第三話 ホドラ古書店

 色づき始めた木々の葉が、涼しい秋風の中で揺れている。虫の羽音や鳥のさえずりが響き夏の余韻の残る中、古めかしい家の縁側で、ひとり静かに瞑想をしている少年がいる。細身で筋肉質の少年は、十四、五歳といったところか。


 母親ゆずりの赤毛の少年から漂っている雰囲気は、刀術の鍛錬により身についたのか、年齢の割には意外にも落ち着いている。少年は父の勧めで幼い頃から刀術を始めたらしい。


 見え隠れしている額のアザは、一見するとケガのようにも見える。確か父親であるマグナの額にもそっくりのアザがあった。


 少年は五感を研ぎ澄まし、意識を自分の内面に向けている。少年は身動き一つしないで集中していた。

 いつもであれば、一緒に鍛錬をしているはずの師匠でもある父マグナが今日は珍しくそばにいない。どうやら留守にしているようだ。母ローズが言うには、フォノンおじさんとの、最後の飲み会に出かけているらしい。


 刀術の腕前の方はというと、まだまだ父の足元に及ばないものの、かなりの腕前であった。少年の素直で負けず嫌いな性格は成長の糧にもなっていた。父の様なレイスハンターになりたくて、愚直なまでに鍛錬に打ち込んでいた。

 正規のレイスハンターになるには、十五歳という年齢制限が邪魔をしていて、ギルドへの登録はまだ済んでいなかった。小遣い稼ぎも兼ねてだが、たまに父親の討伐に同行していた為に、実戦経験が全くないというわけではなかった。


「ルキア。 クラヴィスと一緒に、父さん達を迎えに行ってくれる? クラヴィスのほうは、いつもと同じで怪しいホドラ古書店に居るハズよ。父さんとフォノンおじさんは、飲むときはいつも『ハンタクロス』と決めているから」ローズがいった。


 ローズの考えでは、ルキアが迎えに行くということは、返事をする前から決まっていたようだ。ルキアは静かに息を吐き終え瞑想に区切りをつけると、出かける準備をはじめた。


「わかったよ、母さん。ホドラ古書店に寄ってから酒場に向かうよ」ルキアは先に二歳年上のクラヴィスを探しに街の裏路地にあるホドラ古書店へと向かった。クラヴィスは暇さえあれば、昔ながらのホドラ古書店へ、掘り出し物を探しに行っていた。


「ホドラ古書店は、こっちから行ったほうが近かったっけな」ルキアは、家の庭を抜け細い裏路地に入った。裏路地は、街の万が一のためにと昔の人が意図して作ってくれたモノで、街の入り口まで抜けることができる街の住人しか知らない道だった。


「ここを通るのは、何年ぶりだろうか」ルキアは心の中で過去を思い出していた。裏路地を抜けていく途中、少しだけ幼馴染たちと遊んだ懐かしい記憶がよみがえり、静かな路地の中に残った懐かしい雰囲気を感じていた。街の喧騒から離れたこの裏路地は、まるで別の世界のようだ。


 裏路地を真っ直ぐ進んで右横へ抜けた先に、大通りがあった。大通りへ出る手前のカーテンの半分閉まった店が、クラヴィスお気に入りのホドラ古書店だ。クラヴィスは珍しい水色の長い髪で、丸眼鏡がよく似合う。今日は珍しくスカートを履いている。どちらかといえば地味だが可愛いらしい女の子だ。目が悪いのは、読書のし過ぎが原因なのは言うまでもない。


 ルキアは偵察でもするように、無言で窓の外から店内を覗きこんだ。薄暗く怪しげな、ずっと前から存在している古風で趣のある古書店の店内は、石畳の床にそのまま直に本が置かれていた。置かれているというよりは、積み上げてあるといったほうが正しいだろうか。無造作に積み上げられた本が今にも天井に届きそうだ。


 目をつぶったままじっとしている店主のおだやかな瞳は、奥まで続く本の山に向けられている。古書店というよりは、むしろ本専用の大きな物置といったほうが、よく合う表現かもしれない。


