第三十三話 浄血の間
「なぁニック。煙霧の里に立ち寄った時、地面が金属だったの覚えてるか?」ルキアは何かを思い出だした。そういえばあの時、ニックは確かに転んでいた。
ニックは少し考え込み頷いた。「うん。転んだ本人が忘れるわけがないよ。煙霧の里にも紅色の霧が現れたのは間違いないね。」
「そうだな。」ルキアは続けた。
「おいおい、お前ら全員、紅色の霧をまともに吸い込んで幻覚を見ただけじゃないのか?」フォノンは眉をひそめた。
全員ちゃんとマスクを装着していたことを覚えていた。ニックは左腕の包帯を巻いた腕を、これ見よがしにフォノンに見せた。
「この怪我は幻覚じゃないよ?」
「そんな怪我は幻覚みたいなもんだ。」フォノンは笑いながら言った。
「どっちにしても、これだけ色んな情報が一致するんだから、事実だろうな。」ルキアが言った。
「それにしても、紅色の霧の中には何かおかしなものが混ざっているようね。」ナイラは、鋭い洞察力で華幻の目に映る
「何か除去する方法ってないのかな?」
「ウイルスの一種だと思うけど、方法がないわけじゃないわ。」ナイラは考え込みながら、本棚から分厚い本を取り出し、ページをめくって目的の箇所を見つけると、隅々まで目を通した。
「そんなことができるんですか?」クラヴィスは話に食いついていた。
「これが何かのウイルスだとすれば、人間に戻れるかもしれないわ。証明するしかないわね。かなり昔の方法だけど。」
「チノや。『浄血の間』の準備をしてくれるかしら?」
「はい、おばぁ様。」チノは準備のために浄血の間へ向かった。
「折角だから、クラヴィスさんも見ておくといいわ。最近はこういう古い方法は流行らないらしいけれど。」ナイラは少し悲しそうだった。
シャーマンや魔女になる人数も、昔よりはかなり減ったらしい。と、いうよりやはりインチキだと思われているに違いない。それも、時代の流れというものか? 噂では金属の都で暮らす人間の持つ感覚が、鈍ってきているとも聞く。金属が人を変えたのか。人が金属に近づいたのか?
深く広がる青空に輝き浮かぶ太陽。初冬であるというのに、今日は珍しく温かい。アキホカのご神木である巨木の近くに、浄血の間として使っているコテージがある。浄血の間の中に入ると、人ひとりが寝られるスペースに上流の方から採ってきた浄化された土が敷き詰められている。四角いスペースの四隅には、封印石が四つ置かれている。浄血の方法は、以上の条件を満たしたうえで、聖なる香を焚き、三日三晩呪文を唱え続けるのだ。大変体力のいる仕事で、高齢のナイラには少し難しかった。
「クラヴィスさん、あなたがやりなさい。今の私の体力では三日は持たないわ。」
「え? 私がですか?」
「あなたしかいないじゃないの。自信をもってね。シャーマンも魔女も元をたどればルーツは同じ。魔女になる時に本か何か引き継いだでしょう?」
「この本ですね。」
「そうそう。この分厚い本よ。」ナイラは鼻にかけたメガネの上から本を眺めながら、呪文の書かれたページを探した。
「ここよ、ここ。この呪文を本を見ながらでいいから、三日三晩読み上げなさい。二日目くらいから、華幻の体に変化が起こり始めるはずだから。」
「さぁ。始めましょうか。」ナイラは言った。途中仮眠をとるが、この部屋にいるというから安心だった。何の変化も起こることなく一日目は過ぎた。
二日目の夜明けが近づく頃、クラヴィスの声はかすれ始めていた。
「ここまで来たんだから、絶対に成功させるわ。」自分に言い聞かせるように、クラヴィスの読み上げる呪文は中盤に差し掛かっていた。途中からは、同じ部分の繰り返しになる。
突然、浄血の間に冷たい風が沸き起こり、四隅に置かれた封印石が微かに光を放ち、華幻の体を囲むように輝きが広がり始めた。黒く淀んだ空気が華幻の体から漂い出すと、徐々に周囲を覆い始めた。
何の前触れもなく、華幻の体は狂ったように激しく震え始めた!
焔が華幻を上から押さえ続ける。やがて華幻の肌が金属の輝きを失い始めた。華幻の体が人間に戻る過程で、金属質の外殻が徐々に力を失ったのか、ついにその表面がバキバキと音を立ててひび割れ始めた。深い亀裂が次々と広がり、まるで堅牢だった鎧が崩れ去るかのように、金属質の欠片が砕けて地面に落ちはじめた。華幻の体からは黒い汚れが吹き出し、華幻を包んでいた金属質の殻は完全に崩壊した。
汚れはゆっくりとした動きで地面に染み込んでいく。呪文に反応し続ける封印石がさらに強い光を放ち、まるで心の汚れを浄化するかのように流れ出し、地面に吸い込まれていった。
「華幻!」クラヴィスは叫んだが、呪文を続けるのを止めることはできなかった。クラヴィスは、華幻が人間に戻りつつあるのがはっきりとわかった。金属質だった華幻の肌は、人間の美しい軟肌へと戻りはじめていた。
最後の呪文を読み上げるころには、華幻の体は完全に元の人間の姿に戻っていた。金属質の外殻がすべて消えたあと、華幻は静かに目を開けた。
仲間たち全員で、砂に埋もれたままの華幻を掘り起こした。急激な体の変化の影響で、わずかな体力しか残っていなかったのか、華幻は力なく微笑んだ。
「ありがとう」
華幻の目には仲間たちの顔が映っていた。目には涙が浮かび、安堵と感謝の気持ちが溢れ出していた。焔を見つめる華幻の表情には、言葉にできないほどの感情が現れていた。
「クラヴィス…ありがとう。私、もう人間の母親として焔を抱きしめられないと思ってたから。」焔は華幻の隣で、くっついたまま泣きじゃくっていた。
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