第二十話 魔女修行 ~弐~

 二度目の秋が訪れようとしていた。朝晩の空気はひんやりとしており、木々は赤や黄に色づき始め、魔女修行も後半戦に突入した。


 今日は特別な日だ。クラヴィスはその緊張感を抱きつつ、森の奥深くにある『精霊の湖』へと足を進めていた。この湖で精霊と交わることができれば、晴れて魔女として認められるのだ。これまでの長い修行の日々が、すべてこの修行のためにあったと言える。


 湖に到着すると、その静寂が空間を支配していた。森の奥に佇む湖面は、まるで鏡のようにクラヴィスを映し出し、その姿を静かに見つめているようだった。湖の中央にある小さな平岩に立ったクラヴィスは、心を落ち着けるために深呼吸をし、目を閉じた。クラヴィスは心の目で何かを感じ取ろうとしていた。


 一瞬、銀色に輝く湖面が微かに揺れたが、その動きはすぐに消え、再び静寂が訪れた。


 湖面に浮かぶ静かな波紋が、時間の流れを示すかのように広がり、消えていく。それはデジャヴのように何度も繰り返された。


「上手くいかない」と、クラヴィスの心に不安が広がりかけたが、クラヴィスはその雑念を振り払った。何度も練習してきた呼吸法を思い出し、再び集中を取り戻す。


「もっと、自分の呼吸を大地の波動と合わせなさい。自分が大地と一つになったと感じ取るのよ。科学的に考えたら、何も感じ取れないわ!」ツァローニの声が、湖の静寂を切り裂くように響いた。普段の穏やかなツァローニではなく、その言葉には厳しさがこもっていた。


 クラヴィスは大地と自らの鼓動を同調させるべく、呼吸を整えた。そして、自分の存在を空間に溶け込ませるように意識を集中させていく。まるで自分が自然そのものとなるように、湖と森、そして大地の一部であることを感じ取ろうとした。


 やがて、クラヴィスは自分と空間の境界が次第になくなっていく感覚を覚えた。それは修行によって鋭敏になった五感ですら捉えきれない、新たな感覚だった。世界が静かに変わっていくのを感じ取っていた。風が止み、鳥のさえずりや木々のざわめきすらも消え、すべてが静寂に包まれた。


 その静寂の中で、クラヴィスの存在がゆっくりと天地と一体化していくのを感じた。心臓の鼓動が大地の脈動と同じリズムで打ち始めた。


「始まったわね」ツァローニが呟いた。


 湖面が銀色の鏡のように輝き始め、その中心から水色の魔人のような姿が音もなく浮かび上がってくる。その光景は、まるで現実のものとは思えないほど幻想的だった。クラヴィスは驚きを覚えながらも、頭の中に直接語りかけてくる声に意識を集中させた。声は心の中で徐々に大きくなり、感覚を掴もうとする。


「我は精霊。人間よ、何ゆえ魔女となるを選ばん」精霊の言葉は穏やかで優しく、それでいて力強く、クラヴィスの心に深く響いた。


 クラヴィスは自分の内に秘めた望みを精霊に告げるときが来たことを悟り、その決意を言葉にした。


「私は力が欲しいのではありません。ただ、愛する者を守りたい。そのために、あなたと契約を結びたいのです」


 精霊は微笑みながらクラヴィスの言葉を聞いていた。その微笑みには、すべてを見透かしているような深い知恵が宿っていた。


「愛する者を守るという願いは、高貴なものなり。されど、そのためには宿命を背負わねばならぬ」精霊の言葉にクラヴィスは一瞬戸惑ったが、すぐにその気持ちは決意に変わった。


「宿命が何であろうと、私は受け入れます」


 精霊はクラヴィスの方に手を差し出すように、触手のような光の腕を伸ばしてきた。触手のように伸びた輝く液体にクラヴィスの全身が包まれていく。その水色に輝く透明な触手の内側では、光の線が激流のように流れ、渦を巻いている。外側は穏やかで湖面のように静かな波紋が広がっている。


 クラヴィスの身体が精霊に包み込まれていく感覚は、不思議と恐怖を感じさせない。むしろ、それは暖かく、安らぎを感じさせるほどだった。


 水色の触手が動きを止め、クラヴィスを青い繭玉のように包み込んだ。彼女は自分の存在が精霊と一体化していくのを感じ、世界のすべてが一瞬止まったように思えた。


「了解せん。我汝の望みを聞き届けん」


 青い繭玉の中で、精霊のエネルギーがクラヴィスの全身に満ちていく。体中の細胞の隅々にまで精霊の意識が染み込み、言葉では表せないほどの奇妙な感覚だった。まさに科学を超越した体験だ。


 精霊との契約がおわったのか、青い繭玉から伸びた触手は、糸がほどけるように水中に戻り、湖面は再び鏡のような静寂を取り戻した。


「やったわ」


 ツァローニは微笑みながら呟いた。もはやクラヴィスに何も教える必要がないことを感じ取っていた。目の前の光景は、ツァローニがかつて見た光景と同じだった。


「やっと、お師匠様と同じところに立てました」

クラヴィスは湖の上からツァローニの元に戻り、微笑んで言った。


「その言葉、とても嬉しいわ。なんだか、魔人になりたての頃の妹を見ているようだわ」

ツァローニは温かな微笑みを浮かべ、クラヴィスに優しく語りかけた。


「成功だわね」


 クラヴィスは魔女としての新たな力を感じ取ろうと、内面に意識を集中した。精霊との契約によって、自分の中に新たなエネルギーが宿り、目には見えない力の存在をはっきりと感じていた。それはこれまでに感じたことのない、確かな力だった。


「クラヴィス、力を使う方法は無限大よ。でも、その力を己の欲望のために使ってはいけない。使命感を持って使いなさい」とツァローニは真剣な表情で言った。


「はい、心得ています」


「さぁ、小屋へ帰りましょう。今日は十分に休むことが大切よ。明日からは新たな道が待っているわ」


 十分に休息を取ったクラヴィスは、次の日の朝、旅立つ準備を始めた。いつもより少し早く目が覚めた彼女は、ベッドを整えながら、突然頭の中に見たことのない情景が広がるのを感じた。


「あれ? この虫は昼行性だったはず……。何だか胸騒ぎがする。黒い何かが、みんなに近づいている気がするわ」

クラヴィスはベッドの上を這う虫を見つめながら、心に不安を感じた。


「それはね、虫の知らせというのよ。もしかしたら、ルキアたちのところへ急いだほうがいいかもしれないわ。何かよくないことが起こる前兆だから」


「はい、そうします。ルキアたちを探そうと思います」


 クラヴィスは急いで旅支度を整え、森の生き物たちがまるで新たな魔女を祝福しているかのように感じながら、そよ風に背中を押されるようにしてルキアの元へと向かった。

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