第21話 魔女修行 Ⅰ
「農作業ははかどってるかしら?」
畑で汗を流すクラヴィスの様子を見にツァローニがやって来た。クラヴィスは不平を言いたげな顔で振り返り、答える代わりに視線で訴えかけた。
魔女修行が始まって半年が経過していた。畑仕事と読書が繰り返される日々に、次第に飽きが生じていたのは明らかだった。ツァローニの意図はともかくとして、若いクラヴィスにはその日常が単調に映っていた。もっと充実した修業の日々が待っていると勝手に期待していたからだ。
「これのどこが魔女修行なんだと思っているでしょう?」
ツァローニは笑顔で問いかけた。
「どうして、わかるの?」
「顔にそう書いてあるからよ」
ツァローニは冗談めかして笑いながら言った。
クラヴィスは慌てて自分の顔を手で触ると赤面した。――どうやら本気で書いてあると思ったらしい。
「え? ウソ?」
戸惑うクラヴィスの反応に、ツァローニはますます笑みを深めた。
「畑作業だって魔女修行には欠かせない大切なことなのよ?」
ツァローニはやや諭すように話を続ける。しかし、クラヴィスの眉間の皺は消えない。
「うーん、納得いかない」
クラヴィスの唸り声が上がる。意味を理解し、納得するには、まだ時間が必要なようだった。
ツァローニはクラヴィスの前でしゃがむと、転がっている石をひとつ拾い上げた。ツアローニは、その小さな石を手のひらに載せるとクラヴィスの前に差し出した。クラヴィスが手渡されたのは、白い斑が目立つ小さな石灰岩だった。
「石はただ転がっているだけだと思う?」
ツァローニの唐突な問いに、クラヴィスは目を瞬かせた。
「え? 違うんですか?」
クラヴィスの声には疑念が満ちていた。
「じゃあ、少し面白い話をするわね。昔、石から学べと言った人がいたの。クラヴィスなら、その意味をどう捉えるかしら?」
その言葉には、試すような意図と新たな考えを教えたいという意図が込められていた。
「石から学べ、ですか? って、石は石よね」
ツァローニはクラヴィスに、優しい眼差しを向けながら言った。大多数の人間がこう答えるだろう。石は石だ。当然といえば当然だ。
「それは、一般的な考えね。では、こう考えてみて」
ツァローニは少し間を置いて言葉を続けた。
「石には何が含まれていて、何に反応し、何をどう変化させるの? どうしてその場所に転がっているの?」
クラヴィスはますます首を傾げた。まるで難解なパズルを解こうとしているかのようだ。
「考えたこともありません。難しい話ですね」
クラヴィスは正直に答えた。
「考え方の問題よ。多くの人が石はただの石だと思っているけれど、あなたとこの石は互いに影響しあっているの。微力だけど僅かな重力で引っ張り合ってもいるのよ」
ツァローニはやはり博識だ。
「同じ世界で生きているのだから、必ずどこかで繋がっていることは理解できます」
クラヴィスは、ほんの少しだが納得していた。
「質問してもかまいませんか?」
少し控えめだが、クラヴィスの確かな好奇心が感じられた。
「かまわないわよ」
ツァローニは穏やかに頷いた。
「『全ての答えは自然の中にある』と、いうことも繋がりますか?」
クラヴィスは慎重に言葉を選びながら質問した。
「あなた、いい言葉を知っているのね」
ツァローニの表情が柔らかくなった。
「父が教えてくれた言葉なんです」
ツァローニはクラヴィスの表情を見て、どれほど父親を大切に思っているのかを感じていた。
「その言葉にも必ず繋がるわ。きっとあなたのお父さんは、自然の力を信じていたのね。それは本当に大切なこと。今は失われつつあるけどね。自然の中では全てが完璧に循環しているし、人間はその仕組みを、利用しているだけなのよ」
ツァローニの声には、クラヴィスの父親への敬意が含まれていた。
クラヴィスは少し眉を寄せながら、ツァローニの話を聞いていた。言葉の意味を必死に理解しようとする、その姿勢は真剣そのものだった。
