第2話 推しを救う(子供時代②)

 オルティスにとっての新生活がはじまると、積極的にアルバートと関わるようにした。

 断罪される未来を変えるためという目的なのはもちろん、単純にアルバートの悲しんだり苦しんだりする顔を見たくなかった。

 ゲーム中、アルバートはフーバーの知らないところでメアリーとオルティスによって徹底的に虐められ、それに意見をする使用人はメアリーによってことごとく解雇され、孤立していく。

 しかしそんなことはもちろんさせない。

 メアリーに何と言われようが、オルティスは決してアルバートをいじめることはなかったし、メアリーが強く当たろうとしようものなら積極的にかばった。

 メアリーの蛮行をやめさせようとフーバーに直訴もしたが、メアリーの手練手管に骨抜きにされているフーバーはオルティスが大袈裟に言っているだけとまったく取り合わなかった。

 使用人が言っても逆に、フーバーから「お前たち、メアリーの何が気に入らないんだ!」と不興を買い、クビにされてしまう始末。


「どういうつもりなのよ! どうして、あの小僧と仲良くしているわけ!?」


 部屋に戻るなり、メアリーのムチがオルティスの体を打った。

 痛みをこらえながら、メアリーをじっと見る。


「お母様は間違っています! 僕たちは公爵様のおかげで何不自由のない暮らしを送れているのに、さらに公爵家を乗っ取るような真似までするなんて……。僕はアルバートが好きなんですっ!」

「ふざけたことを言うんじゃないわよ! あんたは私の命令に従えばいいのよ!」


 散々ムチで叩かれ、メアリーは息を荒げながら「今度、邪魔をしたら承知しないわよ!」と部屋を出ていった。


(くっそ。あのババア、好き放題にやりやがって……しかしまずいよな。どうしたらいいんだか)


 フーバーに正気を取り戻させるのが最優先なのは分かっているが、難しい。

 録画機材でもこの世界にあればいいんだが、残念ながら存在しない。

 オルティスは救急箱を引っ張り出し、みみず腫れになった場所に薬を塗りつける。


「くうう」


 痛みに涙目なっていると、扉がこそっと開けられた。


「……お兄様、だ、大丈夫、ですか?」

「アルバート。大丈夫だよ」


 アルバートは駆け寄ってくると、「お手伝いします」と言って、利き腕の怪我に包帯を巻くのを手伝ってくれる。


「ありがとう」


 アルバートがちらりと上目遣いに見てくる。


「……どうして」

「ん?」

「どうしてそこまでしてくれるんですか? 僕をかばったら、お兄様が酷い目に遭うって分かってるのに……」

「守るって言っただろ。これくらいどうってことないから」


 オルティスはアルバートのふわふわのブロンドヘアを撫でる。

 アルバートは気持ち良さそうにウットリとした顔をする。


「だから心配しなくても大丈夫だから」

「……はい」


 それから数日後、事件は起こった。

 フーバーが領地の巡回で留守にしている時だ。


「オルティス様、大変です!」


 部屋で勉強をしていると、メイドが部屋に飛び込んできた。

 オルティスはメイドに連れられ向かうと、「私に意見するとはどういうつもりなの!?」とメアリーが金切り声を上げ、アルバートを仰向けに床に押し倒し、馬乗りになっていたのだ。

 すでにアルバートは何度か殴られたのか、唇から血を滲ませていた。


「お母様、何をしているんですか!」

「オルティス! あんたには関係ないわ! 口出しするんじゃないわよ!」


 関係ない? こんなとんでもない状況でそんな台詞が出てくるのが信じられなかった。


「正気じゃない」

「なんですって!?」

「こんなことをするなんて正気じゃないって言ったんだ! 強欲ババア、アルバートから離れろ!」


 オルティスは馬乗りになったメアリーにタックルを浴びせて押し倒すと「平気か!」とアルバートを抱き起こす。


「一体何が……」


 アルバートの目が大きく見開かれた。


「お兄様、逃げて!」

「っ!?」


 振り返ると、果物ナイフを手にしたメアリーが飛びかかってくるところだった。

 オルティスはアルバートを突き飛ばすと、メアリーの腕に飛びつく。


「裏切り者! 一体誰のおかげでここまで生きられたと思っているの! この恩知らずのクソガキィィィィィィィィィィィ……!!」


 メアリーは髪を振り乱し、半狂乱になった。

 オルティスはナイフを取り上げようと躍起になり、次の瞬間、左脇腹に衝撃が走った。


「あ…………」


 果物ナイフが左脇腹に深々と突き刺さった。

 みるみる服に血が滲んでいく。


「ち、違う。わ、私のせいじゃない! あんたが、邪魔をするから……私は悪くないわっ!」


 痛みと熱に、オルティスは膝を折り、その場に倒れた。


「お兄様!」


(ヤバ。何もできないまま、死ぬのかよ……せめて、アルバートの成長していく姿を見ていたかった……)


