第9話 騎士団本部へ

 職務怠慢の貴族を片付けたオルティスは、いつもより早めに退庁した。

 このまままっすぐ帰宅してもいいが、アルバートがどんな風に働いているかを見たくなり、御者に騎士団本部へ向かうよう命じた。

 本部は王城の東側にある。

 門構えからして二人の屈強な兵士に守られ、物々しい。

 文官中心の宰相府とは対極の、どこか擦れたような雰囲気に満ちている。

 馬車から降りる。

 どう贔屓目に見ても騎士にも軍人にも見えないオルティスに、兵士が訝しげな視線を送ってくる。


「待て。関係者以外立ち入り禁止だ」


 門を通ろうとすると、乱暴に呼び止められた上に、腕をがっしりと掴まれた。

 強い力に思わず顔をしかめてしまう。


「弟に会いに来たんだ」

「名前は?」

「アルバート・ブラッドリー。騎士団の副団長を務めている」


 兵士たちがそろってぎょっとした顔をする。


「……あなたの、お名前は?」


 打って変わって言葉が丁寧になった。


(そう言えば、烏たちもなんだか様子がおかしかったからな)


『突然、呼びつけてすまない。君たちの本来の業務からは外れたことだが、国のためにも協力して欲しい』


 そう低姿勢で頭を下げると、彼らは慌てた。


『あ、頭を上げてください、宰相様。頭を下げられたなどと副団長に知られたら、叱責されてしまいます! どのようなご命令にも従いますので、遠慮なさらず仰って下さい!』

『そう言ってもらえて嬉しいよ』

『ただ……職務を全うしたあかつきには、しっかりとその旨を副団長にお伝えくださればそれで……』


 あのぽやぽやした義弟も副団長としてそれなりに畏れられているということなのだろうが、幼い頃の可愛らしい無邪気純真とにかく可愛いアルバートのことしか知らないオルティスにしてみると、彼らの反応がおかしかった。

 団員たちの前で、いつもの笑顔を引っ込め、生真面目な顔で命令をくだしているアルバートを想像すると、ついつい頬が緩んだ。


「あ、あのぉ……いかがなさいましたか?」


 オルティスははっと我に返ると、小さく咳払いをした。


「私は、オルティス・ブラッドリーだ」

「少しお待ち下さい」


 兵士の一人が庁舎へ入っていく。


「もしよろしければ、お茶などいかがですか?」

「お構いなく」

「では、菓子などは?」

「大丈夫だ」


 兵士はしきりに、オルティスの様子を窺う。


「心配しなくても、さっきの乱暴な態度を弟へ告げ口をしたりしないから。ここは重要な拠点だ。どれだけ警戒してもしすぎる、ということはない」

「あ、ありがとうございます」


 兵士は顔を青くしながら、直角に頭を下げる。


「ただ、誰に対してもあんな態度は頂けないから、今度は少し気を付けたほうがいい」

「はっ。肝に銘じます!」


 兵士との気まずい空気の流れる中、待っていると、庁舎へ戻った兵士が、眼鏡をかけた青年を連れて来る。


「こちらの者が案内しますので」

「こちらでございます、宰相様」


 焦げ茶の髪に小柄な体躯。

 少年と言っていい男に導かれ、建物へ入っていく。


「副団長とお約束が?」

「いや、実は用事はないんだ。早めに仕事を終えたから、弟の様子が知りたくなってね。アルバートはちゃんと副団長としてやっているか?」


 バサァァァという派手な音が聞こえた。

 そちらを見れば、書類をかかえた男がこちらを見たまま、書類の束を床に落としていた。


「平気か?」


 手を差し伸べようとすると、「だ、大丈夫ですから!」と慌てた様に言うが、ぜんぜん大丈夫そうじゃないので手伝う。


「あ、ありがとうございます。あのぉ……ふ、副団長のお知り合いの方、なんですか……?」

「弟なんだ」

「そ、そうですか……」


 まるで生まれたての子鹿のように震え始める。心なし、涙目にも見えた。


「だ、大丈夫か?」

「は、はい、し、失礼します……っ」


 書類を拾い集め、事務員は逃げるように立ち去っていく。


「……アルバートはそんなに怖ろしい存在なのか?」

「怖ろしいというより、畏怖と言ったほうが正しいですね」


(い、畏怖? あのアルバートが?)


