第7話 ボイコット
翌朝、オルティスは顔にあたる日射しの明るさと温かさに、ゆっくり目を開けた。
「おはようございます、兄上」
見下ろすアルバートが内緒話をするように囁く。
寝ぼけていた頭が一気に覚醒した。
どうやらアルバートに膝枕をしたまま、オルティスもまた寝落ちしてしまったみたいだ。
しかし今はなぜだか、オルティスがアルバートに膝枕をされていた。
いつの間に。
「……おはよう、アル。で、どうして俺が膝枕をされてるんだ?」
「さあ」
アルバートはとぼけるように肩をすくめた。
その笑顔はいたずらを成功させた子どものようにあどけない。
一体いつから寝顔を見られていたのだろう。
(見られて困るものではないけど、恥ずかしいな)
アルバートのように芸術的な目鼻の配置の美形ならばともかく、ぱっとしないモブ顔を見つめられるのは恥ずかしい。
「時間は?」
「まだ早朝ですから安心してください。宰相府から迎えが来るから、遅刻の心配もいりませんよ」
「……そういうものなのか」
さすがは国王に次ぐ地位。
「だからもう少し寝てていいですから」
「さすがにそうはいかないだろ」
オルティスが起き上がると、アルバートは「まだいいのに」と苦笑する。
「風呂に入ったり、支度もあるんだよ。アルだって騎士団に行かなきゃならないだろ」
「少しくらい遅れても大丈夫ですよ。兄上が都に来ていることはみんな知っていますし、大目に見てくれます」
オルティスは小さく溜息を吐く。
「遅刻の理由に名前を出される俺の身にもなってくれ。第一、今日から俺は宰相なんだから、そんなことで名前を出されたら立つ瀬がなくなるだろ」
「はあい」
アルバートは冗談めかして言うと、立ち上がった。
アルバートの子どもぽい姿に苦笑しつつ、オルティスは朝風呂に入り、しっかりと身支度を調える。
しっかり副団長の格好に着替えたアルバートと一緒に朝食を取っているうちに、宰相府から迎えの馬車がやってきた。
「それじゃ、アル。行ってくるよ」
「見送ります」
「子どもじゃないんだぞ」
「見送りたいんです」
「分かった」
玄関に二人で向かう。
「兄上、タイが……」
アルバートがネクタイを綺麗に整えてくれる。
「ありがと。──今日は初日だし、帰りは遅くなるかも知れないから、俺の事は待たずに夕飯は食べていてくれ」
「分かりました」
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、兄上」
オルティスが馬車に乗り込むと、馬車はゆっくり滑るように動き出した。
宰相府は王宮の一画にある。
宰相府の仕事は政策のとりまとめ、および、法案、行政命令の作成。
各省庁から聞き取り調査を行い、法律・政策の草案を作り、国王に提出する。
国王の裁可が得られれば、無事に法案として国中に通達されるのだ。
馬車を降りると、待ち構えていた役人の案内を受け、宰相の執務室へ案内される。
そこはがらんとしている。
文字通り、殺風景。書棚も何もからっぽ。
「待て」
オルティスは、失礼します、と帰ろうとする役人を引き留めた。
「どうして書類が一切無いんだ?」
「さあ、私に仰られましても」
「サイラス殿は? 引き継ぎくらいはあると思っていたんだが」
「私には分かりかねます」
「なら、宰相の補佐官を呼んできてくれ。彼から今、取りかかっている政策などを知りたい」
「補佐官殿は病欠でございます」
「なら、補佐官以外に事情が分かる者を……」
「申し訳ございません。私には分かりかねます。仕事がありますので失礼いたします」
木で鼻をくくるとはまさにこのこと。
いや、慇懃無礼という言葉のほうがしっくりくるか。
(完全な嫌がらせ、だよな)
宰相府は、今回の人事を承伏していない。
しかし国王の命令である以上は逆らえない。
だから、こういう形でボイコットをし、オルティスには部下をまとめる力がないことを示し、暗に罷免を求める、といったところか。
まさかこんな歓迎を受けるとは思わなかった。
しかしいつまでも空っぽな執務室を眺めても仕方がない。
部屋を出ると、宰相府の部署を見て回ることにした。
ボイコットをしているから、もしかしたら全員欠勤かと思いきや、役人たちはそのほとんどが出勤し、黙々と仕事をこなしている。
中庭にさしかかったところで話し声が聞こえてくる。
草むらの影に身を潜め、聞き耳を立てる。
「まったく勘弁して欲しいよな」
「そっちもか?」
「ああ。新しい宰相への抗議か何だか知らないけど、お貴族様たちは気楽でいいよ。ただでさえ仕事が遅いくせして、さっさと退勤して、遊びほうけてよぉ」
「本当だよ。割を食うのはこっちなんだよ。認可する上司はいない、かと言って仕事はどんどん押し寄せてくる……はぁ、胃が痛ぇ……」
たしか事前に宰相府について学んだところでは、行政官のほとんどは庶民で、試験を突破した者たちだ。
彼らをとりまとめるのは中級、下級貴族、それぞれの部署ごとの責任者ともなると上級貴族だ。
貴族たちは試験を経てはいない。いわゆる世襲でポストについている。
(たしか、サイラスルートだと宰相府の腐敗役人たちとの戦うっていうメインになるんだよな)
今じゃそのサイラスが行政の停滞を招いている張本人になってしまっているのだから笑えない。
前世の社会は貴族制がなかっただけ、この世界より多少はマシだったのだとしみじみ思う。
