第3話 王都へ

 オルティスは姿見の前で服を着替えていた。

 シャツを脱いで上半身裸になると、左脇腹に今も残る傷跡が目に入る。

 その傷に触れる。

 傷こそ残ってはいるものの、今は何も感じない。


(あれからもう十年も経つのか)


 傷に触れながらしみじみ思う。

 今や、オルティスは公爵家の当主だった。

 義父のフーバーは五年前に体を壊したのを機に、オルティスに跡目を譲り、田舎の別荘で療養を兼ねて引きこもっている。

 最初オルティスは後継者になることを固辞した。

 そもそもオルティスに公爵家の血は流れていない。

 まだ未成年ではあるが、アルバートというれっきとした嫡子がいるのだからと訴えたものの、


「オルティス、お前は立派な私の息子だ。血筋なんて関係ない」


 そこまで信頼してもらえたことが嬉しく、引き受けた。

 断罪される運命の悪役令息が公爵家当主になるなんて。

 とはいえ、アルバートを差し置いて公爵家の当主で居続けるつもりはない。

 あと一年。

 アルバートがこの世界の成人年齢──十八歳を迎えたら、全てを譲り、オルティスはこの世界のどこかでひっそりと暮らすつもりだった。

 そのための土地の購入等は、当主業務の合間で済ませてある。

 今、アルバートは王都へ留学している。

 本当はアルバートの成年式を見届けた上で別れの挨拶もするべきだと分かってはいるが、立派に成長した義弟が戻ってくるのを見たいと思うが、王都から戻って来る時のアルバートは攻略キャラを伴っているはずなのだ。

 お兄様と慕ってくれたアルバートが物語の進行上、仕方がないとはいえ別のキャラに心を奪われている姿を見るのは辛い。


(推しの幸せを願えない狭量なファンを許してくれ、アル……)


 置き手紙だけを残してひっそりと消えるつもりだ。

 服を着替えて食事を取りつつ、執事のイェーツから領地の状況、また領民からの訴えを聞き、緊急性のあるものに対して優先的に手を打っていく。


「川の氾濫については?」

「去年完成した堤のおかげで、今年の雨季の川の氾濫は発生しませんでした」

「良かった」

「想定よりも三ヶ月以上も早く堤が完成したのも。旦那様の功績でございます」


 この世界では、領民は強制労働させるための領主の持ち物という認識が当然だった。

 オルティスはその概念をまず変えるところからはじめた。

 農奴制を廃止し、各自に土地を与え、所有権や婚姻の自由を認めた。

 これによって彼らは自分たちのために土地を耕すようになる。

 税金さえ納めれば、余った農作物を自由に売買しても構わないということもあって、生産性が著しく高まった。

 農閑期で余剰が発生した労働力を活かすため、日当を支払う公共事業もおこなった。

 おかげで堤防はもちろん、街道の整備もかなり進んだ。

 オルティスが当主になってから公爵領の収入は飛躍的に高まり、余剰資金をさらに領地へ投資した。

 農作物の品種改良、貯水池の整備など。


「先代の御当主様も、オルティス様の手腕に非常に満足をしておいでです」

「それなら良かった。何かあればすぐに知らせてくれ」

「かしこまりました。それから、こちらアルバート様からでございます」


 差し出された封筒を、オルティスは受け取る。

 早速中身を検める。

 アルバートは五年前から、王都にある全寮制の騎士学校に留学していた。

 この世界の貴族の子女たちは王都の学校に通うことが義務づけられている。

 男子は騎士学校に、女子は家政学校に。

 留学が決まった時、アルバートはオルティスと離ればなれになりたくないと駄々をこねた。

 普段はしっかりしているはずのアルバートの姿に誰もが驚いた。

 それを説得したのはオルティスだった。


『お父様も使用人のみんなも、俺も、アルが立派な騎士になって戻ってきてくれるのを楽しみにしているんだ。だから寂しいかもしれないけど、頑張って行ってくるんだ』

『……僕が立派な騎士になると、お兄様は嬉しいのですか?』

『ああ。アルバートはきっと、この国、いや、この大陸一の騎士になれるって分かっているから』


 アルバートは留学することを承諾してくれた。

 オルティスはほっと安心した。

 ゲーム上では騎士学校で攻略キャラたちと出会うことになり、そこから個別ルートへ派生していく。

 騎士学校に行かなければ話が進まないのだ。


『お久しぶりです、兄上。お元気ですか? 王都の春は今年も美しいです。前回の手紙に書きましたが、私は今、近衛騎士団の副団長に抜擢され、団員たちと切磋琢磨しています。王都へ来る前は兄上に再びお会いできる五年後が永遠とも思えるほど長く感じられましたが、いよいよその時が近づき、いてもたってもいられません。本当は今すぐ馬を駆けさせ、公爵領へ戻りたいところですが、職務を放棄することを兄上は許してはくれないでしょうから、こうして筆を執り、気持ちを落ち着かせています。兄上とお会いする成年式が楽しみでなりません。あなたの弟、アルバート』


(推しからこんな素敵な手紙をもらえるとか、義兄冥利に尽きる……!)


 胸がいっぱいになり、感動を噛みしめずにはいられなかった。

 とはいえ、アルバートと会うことはない。

 再会を楽しみにしてくれているアルバートを悲しませることになるのは申し訳ないが、そのショックはきっと攻略キャラたちが慰めてくれることだろう。


(断罪される未来を無事に回避できたとはいえ、俺がただの端役であることに変わりは無いんだから)


 それからもオルティスは領地経営と同時進行でアルバートに権限を譲る準備を進め、雨期を過ぎ、季節は真夏を迎えたそんなある日。


「オルティス様、大変でございますっ」


 普段は冷静沈着なはずの執事が慌てて部屋に飛び込んできた。


「どうした。そんなに慌てて」

「王室から早馬が!」

「王室?」


 たしかに渡された書状の封蝋には、王家の紋章である火を噴くドラゴンが描かれている。

 中身を検めると、速やかに王都へ来るように、とのことだった。

 詳しい事情は何も書かれていない。


(おかしい。原作にはこんなことはなかった……)


 しかしそもそもオルティス自身が断罪される未来を回避している時点でゲームとは展開が異なっているのだから、予期せぬ出来事も起こりうるのか。


(……よりにもよってこのタイミングで王都かよ)


 王都へ行けば、アルバートと出会うこともあるだろう。

 別れがたいからこそ、顔を見ずに領地を去る計画をしていたのに、これでは何の為に苦労をしているのか分からない。

 かと言って王家の命令を拒否するわけにはいかない。


「すぐに王都へ出かける準備をしてくれ」

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