第六話 酒宴の後で

 親友であるマグナとフォノンが、別れの酒宴を終えてから、数日が経過したある日の冷える明け方のこと。


 隣の部屋で寝ているはずのクラヴィスが、真夜中にルキアの部屋の前で両手で顔を覆ったままで、わんわん声を出して泣いていた。しばらく泣いていたようで、まぶたが少し腫れている。


 子共のように泣き続けているクラヴィスの声が頭の奥に届いたのか、ルキアはスッと目を覚ました。


「また、行方不明になったお父さんの夢を見たの?」


「うん」と、クラヴィスは返事をした。


「寒いから。早く中へ」クラヴィスは泣きながら部屋の中へ入った。部屋へ入るなり、温もりの残る毛布を掴むと、ベッドの端で膝を抱えて丸まった。


「ちょっと。まってて」窓から差し込む月明かりを頼りに、机の上のランタンに火を灯した。ランタンへ伸びるルキアの手の影が、木で作られた茶色い壁に灰色の影を映している。机の上に置いたままのポットの中に残ったミルクをカップに注いだ。


「飲めば、きっと落ち着くから」ルキアはそういうと、クラヴィスの前にミルクの入ったカップを差し出した。クラヴィスは、ゆっくりカップの中身を飲み干すと、「はぁ」と、深くため息をつきながら、カップをおいた。


少しのあいだ、二人は静かに黙っていた。しばらくしてからルキアは、落ち着きを取り戻したクラヴィスにそっと話しかけた。


紅色べにいろの霧について、もっと調べてみよう? ニックも力を貸してくれるだろうし」クラヴィスはルキアを信じて静かにコクンと頷いた。


「今まで色々な本を読んだけど、紅色べにいろの霧のヒントにすら行き着かなかったわ」クラヴィスは隙間風に揺れるランタンのともしびを見つめた。


炎がほんの一瞬揺れたとき、父と山奥で野営したときの出来事を思い出した。



―――鳥のさえずりが響く木々の隙間から、雨上がりの柔らかい日が差し込んでいた。湿った土の香りが漂っている。斜面のあちらこちらから、苔に包まれた石が飛び出している。


 二人が歩くたび、スパイクのついた靴底が斜面を削り土を跳ね上げた。


 クラヴィスの父親はゆっくり歩を進め、ときどき立ち止まっては愛娘の方を  振り返り、言葉をかけた。山道を包んでゆく夕日と共に、ゆっくり斜面を登っていった。


「クラヴィス。そこ滑るから気をつけなさい」


「はい。父さん」幼いクラヴィスは父のあとを追いかけた。


 その時だった!


「あっ!」石を踏みこみ全体重がのった瞬間、苔のついた石に足を滑らせた。幼いクラヴィスは、ザーッと斜面を滑り落ちた。反射的に折れ曲がった木から飛び出た折れて尖った枝をつかんだ。小さく柔らかな手のひらは、簡単に切れた。

 

 声を聞いた父親が駆け下りてゆき、後悔したような眼をしながら幼い我が子を抱き寄せた。


「見せてみろ」父親は駆け寄ると、泣き続けているクラヴィスの傷口を真剣に覗きこんだ。


「キズはそこまで深くないから。ここでまってなさい」そう言い残すと、木に目印を付けたあと、素早く木々の中へと消えた。


父親はどこからかリドタイの若芽を取ってきた。手でクシャクシャにした葉をクラヴィスの傷口にあてた。父親は自分の靴紐を外し、破り取った自分のシャツの切れ端で娘の切れた傷口を縛りつけた。縛ったシャツから薄っすらとした鮮血が滲んだ。


「これで大丈夫だ。こうやって、シャツの上から暫くグッと押さえていなさい。そのうち必ず血は止まるから」幼いクラヴィスは傷が痛くて泣いたというよりは、初めて山で怪我をしたことに驚き泣いたという感じだった。


だんだん薬草の成分が効いてきたのか、思っていたより早く血が止まった。


「いいかいクラヴィス。この世界を創りだした神様はね、自然の中で怪我をする誰かのために初めからそういう植物を作ってくれてあるのだと、父さんは思っているんだ。『あやかし森』に住んでいる魔女ならもっといろんなことを知っているかもしれないよ」


「まじょ?」


「うん。大地や自然と深いつながりを持った魔力を身に着けた人のことだよ。いつか機会があったら森にいる珍しい『導きの蝶』を探してみなさい。きっと、魔女のところへ導いてくれるから」


「へー。お父さんっていろんなこと知ってるんだね」


「ハハハ。まだまだ勉強中さ。もっとお前と一緒に自然を学ばないとなあ」そういって、クラヴィスの小さな頭をポンポンと軽く叩いた。


「最近は、自然の力を信じる人も減ってしまったけれど、『すべての答えは自然の中にある』と、いうことを、よく覚えておくんだよ。いつか必ず役に立つから。いいね?」


「うん。忘れないよ。父さん」その時、父が教えてくれた言葉の真意はわからなかったが、その言葉だけは幼いクラヴィスの心深くにくっきりと焼き付いた

―――


 暖炉に焚べてあった、ゆったり燃える薪の中の方から、空気が弾けるような音が聞こえて、クラヴィスは我に返った。


「すべての答えは自然の中にある・・・」クラヴィスは無意識のうちに、父に教えられた言葉を口にしていた。


「そうだ! ありがとう。父さん!」クラヴィスは父の言葉を思い出し、いきなり何かを思い出したように立ち上がった。


 確証は無かったものの、自然を突き詰め調べてゆけば、必ず答えに行き着くのだとクラヴィスは直感的に感じた。自然の仕組みに従えば、紅色の霧と父親の失踪事件は必ずどこかで繋がると思った。クラヴィスは、唯の推測を確実なものとするためには、もっと推論と事実を裏付けてゆく必要があると考えた。


「今日ね、面白そうな本を手に入れたの」クラヴィスは隣の寝室へと走っていって、カバンを手にして戻ってきた。カバンの中身を確認すると不思議な顔をした。


「どうかした?」


「あれ? おかしいなぁ。こんな本を買った覚えはないんだけど。わたしがホドラ古書店で選んだ本は、『赤と霧』ってタイトルだったんだけどな」そういいながら、分厚い本の表紙の真ん中あたりをみると、魔方陣が描かれていた。どうやら魔法に関する本のようだ。 

 

 もう一度、よくカバンの中身を確認したが、買ったはずの本はどこにも見当たらない。


 仕方なく、分厚い本を開いて少しだけ読み進めてみた。ペラペラとページをめくって確認したが、ページの中に書いてある文字の意味はわかるのだが、文字の順番がごちゃごちゃになっていて、さっぱり意味がわからない。何度となく読み返してみるが、無意味な文字の羅列が並んでいるだけだった。


「この本、魔法陣が書いてある。『あやかし森』にいるといわれる魔女なら何か知ってるかも。まだ住んでいるはずだって、父さんが言ってたわ」


「森って言ったってかなり広いよ。いったいどうやって探すんだよ」


「魔女のところまでは、『導きの蝶』がどうとかって言っていたのを覚えてるわ」


「どうとかって?」


「うーん。ここでじっとしているよりは、動いたほうが早いと思う」クラヴィスの時折見せる決断力の早さには、いつも脱帽させられた。


「今週末にあやかし森へ行ってみようか」


「ええ」二人は今度の週末にあやかし森へ行くことを決めると、そそくさと布団にくるまり眠りについた。

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