 たしかに体格こそゲームとは違って立派に成長しているが、現実感がない。

 とてもオルティスの知るアルバートとは繋がらない。


(同姓同名の別人と間違えられてるんじゃないのか?)


 本気でその可能性を疑いたくなる。

 しかしそもそもこの世界線(と言っていいのか分からないが)におけるアルバートは屈強な体格をもち、男ぶりもよく成長し、ゲーム上とは大きく変化していることからしてオルティスの知識とは異なっているのだ。

 性格的に異なっていたとしてもおかしくはないが。


「ですが、副団長閣下は団長に次ぐ、騎士たちの憧れでもあります。なにせ、団長に次ぐオーラの使い手ですから」


 オーラ。それはいわゆる魔法にも似た力だ。己の中の気を練り上げ、属性を持たせた一撃として放つ力。誰もが使えるものではなく、己の気力を限界まで高められる特別な騎士──ソードマスターにのみ扱うことのできる、超常の力。


(たしかにゲーム中でも騎士団長は炎のオーラを使えたはずだな。でもアルバートにそんな設定はなかったはず)


 そんな現実とゲーム上との差異にひそかに唸りつつ、青年に連れられて行ったのは、訓練場である。

 広々とした空間に、軽装の騎士たちが真剣を手に稽古を行っていた。

 お目当てのアルバートは無表情で、その訓練に目を光らせている。

 その横顔はまるで触れれば斬れてしまいそうな鋭利な刃のよう。

 オルティスを出迎える、まるで犬のように無邪気な姿はそこにはない。

 と、不意にアルバートは右手をおもむろに挙げると、「やめっ」とアルバートのそばに控えていた騎士の一人が声を上げた。

 騎士たちは気をつけの格好で動きを止めた。

 アルバートは、ある一組の騎士の元へ近づいていく。


「貴様、なんだ、その腑抜けた剣は」


 怒鳴ってはいないが、静かな怒りを感じさせる声。

 思わず聞いているオルティスも、ぞくっとしてしまう。


「も、申し訳ございません、副団長……」


 声をかけられた、気の毒な兵士はブルブルと小刻みに震え、声も上擦っている。


「貴様が足手まといになることで、仲間が死ぬとは考えないのか?」

「か、考え、ます……」

「それでそのザマか」


 拳がとび、アルバートは自分よりもさらに頭一つ分も背の高いゴリラのような男を意図も容易く吹き飛ばした。

 男はすぐに立ち上がり、深々と頭を下げた。


「ご指導、ありがとうございます!」

「次、同じ腑抜けた剣を見せたら、これではすまないぞ。続けろ」

「は、はぃ!」


 再び木刀を使っての打ち合いが再会した。

 あの愛らしい推しの少年が何のためらいもなく、吹き飛ぶくらいの強さで誰かを殴れることにオルティスは衝撃を受けてしまう。

 もちろん騎士団は有事の際には他国と戦い、命のやりとりを行う軍隊だから、やっていることは何もおかしいことではないのだが。

 それから三十分ほどオルティスは稽古の様子を見守り、やがて「解散」と抑揚のない声でアルバートが命じると、「ありがとうございました!」と騎士たちは一斉に頭を下げた。

 ちなみにアルバートはあれから何人かの屈強な男を殴り飛ばした。


「あの、副団長。お客様です」


 立ち去ろうとするアルバートに、少年が遠慮がちに声をかける。


「客?」


 アルバートの目が、オルティスを捉える。

 オルティスは遠慮がちに右手をあげた。


「兄上っ」


 それまでの冷徹ともいうべき表情が一変し、アルバートが飼い主に駆け寄る猟犬よろしく駆け寄ってくる。


「仕事はどうされたのですか?」


 無邪気な笑みを浮かべ、アルバートが聞いてくる。

 さっきまでの落差がすごい。


「大仕事が一段落ついたから、お礼がてらお前の様子を見に寄ったんだ」

「烏どもは役に立ちましたか?」

「大いに。お陰で宰相府の風通しがだいぶ良くなった。明日以降はこれまで以上に仕事がやりやすくなると思う」

「それは良かったです。私の部屋へ行きましょう」


 アルバートに手を握られ、一緒に彼の執務室へ。

 部屋に到着すると席を勧められる。すぐに先ほどの少年がお茶のセットを運んでくる。

 そしてお茶を淹れようとするが、アルバートが「私がやる」と言って止めた。

 少年は「失礼します」と頭を下げる。


「誰も通すな」

「はっ」


 アルバートに命じられ、少年は硬い表情で頷く。

