第十四話「臥竜城に棲む虎のこと」
なにが、と思いかけ、すぐに思い出した。
「嫌だったら答えなくてもいいんだけど。もしかしてタイガー、学校に行ったことがないのか」
ヘイゼルの目が、スゥと細くなる。
少し間を置いて目を伏せてから、顔が上げ直され、視線はこちらを向かなくなった。
「うん」
自分が、緊張しているのを感じた。
彼が見てないのを幸いに、音を立てないように深呼吸する。
「行きたいと思ってるなら、方法はあると思うよ」
「金がない」
「そうだね、分かってる」
再び、こちらを向いてくれた。
失望も拒絶もない、だが、警戒は感じる。
「……今はもう、そんなに行きたいとは思ってない」
そうか、と、息を抜いてうなずいた。
「勉強する方法は他にも色々ある。大人になっても勉強したり、し直したりする人もたくさんいるしね」
じぃ、と警戒は薄くなっても、探るような目を向けられている。
この胸を全部開いてでも、今、この若者に、世界は君にもっと与える用意があると知らせたい。
それだけが現実でないことは、彼の方がよく知っているとしても。
ニヤというのに近い表情で、タイガーが唐突に笑みを浮かべる。
目を丸くすると、面白がる笑みをさらに崩して、くしゃっと
「仕事の時ってそんな感じなのか? さっきまでスゲー腰振ってたくせに、カッコつけやがって」
ぶわっと、一気に顔が赤くなるのを感じる。こんなにまともに赤面するのは何年ぶりだろうか。
今度は自分が頭を抱える番になった。
「それは……本当にそうだよね。……でも仕事とかじゃなくて、本気だったから……」
ふーん、と聞こえる声が、まだ少し笑っていた。
そうだ、と、両手で顔をこすりながら思い直す。
他に聞きたいことが、いや、彼に確かめたいことはずいぶんたくさんあるが。
膝に頬杖をついたタイガーの視線の先を、つられるように追えば、積み上げた缶詰の塔を眺めていた。
そうだった、あれで足りるわけがない。
食事に誘おうと思いながら、辺りを見回して、脱ぎ捨てたシャツを引き寄せた。
「そういえば、君はなにか、特別な力があるのか」
「えっ」
袖を通しながら目をやれば、ヘイゼルの瞳が表情なく向けられる。
「僕が車を追いかけられるように何かしてくれたんだろ。あれ、」
「ただの偶然だろ」
言わせまいとするよう、断言が早い。
短い間、言葉に迷った。
触れるな、ということだとは、思うが。
「君は龍使いなのか……」
思い切って踏み込んだくせに、言葉が尻すぼみになってしまった。
幼い頃に祖母に何度もねだって聞かせてもらった、龍使いの
大人になってから少し調べて、それが狭い地域の民話だったのだと知った。
「よくそんなの知ってンな。子どもに聞かせるやつだよ、そんなん」
呆れたように言いながら、だが、顔を背けられた。
この世界のどこにでもいる、けれど目に見えない龍を招いて、力を借りる龍使いの伝承。たぶんこの国にしかない、しかもごく狭い地域の言い伝え。
それは、この国の人間であればほとんどの者が、タイガーを見れば思い浮かべる名前。
自分達カイト人が、この
「……とても、偶然だったと思えない。君が唱えた
音がするほど勢いよく、口を手でふさがれて、目が白黒してしまう。
「マジか……アレが分かンのかよ……」
覆う手を手で取って、外しても、無理に押さえつけはせず、あっさりと下ろされた。
「聞き慣れないけど、波照の言葉だよ。昔の言葉として、学校でも習う」
「あア……」
そういうことか、と額を抱える様子に、今度はこちらが頬杖で彼を眺めた。
「すごいな、まさか本当だったとは」
「……冗談じゃねえ。だれにも言うなよ、忘れろ」
「忘れるのは無理だけど、誰にも言わないよ」
あア、と、再び悔恨の声を上げ、頭を抱える様子に眉を上げた。
