第八話「虎穴に入らずば」
タイガーが頼む「山のスープ」に興味をそそられながら、こちらでは中身が予想しやすい肉団子のスープを注文する。
スープ屋の強みは作り置きがしやすいところだろう。注文した品が、間を置かずに出てきた。
あまり大きくない器にそれぞれ盛られたスープを前に、いただきますと手を合わせた。合わせたものの。
早速口に運んだ鶏の肉団子は、若干手応えが弱い。
肉をまとめる
行儀悪く隣にチラと目をやれば、タケノコとキノコがメインで、申し訳程度の鶏肉が垣間見える山のスープも、ボリュームが物足りなく感じた。
「君、それで腹に足りる?」
「足ンねえ」
即答したあと、ガバッと大きく開かれた口に、山の幸と鶏が吸い込まれて消えた。
あと数秒で皿が空になるだろう勢いだ。
「もっと頼んでもいいよ」
「マジで」
喜色を帯びて向けられた横目に、うんうんと頷く。
「腹がいっぱいになるまで食べるといい」
ええ、と疑い深そうな目を向けられ、目で問い返した。
「すげー食うぞ俺」
「ああ、」
そういう意味ね、と思わず笑ってしまった。
三十過ぎて今はそれほどではないが、自分ももちろん若い男だったことがある。身体は彼の方が小さいし細いが、食欲はだいたい想像がついた。
「金が足りなそうなら頼む前に止めるよ」
アーと得心らしき声が返される。さっきも言ったのを思い出したのかもしれない。
「じゃあ後で別ンとこも行きてえ」
蒸し
具のあるスープだろうが粥だろうが、すすって飲む勢いの隣を
食べ終わったら、急くようにして二店続けて別の露店を渡り歩き、肉饅頭に春雨スープ、焼き麺、平麺の炒めもの、と、結局十五品ほどが彼の腹に収まった。
自分は別の店で買ったコーヒーをすすりながら、彼について歩く。
安い豆で煎れたコーヒーを、さらに湯で薄めているらしき徹底した安いコーヒーだが、焦げ臭くはなかったので、今までで最低というほどでもない。薄いが。
言葉もなく獣のようにガツガツと貪り食っているタイガーの横で、それぞれの料理に工夫された安さの秘密を観察しては、感心した。
安い材料を使い、なんでも薄めて、量を少なくして、という要領らしいが、それにしてもここまで下げられるか、と、それぞれの店で品書きを眺めた。
一食に二、三品組み合わせるのが普通だとして、タイガーは五人前以上食べたかもしれないが、それほど払ってはいない。
よくできてるなあ、と改めて恐れ入りながら席を立った。
俺もコーヒー飲みたいと食後の一服をねだられれば、なんだか可愛い気すらしてくる。
「それじゃあ。今日はほんとうにありがとう」
「どーいたしまして。ごちそうさん」
すっかり上機嫌のタイガーに別れを告げ、円筒の商店街を見回して、気がついた。
出口が分からない。
「ついでに、外までの道を教えてくれないかな」
「……。えっ、アー……そうか」
失念していたことを思い出した、という顔の彼に、笑ってうなずく。
「いや、道じゃなくて。もう帰れねえわ、あんた」
「えっ、なんで」
どこかに門でもあっただろうか。時間で閉じるのだろうかと、考えても知りようのない答えを考えてしまう。
「バスが終わってる」
言葉の意味は、わかる。
が、衝撃がゆっくりと満ちてきて、弾けた。
「バスがあったのか!?」
「ハ? どっから来たンだ、あんた」
声を上げてしまって集めた注目を散らすよう、歩こうとタイガーが目で促す。
「鉄道で川を渡って
えっ、と、今度はタイガーの方が声を詰まらせる。
「マジか。旧道から来たのかよ? 山ン中の石段?」
「……そうだと思う」
ふははっ、と、声を上げて笑う彼に、えええ……と、こちらは二の句がつげない。
きつかったろ、と、まだ笑っているのに、きつかったよ……と悄然として答えた。
「使われてない道なのか」
「いや、俺らは全然使うけどな。タダだし」
ああと、それには納得してうなずく。
地元の人間が、多少きついが安い方の交通手段を選ぶのは、臥竜城に限ったことではない。
「けど、旧道ももうやめた方がいいだろな。灯りがねえから、ヘビ踏んだら咬まれるぜ」
ああー……と、垂れ流すように声が伸びてしまう。山や藪には蛇がつきもので、明るくても咬まれることはあるが、明かりのない夜道では確かに避けようがない。
「宿になるところは……」
なさそうだという予想を、ねえなと、即答が肯定した。
「重ね重ねで悪いんだけど、一晩いさせてくれないかな……」
部屋の隅でいいから、と申し出るのを、そうだなとうなずき一つが承知した。
「あんたがどこに帰ンのか忘れてたわ」
僕も帰り道のことまで考えてなかった、と、引き分けておく。
話している内にタイガーの部屋までたどり着いて、ふりだしに戻されたように狭い巣穴にお邪魔する。
たぶん元はシーツであっただろう布一枚を借りて、自分の腕を枕に、床で寝ることになった。
下が固いのは少しする内に慣れて、手で触れる床や、元シーツや、タイガーが寝落ちてしまったマットレスをなんとなく見たり触ったりして。
思ったよりもホコリや汚れがたまっておらず、それがなんとなく、睡魔を招いた。
ぞろぞろと道を歩く人の流れは、聞いて想像していたよりは少し多い。
ほとんどの人は臥竜城の中で働き、臥竜城の中で買い物をし、臥竜城の中で生活を完結させるそうだ。
だが、やりとりされる金額は、一歩外に出れば跳ね上がるわけで、早朝に山を下りて仕事に通う者も少なくはない。
なるほど、路線バスなら満員になりそうな人並みを見渡しながら歩き、質問に答えてくれるタイガーの話を聞いた。
臥竜城の中で売り買いされるもの、されないもの。中にある仕事、外に出なければない仕事など、話に耳を傾け相槌をうつ。
少し歩く内に、景色の方が変わりはじめた。
ガラクタを積み上げた城は急激に高さを失って、夏の青さを誇る高い街路樹が規則的に並ぶ。街路樹そのものは長く手入れをされていないらしく、雑草やツタを取り巻きのように従えていた。
遠くに見ても廃墟だろうと想像できる、
なるほどこれが、と合点するものの、別荘地、住宅街と呼ぶような数には見えない。
やはり臥竜城に飲み込まれているのだろう、と、少しだけ後ろを振り返った。
アレがバス停、と、タイガーが指さす先には、先を歩いていた人たちが溜まり始めている。
じゃあな、と踵を返す彼に、礼と別れを告げながら、ふと。目に留まったものに意識を奪われた。
バス停から一番近く、大きな建物のひとつに、男がひとり入っていった。
ここに別荘を構える物好きもいないだろうと勝手に思っていたから、意外だった。
人が住んでいるのか、海風を頼りに避暑に来ているのか、と。なんとなく遠目に眺める視界をいきなり遮られ、少し驚いて足を止めてしまう。
間近で見上げられ、フードの下から現れるヘイゼルを瞬いて見つめた。
「おい。あんま見ンな」
自分とその建物の間にいきなり割って入ったのは、引き返したはずのタイガーだった。
「びっくりした。そんなに見てたか」
彼に無礼をとがめられるほど、と思いついて、つい少し面白くなってしまう。
「なに笑ってんだ。ありゃ
ほんの少し目を
たった一晩一緒にいただけだが、彼は、考えたことが顔に出るし、隠さないタイプだという印象だった。
それが、今は全く表情が読めない。
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