第八話 運命の本
ルキアとクラヴィスは怪しい小屋の前に立っていた。魔女の小屋だという確証は無かったが、ここに来るまでそれらしきものは何処にもなかった。森の中は同じような景色ばかりで、目印となるようなものは何もなく、当たり前といえば当たり前の話だった。
クラヴィスは、ルキアの後ろに隠れるように立っていた。ルキアは諦めたような表情で、恐る恐るドアノブに手を伸ばす。
扉をノックしようとしたとき、裏庭の方から二人を呼ぶ声がした。
「二人とも、こっちへいらっしゃい」やさしい女性の声色に二人は驚いた。
「どうして、二人だってわかるんだ?」
二人は優しい声色に安堵した。そして小屋の裏手へと向かった。
庭を兼ねた広い畑の端っこに、大きなキノヒの木が立っていた。一般的な畑というよりはむしろ草原といったほうが正しいくらいだ。さまざまなハーブたちが、心地よい香りを放ち、通路にあたる部分を包み込んでグラウンドカバーとなっている。
長い黒髪を赤い紐で一つに縛った細身の女性が、しゃがみ込んでハーブを丁寧に収穫していた。女性は収穫している手を休め、二人にやさしい眼差しを向け軽く会釈した。ここまで導いてくれた『導きの蝶』は、あやかし森の魔女らしき女性の近くの花にとまっていた。
「あれ? 母さんにソックリ………。ホクロの位置までおんなじ。けど違う。でもなんで?」魔女を見るなりクラヴィスは、娘の自分が見間違えるほど、母と魔女が似ていることに驚いた。魔女はチラリと蝶の方を見た。
「あなたが、あやかし森の魔女さんですか?」黒髪の女性に尋ねた。
「ふふ。私があやかし森の魔女さんですよ」魔女はやさしく蝶をいたわるように、羽根の上に手をかざしながらいった。
「この蝶はね『導きの蝶』と言って、邪悪な心の持ち主からは見えないようにしてあるの。ここへ来るための試験のようなものかしら」
二人がもう一度「導きの蝶」に目をやったとき、金色に輝いていたはずの蝶は唯の四枚の落ち葉に戻っていた。落ち葉に戻った「導きの蝶」には驚いたが、魔女が恐ろしい老婆だと思い込んでいた二人は、世の噂とかけ離れていた魔女の美貌にも驚いた。ルキアとクラヴィスは、魔女というのが出刃包丁でも握りしめた老婆だとしか考えていなかったのだろう。先入観というものだろう。
「あなた達がここへ向かっていることは解っていたわ」
「なぜ、そんなことが分かるんですか? 森の中に太古のカメラでも付いてるの?」クラヴィスはそう言いながら、小屋の壁や柱をキョロキョロと見た。
「いいえ。魔女には機械の力は必要ないの。モノには目には見えない力が働いていて、この森の全ての生き物達が、力の動きを感じるとそっと伝えてくれるの」魔女はクラヴィスが手にした本に目をとめた。
「それ、見せてくれるかしら?」ツァローニは、クラヴィスのほうへ手を差し出しながら訪ねた。
「はい。実は、この本のことを相談しに来たんです」クラヴィスはそう言いながら分厚い本を手渡した。
肌寒い風が、体を包む。クラヴィスは「クシュン!」と、軽くクシャミをした。
「寒かったわね。中で話を続けましょうか」ツァローニは、二人を小屋の中へと案内した。小屋へ入ると温かなオレンジ色の光が迎えてくれた。
「パチン。パチン」美味しそうなシチューとハーブティーの香りが部屋の中に広がっていた。暖炉から聞こえる音が、不規則だが心地よいリズムで静かな空間に響いている。二人は落ち着いた色合いの木製テーブルを囲むように座ると、珍しそうに部屋を見回した。壁には数枚の古びた写真が飾ってあった。
「私は、魔女のツァローニ。よろしくね」
「私はクラヴィス、こっちはルキア」二人は軽く会釈した。
「この本には、とても大切なことが書かれているの。今はこういう状態だけどね」ツァロー二は、クラヴィスが渡した本をペラペラとめくった。
「そうなんです! 今日はその本のことで伺ったんです。文字化けのように、文字の羅列が並んでいるだけで。やっぱりこの本のことを知ってるの?」クラヴィスは正直に尋ねた。
「まぁ。ハーブティーでも飲んで落ち着いて?」クラヴィスはハーブティーをゴクリと飲んだ。
「ああ。おいしい」クラヴィスは「ほっ」と、ため息をついた。絶妙なブレンドのハーブティーだった。テーブルの上に最初から置いてあったハーブティーは、驚くほどにちょうど良い温度だった。
「この本に書いてある原文を書いたのは、私のお師匠様なの。この本にはね、自然界の理や、物事の本来の役割、雲寄せの秘技、水や草や砂を使った解毒の法則などが記されているの。いうなれば魔女の教科書ね」やさしい声のトーンとは違い、目つきは真剣だった。
「ふーん」クラヴィスは不思議そうな顔で聞いていた。
「ところで、この本をどこで手に入れたの?」ツァロー二はクラヴィスに尋ねた。
「ホドラ古書店という古本屋さんから戻ったあとに、本が入れ替わっていたんです。知っている方の本でしたら、お返しします」クラヴィスは正直に答えた。
「いいえ。私には私に与えられた本があるから。それにね。この本は、あなたを持ち主として選んだの。だから、あなたが持っているべきよ。あにたにはその資質もあるしね」
クラヴィスの胸の鼓動は、だんだん高鳴ってゆく。
「資質?」魔女になるような人は、奇妙なことを言うのだと思いながらも、クラヴィスは本に選ばれたという言葉に、少し胸がドキリとした。
ツァローニは本の上に手をかざし、薄い唇をかすかに動かし何かを唱えた。本の表紙の上に描かれた魔法陣の上を緑の線が光を放ちながらなぞっていった。
「これで読めるように、なってるはずよ」ツァロー二は、クラヴィスに本を返した。
「あ! 普通に読めるようになってる!」クラヴィスは夢中になってページをめくる。本に慣れ親しんだクラヴィスでも、少々難しい文章ではあったものの、あれだけバラバラに並んでいた文字が複雑な意味を成しているのには驚いた。本の虜となっていたクラヴィスを呆れたようにルキアは見ていた。
気づいた頃には、辺りはすっかり日が暮れて、薄闇に包まれていた。
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