「やっちまった、人前で……。やっぱあんたなんか助けンじゃなかった……」
それを言われると本当に、申し訳ないし、そのぶん感謝しているのだが。
「そんなに秘技なのか。いや、本当に誰にも言わない。口は堅いよ」
うっそりと半眼に淀む目を向け、タイガーはため息をついた。
「龍使いの龍ってのは、すげーカンタンに言うと、自然の力なんだ。それを自由に使いたいやつは多いけど、龍使いってのはめちゃくちゃ少ない」
「ああ、そうか」
よくある話といえば、よくある話だ。相槌に、うなずきが返される。
「すげー昔、龍使いが別に隠してなかったころは、あちこちで取り合いになって、しかもいざ捕まえたらボロボロになるまで使うやつも多かったって」
「それは、確かにありそうだな」
うん、と再びのうなずきを受け取り、想像は勝手に巡る。
あまりにひどい扱いに、それに奪い合いが巻き起こることを嫌って、それが誰も知らないおとぎ話になるまで隠し続けるには、どれほどの時間を掛け、どんな苦労があったことかと。
思い及びもつかないが、絶対に知られてはならない、と守り伝えられるのは、分かる気がした。
「サント族の血を引いてたら、修行か何かでなれるのか?」
「や。修行はしたけど、それは龍の力が出たからで、なんか、誰かが急になるっぽい」
へえ、と、小さく感嘆の息をついた。
俺の師匠がまずサントじゃない、というのに、カイトかとか、たぶん大陸のはずとか、ややこしいのだろう、少し要領を得ないような話を聞いて。
「そうか。修行したり自分で勉強したりしたんだな。勧請の言葉もそうだけど、学校行かずにあの本が読めるのすごいよ」
ほんとは、と、少し小さくなる声に、うん? と、続きを待つ。
「ホントは読めねーとこもけっこうある」
ふ、と、頬が緩んでしまう。
裸の肩同士を、わざと軽くぶつけた。
「それはそれですごいと思うよ。読み終わったらまた、……ご馳走する」
あの夜のやり取りを思い出して、笑いながら口にする。
「紙食うのかって言われンな」
つられるように見せてくれる笑顔に、胸を緩めた。
「こないだのはもう読み終わったんだけど、本屋に本が入らねーと」
次の差し入れは決まりだな、と、思うところに、言われた意味が分からず考える間が空く。
「こないだの、」
バン! と、すごい音を立てて扉が開き、心臓が跳ね上がった。
ひょこっと覗いた小さな顔が、またスルッと消える。
「タイガーがエロいことしてる!!」
大声で喧伝しながら駆け去っていく子供の声に、跳ね上がったままの心臓が止まった気がする。
固まるこちら対して、立ち上がって飛びつく間口から顔を出すタイガーは、目にも留まらぬ速さだ。
「もう終わったわ!! バーーーーカ!!」
「おわっ……」
想像だにしなかったやり取りに、クラクラする。
「なんだよ、終わってたのかよ」
タイガーが顔を出している間口の向こうから、今度は男性らしき声が聞こえて、目を剥いた。
「カラス。なに?」
「テメーいつうちの水漏れ止めンだよ。腐るだろうが」
「あー、クズヤにパイプのやつ頼んでンだけど」
「入ったって言ってこいって言われたんだよ、クズヤに」
「マジか」
今から行くわ、と、タイガーの応じる声が聞こえ。
早くしろ、という声に応なく、中へとタイガーが戻ってくる会話の半端さが、臥竜城だとしみじみさせた。
「仕事行くわ。食いモンありがとな」
ボトムスを穿き直し、脱ぎ捨てたパーカーではなく、長袖のカットソーのようなものに着替えはじめる彼にうなずいて、自分も服を着直し。
「どういたしまして。この中でも仕事してるのか」
「てか、基本こっち」
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