第10話 襲撃

 宰相としての仕事は忙しく、日々が流れるように過ぎていく。

 貴族を処罰し、罷免したことはすぐに他の議会派貴族たちを刺激し、抗議の声も上がったが、オルティスは罷免した貴族たちの汚職と不正の動かぬ証拠を突きつけた。

 さらに罷免された貴族が裁判にかけられて有罪になると、オルティスへの抗議の声はだんだんと下火になっていった。


 組織内の縦割りも解消されつつあり、以前は比べものにならないくらい業務が効率化された手応えがあった。

 また出自にかかわらず能力主義を徹底したことで役人たちの士気も高まり、オルティスが宰相に就任してから打ちだした政策もうまくいきつつある。


 現在は、王国中の土地の検地を改めて行う一大事業にとりかかっていた。

 この国の税金は土地の広さに比例する。

 しかし土地の計測そのものは百年前にしたきり。

 当然、農業技術は日進月歩であり、百年前と比べると、耕作可能な土地は比べものにならないくらい広がっている。

 税収の基本となるべき土地の記録は百年前で止まっており、これまで多くの税収を国は逃しているのだ。


 改めて各地の土地の計測をやり直そう、というのだ。

 本当であればもっと早くやってしかるべきだが、歴代の宰相はもちろん、宰相府の各部署の責任者たちも世襲貴族ということもあって、わざわざ自分たちの不利になるような政策をするはずもない。


 国王も国王で王党派貴族から顰蹙を買いたくはないと及び腰で、結局、誰も手をつけることがなかった。

 それをオルティスはやろうというのだ。

 無論、ダメージを受けるのは公爵家も例外ではないが、国の先行きを考えれば、誰かがやらなければならない。

 税収が増えれば、貧困対策、人材育成など他の政策を打ち出すための余力がでてくる。

 絶対に成功させなければならない。


 オルティスはまずは公爵領から検地を行うべきだろうと考え、領地へ送る手紙を自室で書いていた。


 そこにノックの音が響く。


「入ってきてくれ」

「兄上、少し休憩してはいかがですか?」


 アルバートが紅茶やお茶請けのクッキーを載せたトレイを運んで来た。

 オルティスは苦笑をこぼす。


「そういうのはメイドの仕事じゃないのか?」

「やろうとしているのを代わったんですよ。兄上の様子を見たくて」


 オルティスは立ち上がると、ソファーセットに移動し、アルバートと一緒にお茶を楽しむ。


「疲れた脳に甘い物が染みるなぁ」

「近頃、お疲れのようですが大丈夫ですか?」


 アルバートは心配そうな顔をする。


「今が踏ん張りどきだからな。しっかりやらないと」

「検地、ですよね」

「そうだ。アルはどう思う?」

「兄上がやるべきと思っているのなら、応援します。でも護衛をつけさせてください」

「護衛?」

「はい。貴族どもは自分たちの利権を脅かす者には容赦がありませんから。ただでさえ兄上は今、議会派貴族から恨みを買っていますし」

「……まさか、襲われるとでも?」

「可能性の話です」

「分かった。衛兵をつける」

「駄目です。騎士団でなければ。衛兵の訓練は実践向けとはとてもいえません。護衛任務なら、騎士団が最適です」

「騎士団は国を守る要で、騎士団に守られるのは王族と決まってるだろ。法を率先して守らなければならない宰相が、自分だけ特別扱いをする訳にはいかない。それこそ、騎士団が動くようなことがあれば、周りの貴族どもはそこを攻撃してくるはずだ。宰相は副団長を務める弟に命じて、騎士団を私物化している、と」