 二人きりになると、アルバートがお茶を淹れてくれる。


「陛下より頂いた茶葉ですから、美味しいと思います」


そうか、と相槌を打ちつつ、口にする。たしかに香りがすごくいい。


「美味しい」

「良かった」


アルバートはほっとしたように目尻を緩める。


前世はお茶というものをほとんど口にしなかったが、この世界に来てからは当たり前に飲むものだったから、すっかりお茶が無ければ落ち着かない体質になってしまった。


「なかなか厳しい指導ぶりだな。普段のお前と違うからびっくりした。命のやりとりをするから厳しい指導をするのは当然だけど、それをしているのがアルだと変な感じがした。俺が普段見ているアルとは別人だから」

「そうですか?」


(まさか、無自覚なのか?)


「ああ。俺の目ではいつもにこにこ笑みを見せてくれているだろ? 実はそれを見て、副団長としての職責をしっかり果たせるかってこっそり心配してたんだ」

「あいつらに笑顔なんて見せたってしょうがないじゃないですか。私の笑みは、兄上のためにあるんだから」


 そんなことをさらっと言ってのける。


「それは光栄だな」


 オルティスはそう冗談めかして微笑しつつ、紅茶を味わう。

 と、視線を感じて目をあげる。

 アルバートがにこにこしながらも、真剣な眼差しを注いでいる。


「冗談だと思っています?」

「いや、思ってない」

「良かった。忘れないでくださいね」


 その声にはどこか妙な甘い響きがあるように聞こえた。

 こうして会話をしていると、目の前にいるのが本当に推しのアルバートなのかと疑いたくなる。

 ゲーム上では性格まで変わってしまっているように思える。

 もちろんゲームのアルバートも、そして目の前のアルバートも、オルティスからしたら可愛いアルバートには違いない。

 と、ノックの音がした。

 笑顔をひっこめ、刺すような視線をアルバートは扉に向けると立ち上がり、扉を開けた。


「誰も通すなと……団長」

「宰相様がいると聞いてな。挨拶に来た」


 さすがのアルバートもジークフリートを相手には邪険にはできず、道を譲った。

 オルティスは立ち上がり、ジークフリートと握手を交わす。

 さすがは騎士だけあって、何気ない握手なのに、かなり力が強くて、少し痛い。


「宰相殿。こうして直接、言葉を交わすのは初めですね」

「そうですね。お姿は謁見の間にてお見かけしましたが」


 アルバートはじっとジークフリートを見つめている。

 それはどこか不機嫌そうに。

 そう、アルバートという主人公。ゲーム中ではかなり嫉妬深い。

 想い人が他の男と親しげに話しているだけでヤキモチを妬く。もちろんゲーム中のアルバートは小動物のような外見だから、愛くるしく、そこも素敵ポイントではある。

 しかし今のアルバートはすくすく育っているわけで、じっと見つめる眼差しの鋭さもあいまって、かなり迫力がある。


(……今はジークフリートルートを行っているようだから……いくら俺でも、思いを寄せる相手ジークフリートとの握手は気に入らない、ってところか)


 ジークフリートに向ける熱い視線に、オルティスの胸に鈍い痛みが走った。


「宰相殿。共に陛下を支える身として、協力していきましょうぞ!」


 ジークフリートは快活に笑う。


「そうですね。何かあった時にはお願いします、団長」

「アルバート。今日はもう帰っていいぞ。兄孝行をするといい!」

「ありがとうございます」


 ジークフリートは部屋を出ていく。


「団長殿はかなり豪快で友好的な人だな」

「そうですね。みんなからも慕われています。――兄上、手に汚れが」


 書類仕事の時にインクでもついたのかもしれない。


「どこだ?」

「拭きますから、手を貸して下さい」


 アルバートはハンカチで手をしっかり拭く。


「これで大丈夫です」

「ありがとう。本当に気の利く弟で助かるよ」


 そう思っていると、「今日はどこかへ外で食べませんか?」とアルバートから提案された。


「いいな」

「兄上と行きたい店があるので、そこへ」


 無邪気な笑顔をたたえたアルバートと一緒に、部屋を出た。

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