「話がそれていませんか?」
クラヴィスは、まだ全てを掴みきれずにいた。
「いいえ、全てひとつの話なのよ」
ツァローニは静かに首を振った。
クラヴィスの頭はますます混乱しているようだった。ツァローニは優しく微笑みながら言った。
「今日はこれくらいにしましょうか。だんだん目に見えないものも感じ取れるようになってくるから大丈夫よ」
「じゃぁ明日もまた、本を読んでから畑仕事を続けてね。石から学ぶ意味も、必ずそこにあるから」
ツァローニの言葉を聞いて、クラヴィスは深いため息をついた。
「はい」
クラヴィスは、素直に返事をした。
「一つだけヒントをあげるわ」
ツァローニは人差し指を立てながら付け加えた。
「はい」
クラヴィスの目が期待に満ちてきらりと輝いた。
「何でもね、その仕組みを理解することが大切よ」
ツァローニの声には、魔女としての深い知識と愛弟子に対する愛情が込められていた。
「仕組み……ですか」
クラヴィスはその言葉を反芻しながら呟いた。
その日の作業を終えた後、クラヴィスは夕飯を食べてから自分の部屋に戻った。部屋に戻ったクラヴィスは、さっそく本を読みながらツァローニの言葉を何度も思い返していた。「仕組み」という言葉が、クラヴィスの頭の中で繰り返される。
「端末で調べた方が早いかも」
クラヴィスは一瞬、便利なデバイスに頼ろうと考えたが、どうもしっくりこない。
――わたしは紙のほうが向いてるはずだと、クラヴィスはノートと鉛筆を取り出すと、マンダラートを描くように思いつく限りの単語を並べて線で繋げていった。クラヴィスの頭の中で、様々な考えがふくざつに交差していく。
「石の成分、ケイ素。微生物の反応温度や条件。存在? 父? 畑? 魔女? わからない。今日はヤメ!」
クラヴィスは頭を抱え、心の中でモヤモヤを感じていた。
クラヴィスは、自分の限界に苛立ちを感じていた。解き明かそうとする意志はあっても、手がかりを見つけ出すことができず、焦りばかりが募ってしまう。何かを掴みかけても、すぐにそれが霧散するかのように手から滑り落ちていく感覚がした。もどかしさと混乱が、クラヴィスをイラつかせていた。
翌朝、早く目が覚めたクラヴィスは、目の下に薄いクマを作りながらも、ノートを覗き込みぶつぶつと呪文のように独り言を繰り返していた。クラヴィスの中で、何かが少しずつ繋がり始めている感覚があった。
「仕組み。物理かしら。物理を知るなら化学も知らないと。全てを応用したものが科学よね。でも、自然を知らないと駄目よね。全て? あ! わかった!」
頭の中の霧が晴れるような瞬間だった。
クラヴィスはツァローニを探した。野菜を収穫しているだろう畑へと駆けていった。「わかった! わかった!」と、子供のように叫びながら。
クラヴィスの心は興奮で高鳴り、足取りも軽やかだった。クラヴィスの脳裏には、ひとつの壮大な図式が広がり、それまでの断片的な思考がひとつに結びついていく感覚があった。
「落ち着きなさい。それで、答えは何だったの?」
ツァローニは、息を切らせて駆け寄ってきたクラヴィスの答えに耳を傾けた。
「石から学べということは、全てを学べということです!」
クラヴィスの声は、確信に満ちていた。
「素晴らしい答えね。それがあなたの答えね?」
ツァローニの声は穏やかで温かい。クラヴィスの成長を見守るように聞いていた。クラヴィスは「はい」と、力強く言い切った。
目の前の大地、空の青、石の冷たい温かさ、それら全てがクラヴィスに語りかけているかのようだった。
「魔女になるには、森羅万象、世界の流れを把握しなくてはならないの。本の方は読破できた?」
「今日中には、読み終わります」
「本を読み終えたら、学科は終了ね。明日からは実技に入るわよ」
ツァローニは弟子の成長を見守るようにやさしく言った。
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