「構わないではありませんか。兄上は宰相で、この国の要。大した仕事もせず、不満しか言えない能なしどもとは違うのですから」


 アルバートの歯に衣着せぬ物言いに、思わず笑ってしまう。


「? どうしました?」

「いや。お前がそこまでの毒舌家だったとは知らなかったな。留学前まではそんなこと、言わなかっただろ。父上が聞いたら卒倒間違いなしだ」

「本当のことを言ったまでです。それで護衛ですが」

「衛兵で十分だ。お前の気遣いだけ、ありがたく受け取っておくよ」

「兄上は頑固すぎます」


 アルバートは不満な顔を隠そうとしない。


「悪いな、これが俺だ」


 俺が笑いかけると、アルバートは観念したように「そのようですね」と頷く。



 翌朝、アルバートは登庁すると、何度目かの時間の確認を行った。

 今日は検地の打ち合わせがあった。

 しかし普段なら開始時刻の十分前にはすでに来ているはずなのに、農林部の責任者、ロイドは待てど暮らせど現れない。

 人をやって確認させると、今日は病欠だという。

 貴族ならば仮病を真っ先に疑うが、それはないだろう。

 彼のやる気は誰より、オルティスが知っているのだから。

 仕方なく、ロイドの補佐官と打ち合わせを行った。

 それから数日後、二回目の会議にも彼は来なかった。

 そればかりか補佐官からの報告によると、辞職したい旨を知らされた。


「そんなに病が重たいのか?」

「よく分かりません。辞職届が一方的に送られてきたもので……」


 補佐官が知る限り、重たい病気を患っているようには見えなかったようだ。


「今の待遇に不満をこぼしていたり、そういうことはなかったか?」

「私の知る限りは……」


 補佐官を下がらせたオルティスは仕事帰りにロイドの自宅を訪ねることにする。

 彼の家は下町の一画にある慎ましい二階建ての一軒家。

 訪ねると、奥さんが出迎えてくれた。


「私はロイドの上司のオルティスと申しますが、会えますか?」

「まあ! わざわざお見舞いにいらっしゃってくださったんですか!? どうぞ、お入り下さい!」


 恐縮する奥さんに家へ招き入れてもらう。


「突然辞職届を出されてびっくりしていて」

「ええ、私もなんです。何があったのか事情を聞いても話してくれなくて。あ、少しお待ちになってくださいね」


(家族にも言えない? ということは病気が原因ではないのか?)


 しばらくすると、二階からロイドが下りて来た。


「さ、宰相様!」

「顔色は悪くないし、その勢いで階段を下りられるということは体調が原因というわけではないようだな」


 ロイドは気まずげに目を伏せ「……お話は私の部屋で」と奥さんを気にするように言った。

 オルティスはロイドと共に彼の部屋へ。


「どうぞ、おかけください」


 椅子を譲られ、ロイドはベッドに腰かけた。


「……実はこんなものが自宅に投げ込まれて」


 差し出された書状に目を通す。


『家族が大事なら職を辞せ』


 溜息が出た。


「これだけではないんです。帰りに誰かに後をつけられたり、朝、出かけようとすると、家の壁に鳥の死体がナイフで打ち付けられていたり……」

「何か思い当たる節は?」


 ロイドは唇を真一文字に引き結ぶ。


「ロイド、答えろ」

「……検地のこと以外には、ありません」

 やはりか、とオルティスは眉間を揉んだ。


 まさかこんな露骨な脅迫行為が行われようとは。


(クソ貴族どもめ! サボることばかりか、こんな犯罪まで平然と行うとは!)


「宰相様に抜擢していただいたのに、申し訳ございません。しかし妻にもしものことがあったらと思うと、これ以上は……」

「分かった」

「申し訳ございません」

「誤解するな。お前の辞職は認めない。しっかりと手を打つからそれまでお前は休職扱いとする」

「そんな! いけません!」

「とにかく、しばらくは休むように。また何かあれば知らせてくれ。いいな?」

「……分かりました」

 オルティスはロイド宅を出ると馬車に乗り込み、自宅に戻るよう御者へ命じた。


 馬車がゆっくりと動き出す。


(どうするか……)


 騎士団を使うわけにはいかないとアルバートには伝えたものの、そうも言っていられなくなった。

 今後仕事が進めば、他の人間に対する脅迫、いや、もっと直接的な妨害がなされる可能性もある。

 ここはあくまでゲームの世界でオルティスは端役。

 せっかく破滅的な未来を避けられているのに、わざわざ危険なことに首を突っ込む必要があるのか、そんな考えが一瞬、頭を過ぎった。


(いや、今回のことで俺がすごすご引き下がったら、それこそ貴族どもは図に乗って、ますますやりたい放題好き放題するだけだ)


 脅迫なんかで尻尾を巻いたと思われるのは悔しいし、この国のためにならない。

 憧れの世界を愛する気持ちはアルバートにも負けない自負がある。

 転生者であるオルティスは生粋の貴族ではなく、庶民である。

 家柄に胡座をかき、己の利権に汲々とする連中に膝を屈したくない。


(アルバートに相談してみるか)


 護衛の件を断っておいてこのざまか、と我ながら情けないが、貴族たちが違法な手段で抗うのであれば仕方がない。

 王宮においてオルティスの味方はあまりに少ないし、王も正直、今回の検地に関しては積極的ともいえない。それでも許可を出たのは、どれほど今回の検地で王室が潤うか、算出した利益を提示したからだ。

 今の三倍近い税収が見込めるのは大きい。


(この国の王も大概だよな。面倒な軋轢は嫌がるくせに、欲だけは深いんだから)


 王なんてみんな、同じようなものかもしれないが。

 と、ふと顔をあげたオルティスは違和感を覚えた。

 馬車の窓の外に映っていた景色は、森の小道。

 すでに日は落ち、薄暗い。

 さらに馬車が急停車した。


「おい、ここはどこだ? 屋敷へ戻るよう言ったはず……」


 御者に声をかけたその時、はっと息を飲んだ。

 御者はまるで見知らぬ人間だった。

 背中にゾワゾワと寒気が走り抜ける。

 オルティスは馬車から飛び出したが、馬車を警備しているはずの衛兵はどこにもいなかった。

 ロイドの家を出た時にはたしかに衛兵はいたはずなのに。


(はめられた!)


