第二十四話「暗殺者」
傾く身体を起こされ、もう一度食らって、頭を蹴飛ばされたのだと理解した。
更に数度、同じ方向から同じ衝撃を加えられ、方向が解らなくなる。
意識が戻ってから、意識を失っていたのに気づき、締め上げて割り潰すような、酷い頭痛に小さくうめいた。
痛みを全身で拒絶するような、嫌悪感に酸っぱいものが込み上げ、平衡感覚を失って、勝手に身体が転がる。
「入れ」
二人分の足音が遠ざかる気配と、近付いてくる軽い、別の足音。
「敵だ、殺せ」
聞こえているのはモズの声だけだ。
もちろん、この可能性を考えていないわけがない。
顔を起こせず無様に肩だけよじり、モズを探す。
「ミハ、ル、と……ちが、て……おれは、自分でここに、来たんだ、……足が、つかないとでも、もう、のか」
「ああー、なるほど。それはそうだよな」
革靴の足音が移動して、頭より向こうへ動くのを、食いつくように追う。辛うじて、目だけで。
「先生、授業のお礼に私からも教えるよ」
顔を睨みつけてやりたいのに、靴の先しか見えない。
「殺人の立証に絶対必要なものが、ひとつだけある。なんだと思う?」
なんだ、つまらない、と明後日に思った。
答えは知っている。
「被害者だ。つまり、死体だ。死体がなければ犯罪自体を見つけようがない」
ミステリ小説でも今時そこを取り沙汰さないだろう。
「そして、私には、この最強カードを持った味方がいるんだ」
「いッ!」
反射的に動いてしまって、先に痛みで声が出た。
身を捩って、モズではなく足元の方向を振り返る。
声ひとつ、物音ひとつ立てないが、今、モズが命じた相手がいるはずだ。
黒尽くめだと思ったが、濃いグレーかもしれない。
明るいところだとよく見えた。
目深にかぶったフードで顔を隠し、ブーツに、同じ色のボトムスと、意外にもパーカーじゃなく、コートかマントのような上着。
特徴的な肌の色を見せないためだ、と、腑に落ちた。
アマキ、と、呼ぶ声をモズに聞かれたくなかった。
唇をその形に動かすだけで、胸がとろける心地がする。
「もう来ンなっつっただろ……」
ためらうように足を躙ってから、一歩、二歩、暗殺者が近付いてくる。
何かが足りないし、下から見上げているせいで、今度はちゃんと顔も見えた。
それにしても、なんて可愛いんだろう。
右手を上げて掲げられるのが拳銃であることに、驚いた。
「……りゅう、じゃ、ないのか……」
「あア。龍で人殺すと呼べなくなるんだ」
「したい、を、」
「うん。死体を燃やすのは構わない」
なるほど、と、知識欲を満たす新鮮な答えに口元がゆるむ。
もしかしたら、と思う。
ずっと見当違いなことを話してしまっていたかも、しれない。
ミハルの顔が思い浮かぶ。
死ぬことは少しも怖くない。
最後に見るのがアマキの顔なら、悪くない決着だ。
きっと彼を深く傷つけると解るのに、厭う心は湧いてこなかった。
その胸を穿つ傷が、背中まで突き抜けるといい。
君が受けたすべての苦しみを凌駕して、最大の苦痛になるなら、悪くない。
自分に似ている、と、嗤ったモズの顔を思い出した。
待っているのに引き鉄は引かれず、銃口が下ろされる。
「モズ、俺にはできない」
「なんだ。他のやつに任せていいのか? きっとこれがお別れだぞ」
他のヤクザは嫌だなあと、知らずモズに同調する中、アマキだけが否を唱える。
「そうじゃない。そいつを放してやってくれ」
ハハハハ! と、耳障りな馬鹿笑いが、脳震盪を起こした頭に響いた。
「まったく、しょうがないなァ、お前は。またお前が支払うのか?」
沈黙が、少し長い。
殺していい。殴られてほしくない、と。伝えようと上げた顔に、すぐに気づいて、視線を向けたアマキが微笑む。
訴えは、恍惚に溶けて立ち消えた。
「それでいい」
静かに言って、再びこちらへ踏み出すアマキの足を、だが、モズの声が押し止めた。