貴族でなければ役職につけない、どれだけ実績を積み上げても階級という努力ではどうにもならない壁に阻まれてしまう。
(無能な上司だと、下は苦労するんだよな。まさかこの世界でもそんな世知辛い現実があるなんて……)
オルティスは立ち上がると、そそくさとその場を立ち去った。
向かうのは、王の執務室。
アレクサンダー四世は世辞にも有能とはいえない王だ。
事なかれ主義なところもある。
しかしそんな王も、貴族たちの傍若無人ぶりを苦々しく思い、国王権力を強化したいと考えてはいるのだ。
オメトキア王国はかれこれ三百年近く続いている。
短命な王が続いた時期もあり、王はあくまで象徴的な存在で、国は貴族が中心になって運営されるべきであると考える議会派と呼ばれる貴族たちが台頭して久しい。
サイラスもまたそんな議会派と呼ばれる人間の一人である。
歴代の王たちは議会派貴族たちの力を削減し、王を中心とした政治体制に戻すべきという王党派貴族の力を増やそうと躍起になり、両派閥は飽くなき権力争いを続けていた。
その一環として創設されたのが、先々代の王の弟の血を引く、ブラッドリー公爵家だったりする。
王にとって現状は渡りに船。きっと食いつくだろう。
「陛下がお会いになるそうです」
控え室で待っていると、侍従が告げた。
オルティスが部屋に入ると、ふんぞりかえった国王に迎えられた。
「オルティス、どうだ。勤務初日は。順調か?」
オルティスは現状を洗いざらい報告する。
王の眉間の皺が深くなった。
「で、余に泣きついてきたのか? お前を宰相に抜擢したのは有能と聞いたからなんだぞ。そんなのでは先が思いやられる」
「泣きつきにきた訳ではありません」
「では、何をしにきた。現状を報告しにきただけか?」
「違います。陛下には私がこれからすることに賛同して頂きたいのです」
「何をするつもりだ?」
オルティスは自分の考えを打ち明けた。
最初は驚いて居た様子の国王も、少しずつ身を乗り出し、最終的には満面の笑みを浮かべていた。
しかしすぐにその表情が曇る。
「……だが、それを認めるとなると余への風当たりが強くなるだろう。その点はどうする? 厄介事はごめんだぞ」
自分の権力を強くしたいのに、厄介事は引き受けたくはない。
そんなのが王でこの国は大丈夫なのかと、ゲームをプレイしている時には思いもよらなかった感想が脳裏を過ぎった。
「ボイコットをしている連中の自業自得ですからその怖れはないでしょうが……。万が一そのようなことが起こった場合は、私が強引にことを運びすぎたと言って罷免してくださればよろしいかと。いわばトカゲの尻尾切り。自分が当初聞いていた計画とは違った、と。そうすれば私の暴走という形で議会派も陛下を追求できないでしょう」
むしろ罷免してくれれば大手を振って領地に戻れるから、そうして欲しい。
「……罷免……それは、うーむ……まずい」
「なぜです?」
「いや、それは……こっちのことだ」
「はあ」
たしかに有能な宰相であるサイラスを罷免しておいて、その後任がすぐにやめさせたのでは、任命した王の沽券に関わるのは分かる。
「分かった。とにかく、やるだけやってくれ。議会派のウジ虫どもに打撃を与えるチャンスであることに変わりはないんだからな!」
「ありがとうございます。では失礼します」
国王の了解が取れた。あとは必要な調査だ。
人員名簿とにらめっこしているうちに、気付けば日が沈んでいた。
そろそろ帰るかと王宮を出た時、見知った顔があることに気付く。
「兄上!」
「アル!? こんなところで何をしているんだ」
「一緒に帰ろうと思って、待っていたんです」
「一体いつから」
「一時間ほどです」
「そんなに!? もっと遅くなるとは考えなかったのか?」
「考えましたが、それだけ待てばいいと思いましたので」
「いくらなんでも」
「ご迷惑、でしたか?」
アルバートはしゅん、とする。
「そうじゃない。ただお前だって騎士団での仕事もあって疲れてるだろ」
「兄上の顔さえ見られれば、疲れなんてすぐに吹き飛びますから問題ありません」
(満面な笑みでそんな嬉しいことを言われたら、胸がキュンとするだろう!)
「……そ、そうか」
内心の喜びを噛みしめつつ、「じゃあ、帰ろう」と一緒に馬車に乗り込んだ。
「初日の勤務はどうでしたか?」
素直に言うと、きっと心配するだろう。
「宰相としての大仕事にとりかかっている真っ最中だ」
「さすがは兄上です。なにか手伝えることがあれば、いつでも仰って下さい」
(手伝えること、か)
「騎士団にはたしか、諜報を専門に行う部隊があったはず、だよな」
「ええ。『烏』ですね」
「その烏を借りたい。実は……」
喋ろうとするオルティスに、アルバートは右手で制する。
「説明は無用です。兄上が必要だと言うのなら、そうなのでしょう」
「一応、説明くらいは」
「誰が聞いているかも分かりませんから。知っている人数は最小限にするのは、騎士団の機密作戦を行う上での鉄則です。烏たちにもそのように申しつけておりますので、兄上は何をするべきかだけを彼らに伝えてください」
「そ、そうか?」
はい、とアルバートは笑顔で頷く。
この絶大な信頼は裏切れないとオルティスは思った。
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