 目出し帽の男たちが六人ばかり現れた。

 心臓がバクバクと嫌な音をたてる。


「貴族どもの差し金か……っ!」

「安心しろ。命だけは取らないでやる。ただ、だいぶ痛い思いはしてもらうが」


 男たちは手にしている剣をぎらつかせながら、まるで獲物を追い込むように少しずつ包囲の輪を縮めていく。

 オルティスの顔に怯えの色がはしるのを楽しんでいるかのように、目を喜悦で細めた。

 その時、ザッという音が耳を打つ。


「ぎあああっ!」


 覆面男の一人が突然、絶叫したかと思えば、前のめりになって倒れた。


「アル!?」


 なぜ、と思うよりも早く、さらにもう一人を素早く斬り捨てた。

 アルバートはオルティスでさえ息を呑むほどの鋭い目を、残りの男たちへ向ける。


「くそっ!」


 男たちが一斉に斬りかかるが、アルバートの敵ではなかった。

 アルバートは情け容赦なく剣を振るい、瞬きを二度するかしないかの間に、男たちを全員斬り伏せてしまった。

 剣を振るい、血を払い、鞘に収める。


「兄上、お怪我は?」


 呼びかけられ、はっと我に返ったオルティスは頷き、「だ、大丈夫だ」と呻くように言った。


「良かった」


 アルバートは右頬についた返り血を腕で乱暴に拭う。

 白い肌に、かすれた血の痕跡が美しく映え、一瞬とはいえ、その光景に見とれた。


「これで、分かったでしょう」


 アルバートは無感動に男の傷口を踏みつける。


「ぐぁあっ!」


 傷口をぐりぐりと踏みにじれば、男が絶叫する。


「お、おい、アルバート、やめろ!」

「襲撃犯を心配するんですか?」


 アルバートは虫ケラでも見るような全く温度を感じさせない視線を、覆面男に向ける。

 それは騎士団本分の訓練で見せた厳しい表情とはまた違う。

 残忍で、冷酷。

 幼い頃から一緒にいながらアルバートは、オルティスに見せてこなかった表情がどれだけあるのか。


「それより、どうしてここに……」

「頑固な兄上を守るためですよ。問題が起これば報告するようにと部下に命じて、今日一日、尾行させていたんです。ああ、本物の御者は無事ですよ。路地で身ぐるみ剥がされて気絶していたのを保護しておきました」

「……それは、良かった」

「おい、お前らの雇い主は」


 アルバートが男を蹴りながら呟く。


「……く、くたばれぇ……」

「さすがはプロだな。根性が座ってる」


 アルバートは無感情に呟いたかと思えば、指笛を吹く。

 それを合図に、どこからともなく騎士たちが現れた。


「こいつを騎士団本部へ連行し、尋問をしろ。何か分かったらすぐに知らせろ。あと、他の死体は処理しておけ」

「はっ」


 団員たちは呻きを漏らす黒ずくめを馬に乗せると、走り去っていく。

 アルバートは、オルティスにそっと近づいて来たかと思うと抱きしめてくる。


「な、なにを」

「……震えてますね。もう大丈夫ですから」


 耳にかすかな息遣いが触れる。


「本当はもっと早く助けられましたが、刺客どもを捕まえるためにすぐに対処しませんでした。すみません。怖い思いをさせてしまって」


 こうして抱きしめられていると、安心できた。

 ゲームの主人公が、こんなにも尽くしてくれるなんてと、感動してしまう。


「いや、お前に判断は正しい。助けてくれてありがとう、アル。最初からお前の判断に従うべきだった。部下にも怖い思いをさせずに済んだものを」

「部下?」


 オルティスは部下が脅迫行為を受けていることを告げた。


「すぐにその者にも護衛をつけさせましょう」

「ありがたいけど、いいのか? 団員たちをそんなに動かして」

「宰相が襲われたんですよ。国の一大事に決まってるではありませんか。ひとまず屋敷へ戻りましょう」

「ああ」


 自分を包み込む力強さが消えたことに、まるで親を見失った子どものような心細い気持ちに襲われたが、さすがにそんなことを言うことはできなかった。

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