうかと笑顔の裏で考えていると、「陛下」と優美な笑顔のアルバートが、そっと声をかける。
「そう、兄上を困らせないでください」
アルバートが笑顔で、国王に告げる。
「お、そ、そうだったな。余としたことがつい、な。許せ、オルティス」
「いいえ、陛下の臣下への思い遣り、公爵家の者としてとてもありがたく感じております」
「では、宴を楽しむんだぞ」
「ありがとうございます」
他の貴族の元へ向かう国王を、オルティスは見送りつつ、胸を撫で下ろした。
「……アル、助かった」
国王に聞き咎められぬよう、声をひそめて言った。
「もっとはっきり断ればいいのに。心の中では乗り気だったのではありませんか」
妙に圧のある笑顔で言われる。
「陛下の言葉だぞ。簡単に否定はできないだろ」
やがて紳士淑女たちが中央でダンスをはじめた。
いよいよだ。
このイベントで、主人公と最も親密度の高いキャラクター同士がダンスを踊ることになる。
男性同士という特異な組み合わせながら、その二人の踊りは、会場中の耳目をさらうのだ。
特別なスチルも用意されているくらい、ゲーム内では力が入ってるシーンでもある。
オルティスとしてはそれを生で見たいような見たくないような、複雑な気分でもあった。
(……いくら、ジークフリートとアルの組み合わせは個人的な一押しとはいえ……)
胸中は複雑である。
「アル、お前は誰かと踊って来いよ」
「兄上は?」
「俺は……お手洗いに行ってくる」
もちろんそれは抜け出す口実で、このまま帰るつもりだ。
途中で気分が悪くなって中座したと言えば、問題ないだろう。
(ジークフリートとお幸せに……)
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