第九話「人狼ゲーム」
「……ヤクザってことか」
それを彼がどう思っているのかは解らないが、先ちらりと見えた男の様子からも、そうであることは予想できた。
そうそ、と浅くうなずきを重ねて、早く行けと顎で示すタイガーに、大人しく従おうとして、その足を止めた。
「あのさ、普通はバスで来るとしたら、臥竜城に行く前にここを通るってことだよな」
「……」
短くない沈黙の後、冗談だろ、と、驚くような低い声でタイガーがうめく。
「ありえねえよ。城ン中よりない。女のガキがあいつらに捕まったとしたら、その方が探してもムダだ。つうか探すなんかしたら行方不明のやつが二人になるだけだ……」
二人目は自分というわけか。
手で口元を覆い、思案する。
「見た人がいないかどうか訊くだけなら? 敷地には入らないで、出てくる人をつかまえるとか」
「撃ち殺されてえのか」
まだ言い終わらないうちに、短く返された。
どうしようか、と、件の建物に目をやろうとして「顔向けンな」と低く警告された。
わざと身体をずらして、建物に背を向けるよう向きを変える。
まだ見慣れない、とぐろ巻く巨大なガラクタの竜を背景に、虎のあだ名で呼ばれる男が、パーカーのポケットに手を突っ込んだまま、息をついた。
ああそうか、と、急に腹に落ちる。
まるで映画のようだ。臥竜城という場所も、そこに住む人々も。
ミハルには、別世界に見えたのだろう、自分と同じように。
「聞いといてやる。あんたは帰れ」
答えようと開いた口から、言葉が出そびれた。
とても信用できない、と、相手の気に障らないよう伝えるのは難しい。タイガーは、言葉の裏をとれないほど愚かではなさそうだ。
だが、ミハルは臥竜城区にはいない、ということ自体は、充分な確からしさがある。
「なんだあんた、ツイてんな」
「……うん?」
「動くな。じっとしてろ。――先生!」
聞き慣れた言葉に、身体が少し反応するが。
ポケットから手を出し大きく振っているタイガーの視線は、自分を通り越してもっと向こうへと離れていた。
先生! と、もう一度の声の後、少し長い間。
「なんだよタイガー。お前友達なんかいたのか」
後ろから声が近付いてきて、目を丸くした。
女性の声だ。
「フツーにいるし友だちじゃねえよ」
「友達じゃねえンじゃん」
「……もういいよそれで……」
嫌そうな表情を作って横を向いてしまうタイガーをチラと見てから、半身に振り返る。
女性だ。小柄だが、明らかに鍛えた体つきをしている。
小さな頭部に、はっきりした目鼻立ちをしていて、可愛い顔だと思いかけたのが、吹き飛んだ。
「だれ?」
声をタイガーに向けながら、視線はこちらに寄越された。
突き刺すような鋭い、それでいて怖じ気のない、重い視線だった。
身体ごと振り返って、きちんと向き合う。
礼儀というより、背中を向けたままでいると気持ちが悪かったのだ。
「イド・シメイです」
「川の向こうから来たやつ。だれか探しにきて、いなかったから帰るとこ」
語尾にかぶせにくるような、タイガーの声が早い。
喋るなということだろうかと、少し様子見に回る。
「あァそう」
で? という代わりのように、
「探してるやつが屋敷にいるか探してえンだと」
ふはっ、と、噴き出す笑いに声までつけ、先生は腹を抱えて笑う。
「そりゃいいな。行かせてやりゃいいじゃねえか」
「……やめろよ、だれが片付けンだよ……」
「お前じゃねえだろ、ああ、いや、そうだな。お前が連れてきたってことになりゃ、お前かもな」
げんなりしたように、タイガーはゆるく
思わず眉が寄ってしまう。無茶苦茶だ。
「先生見た? 女のガキ」
先生の大きな目が、まん丸くなって、それからまた、弾けるような大笑い。
「ブハハ! どこだと思ってんだよ。ンなもん、入ってきたら秒で取って食われんだろ」
肩をすくめるタイガーに、けれど、内心は同感でもある。
「いないなら、それでいいんだ」
「いない」
先生が、即答にうなずきを添える。
多分そうだろうし、そうじゃなくても、もういないのだろう。
臥竜城でも言われたな、と、思い出した。
先生という女性と、タイガーと別れ、バスに乗って山道を下る。
わずか数分後には、すべてが覆された。
臥竜城も和諒会も背にして、舗装された道を下っていく。窓に額を寄せるようにして覗き込めば、なるほど、ぐるりと山に沿うせいで車道は大回りになる。
どういう経路になるかは、ここからは見えないが、どう回るにしても直線で傾斜を突っ切る最初の石段が最短の距離ではあるだろう。
道がないのもそうだが、あの傾斜はたぶん車で上るのが危なっかしい。
そんなことを考えながら、過ぎていく緑を眺める目に映った光景に、思う間も無く立ち上がっていた。
「クソ、どいつもこいつも……!!」
木々を切り開いた別荘地の最後の端、とでもいうべき、比較的小さな建物。
けれどもちろん、悠々と使うだろう玄関前の広い空間に駐められた一台の車。
この暑いのに、車のそばでだらしなく立っている二人の男。暑そうだなと思えば意識される冷房の涼しさが、吹き飛んだ。
何か話しながら玄関から出てくる、スラリとした男と、小柄な女性。いや、少女だ。
「止めてくれ! ここで下りる! おい、今すぐ下ろせ!!」
大騒ぎする声に、なんだなんだと迷惑そうな顔を向ける彼らが、今、臥竜城から出てきた人たちだとよく分かる。
城の中を歩く自分をみなが見ないふりした理由、金の匂いがすると本屋が笑った意味。
服装が違うのだ。
服の微妙な形もあるし、たぶん、それを選ぶ感覚も。
けれど、なによりも、なんというか色合いが違う。
言い表す言葉を思いつかないが、臥竜城の住人と、川の向こうからやってきた自分では、身なりが違うのだ。
今、玄関から出てきた少女のように。
半ば怒鳴るような運転手の小言を無視して、中身も確かめずに小銭を全部放り出し、バスで下りていた坂を駆け上がる。
別荘地を別荘として利用している者が、今でもいるだろうか。少なくとも聞いたことはない。
それに、駐まっていた高級車と、不釣り合いにだらしない様子の運転手たち。
ここに唯一居を構えていると、少なくとも自分が知っているのは一つの組織だけだ。
「ああ、クソ!」
あの凄みのある目をした先生は、本当に知らなかっただろうか。
タイガーは?
本当に、知らずに自分をあれほど執拗に追い返そうとしていたのか?
「ミハル!!」
坂の向こうに姿が見えたが、まだ遠い。
もう一度、ミハルと大声で呼んで数拍後。先にミハルの方がきょろきょろと頭を動かし、車に向かっていた二人が足を止めた。
男の方がミハルに声を掛け、二人がこちらを向いた。
肩どころか、背中も腹も膨らんでは爆ぜそこねて潰れるよう、全身が呼吸のために跳ねている。
「シメイ先生? うそ、シメイ先生?」
駆けてきた軽い足音が止まって、靴先が見えるが、息が切れて顔を上げられない。
「この、バカ!」
「ごめんなさい、先生、あの、」
謝罪の言葉がすぐ出るからには、何をやらかしたか想像くらいはできているのだろう。
「私からも謝るよ、先生」
ゾワッと鳥肌が立って、跳ね起きるように顔を上げた。
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