 意識が遠くなっていき、オルティスは意識を手放した。



 次に目が覚めた時、天井が見えた。

 お腹に重みを覚えて見ると、アルバートが、オルティスの体に抱きつくように眠っていた。


(俺は、メアリーに刺されて……)


 ここはオルティスの部屋で、今、ベッドに寝かされているようだった。


(……死なずに済んだのか)


 生きていた安堵感より、すぐそばに推しのアルバートがいることが嬉しく、思わず頭を撫でてしまう。

 子犬みたいだ。

 スマホがあれば、その寝顔を激写して永遠に残しておきたいくらいだ。


(スチールを越えた美しさってあるんだな)

 感動を覚えていると、「ん、んん……」とアルバートがかすかに呻き、ゆっくりと目を開けた。

 寝起きで焦点の合わない目に、オルティスの姿が映る。


「おはよう、アルバート」

「あ、あ……お兄様!」


 アルバートが抱きついてくる。


「いてて」

「あ、ごめんなさいっ」


 アルバートははっとしてすぐに距離を取る。


「大丈夫。少し痛むだけだから。あれから何が起こったんだ?」


 アルバートが教えてくれたところによると、刺されたオルティスは三日も目を覚まさず、アルバートは今まで付きっきりで看病をしてくれていたらしい。


「ありがとう、アルバート」


 頬を撫でると、アルバートはくすぐったそうに目を細め、オルティスの手を取り、


「無事で良かったです」と頬ずりをしてくる。

「……お母様は?」

「め、メアリー様は……」


 アルバートは気まずそうに目を反らす。

 あの女のことだ。

 今ものうのうと己の無実をフーバーに訴え、平然としているだろう。

 憎まれっ子世に憚るとはよく言ったものだ。


「――亡くなりました」

「は?」

「お兄様を刺したのがショックだったみたいで家を飛び出したんです。なかなか戻らないのを心配した使用人たちがほうぼうを探し回ったら……貯水池で……」


 原作ではたしかメアリーは、オルティスと一緒に断罪されるはずだ。

 その運命が変わった。メアリーは一人死んでいった。

 不謹慎かもしれないが、安心してしまう。


「自業自得だな」

「お兄様、ごめんなさい。僕のせいでお兄様が刺されてしまって」

「お前が罪悪感を抱く必要なんてない。悪いのは全部、あの女なんだから。それに、これからはもう怯えなくて済むだろ?」


 オルティスは心配させまいと、にかっと笑いかけると、アルバートは口元を緩め、頷いた。

 オルティスが目覚めたことを聞きつけたのか、フーバーが部屋にやって来た。

 さすがにここまでくるとフーバーもメアリーの蛮行を認めない訳にもいかず、これまでアルバートがメアリーから酷い仕打ちを受けていたことを信じなくて悪かったと謝罪してくれた。


(で、これから俺はどうなるか、だよな)


 オルティスは公爵家とは縁もゆかりもなく、あのメアリーの息子だ。

 もちろん前世のようにメアリーの悪事に荷担こそしていないが、そのあたりはどうなるのだろうか。


「オルティス。君のことはアルバートから聞いている。アルバートを守ってくれていたそうだね。すまない。君からメアリーのことは何度も聞いていたはずなのに、信じなくて」

「いえ……」

「お父様、お兄様がいなかったら僕はどうなっていたか分かりません。刺されていたのは僕だったかも。どうか、お兄様を追い出したりしないで下さい。僕の大切なお兄様なんですっ!」


(大切な、お兄様……)


 何度も脳内で噛みしめたい言葉。

 推しにここまで言ってもらえたことが嬉しすぎた。


(マジ感動だ!)


 フーバーは優しげに目を緩めると、「もちろん追い出すなんて考えもしてないよ」と言ってくれた。


「オルティス、君さえ良ければ、このままうちにいて欲しい。君が来てくれてから、アルバートは良く笑うようになったんだ。私よりもずっと、この子の信頼を勝ち得ている」


(そりゃ推しだからな!)


「ありがとうございます、公爵様」

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