「いや、駄目だな。取り下げられないんだ、アマキ」
顔を上げていられず、声だけを聞く。
「シメイ先生は、私を脅して、お前を弄ぶ気だそうだ。色々調べて、臥竜城や和諒会にも何かするつもりらしいしな」
笑いそうになったか、抗議しようとしたのだったか、息を吸ったら咽せて、なんだったか解らなくなった。
ただ、ありきたりな煙に巻き方がダセエとだけ思う。
芋づる式のように記憶から引き出される、先の、自分とモズのやりとりも、全てが鈍臭く、無様だ。
ひとり、生殺与奪の権を握って、場を左右しようと静かに交渉しているアマキだけが、鋭い。
「わかった」
「そうか、」
「なら、あんたが死んでくれ」
まさか、と顔を引きずるように上げ、再び銃を掲げたアマキを見る。
銃口は、モズへと向けられていた。
「おいおい。お前なあ、なんでも遅い方だったが、今ごろ反抗期なのか?」
パタ、と音がして、なんだと目をやると、火の点いた煙草が床に転がっていた。
「いいよ。それで」
金属を引き延ばしてぶつけて、嵌めたような複雑な音が聞こえて。撃鉄、だろうか、と型も判らぬ拳銃を思い浮かべる。
「そうか。じゃあまァ、撃ってみるか? お前は覚えも悪いからなァ。私に当てられるとは思えないが」
やりとりを聞きながら、
「なんであんた、いつまでも俺をガキ扱いしたがるんだ」
もがくように二人の声から離れ、背にぶつかる壁を見つけて、身体を押しつけ。
「親にとっちゃ、子供はいつまでも子供、ってェ、やつかもなァ!」
モズが低く身を屈めると同時に、パンと軽い破砕音が響いた。
押しつける力で壁に這って立ち上がろうとするが、まだ、力が足りない。
アマキから見て斜めに飛び込むようモズが走り、アマキが握った銃が、それを追って二度発砲される。
弾は見えないが、三発、全て当たっていないことはモズの動きで判った。
ただ逃げたのかと思ったモズがテーブルに手を伸ばし、果物を盛った大皿からナイフを引き抜く。
「アマキ、」
普通、テーブルの上には配置されない尖ったナイフに目を剥いた。
声に、フードの後ろ姿は振り返らない。
聞こえたのかもしれない。四発目は一瞬遅く、モズが真横に腕を振り抜いてナイフを投げ、アマキの方がよろめいた。
「ほら見ろ。お前じゃ無理だ、もうやめないかアマキ」
平然と、諫める口調で言い放つ声に、ゾッと鳥肌すら立つ。
その右手には、五指の間にナイフとフォークが挟んで握られていたのだ。サーカスのように。
「……じゃあ、シメイを放すのか」
アマキが、もう一度足を踏み込み直した。
明らかに、それほど速いとは思えないモズの動きなのに、アマキが後手に回っている。
同じことを考えたのか、拳銃を持ったままでアマキが低く身を落として構えた。
そう、たぶん、彼なら素手の方が速いだろう。
「おい! しつこいぞ!」
突然、モズの形相が険しくなって、ビクッと、アマキが身をすくめた。
開いた口から、声が出ない。
その一瞬で充分だというよう、僅かな隙にモズが大股で踏み込んだ。
アマキの背で隠れて見えないが、身をひねったモズの動きで、何が起きたかは予想がついた。
ナイフとフォークは多分、黒尽くめの腹か胸にすべて突き刺さっている、だろうと。
「ずっと仲良くやってきただろう。まったくお前は」
「ァぐ、」
こちらに向けられたアマキの背が、丸まる。
何故、なんで、と、無為な言葉が頭を回り。
「モズ……」
「うン?」
「俺は、あんたが嫌いじゃない」
「そうだな。知ってるよ」
呻くようなアマキの声を、モズは笑っている。
「けど、嫌だった。ずっと嫌だったんだ」
何か言いかけたモズの声が、連続する銃声に掻き消される。
音がするたびモズの背が屈み、それが途切れると、よろめいて後退った。
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