 ルキアは休日にこの店を訪ねてくるだろう客の数は、こんな感じなのだろうと推測していた。店内にはクラヴィス以外に客の姿は見当たらない。客からすれば空いた店内というのはとても快適ではあるものの、いつ大好きなホドラ古書店が跡形もなく消えてしまうのかと心配で心配で夜も眠れない。


 老店主は恩給を貰って暮らしているようで、趣味で古書店を営んでいるようなものだった。老店主からすると、生命維持装置といったほうが正しいのかもしれない。


 ホドラ古書店に積み上げられた過去と消えゆく本の中には、世界の真実が隠れていることが多いことを、クラヴィスは知っていた。しかし、最近の若者には真実の書かれた本より機械に打ち込まれた本のほうが好まれるらしく、物理的な本そのものが消えていこうとしている。


 いつしかホドラ古書店のお得意様となっていたクラヴィスは、昔ながらの古書店のほうが、素晴らしい本と出会うには一番よいのだという自分なりの答えに行き着いていた。そんな話をルキアによく話していた。


 ルキアは「コンコン」と窓ガラスを叩いたが、老店主との会話に夢中になっているクラヴィスの耳には全く届かないようだ。ルキアはホドラ古書店の正面へと回ると、入り口のドアに手を伸ばした。


「おじゃましまーす」そういって、古書店の正面のドアを静かに開けて中に入った。ルキアは、そおっとクラヴィスに近づいていった。


 クラヴィスは老店主と楽しそうに話し込んでいる。ルキアはクラヴィスの手にした本のタイトルに目を留めた。「ゼロの革命」と書いてある。どうやら、二人は難しい話をしているようだ。「ゼロの革命」という言葉自体、過去に起こった特定の部族が狙われた大量虐殺だということくらいは、歴史好きな母ローズに聞いて知っていた。


 クラヴィスは、今にも崩れてきそうな本の山に埋もれながら話をしている。老店主との会話がひと段落したのか、難しいタイトルの本を本の山に戻すと、また店内をウロウロし始めた。まるで宝探しに夢中になっている子供のように、幸せそうな笑顔をしながら、まだ出会わぬ本を探し始めた。クラヴィスは、積み上げられた本の中から「赤と霧」という本を手に取り、ぺらぺらと確認しはじめた。どうやら今日の一冊は、「赤と霧」という本に決めたらしい。


「クラヴィス。父さんを迎えに行くよ」トントンと肩を叩かれたクラヴィスは、ルキアのほうへ振り向いた。

「あ。ルキア。今日もいい本見つけたの。いま、会計を済ませてくるから、ちょっとまっててくれる?」そう言うと、悩みぬいて決めた『赤と霧』を手にとると、老店主の座るレジへと向かった。

「いつも、ありがとうね」老店主は、クラヴィスの方にしわくちゃな笑顔を向けてそういった。

「こちらこそ。いつも、貴重な本をありがとう」クラヴィスは、こころの奥からの感謝を口にした。

カバンの口を広げて会計の終わった本をしまおうとした時! 


 肩に掛かっていた紐が外れた。


 カバンが塔のようになっていた不安定な本の山を、引っかけながら倒した。隣に立っていたルキアも両手をさっと伸ばしたが、本の山は崩れた。二人は、落ちたカバンの近くに散らばった本を拾っては、積み上がっている本の上に戻した。

 膝をついて本を拾っているクラヴィスのおしりのラインが目に留まった。突然、クラヴィスが後ろを振り返った。


「今、私のおしり見てたでしょ?」

「え? あ? いや」ルキアはさっと目を下へとそらして、見なかった振りをした。「まあいいわ。ニックが見たなら間違いなくビンタしてたわ」クラヴィスは、そう言いながら、スカートの裾をひっぱった。


「ねぇ、前から不思議に思ってたんだけど。クラヴィスは、どうして端末で本を読まないの?」クラヴィスの脇でルキアが尋ねた。

「だって、なんだか紙媒体の本の方が理解しやすい気がするの。それに、紙の本には真実に近いモノが残されていると思ってるから」クラヴィスは答えを返しながら、カバンを拾って立ち上がった。

「そういう考え方は面白いね」


 二人は老店主に会釈をしてからホドラ古書店の扉を静かに閉めると、マグナたちのいる居酒屋「ハンタクロス」へと向かった。



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