第3話「臥竜城」
「黒の長袖なんて、もう暑くないか?」
ハ? と、大げさな動きで自分の袖を見る主人に、離れた場所を指し示した。
黒っぽい半袖シャツの若者が、露店で何か買っている。
「半袖じゃねえか」
「長袖だったら。全身真っ黒に見えるくらいの服をさ、着てたら暑いよな、多分」
「知らねえよ。俺だったらブッ倒れちまうだろうけどよ」
うん、と、うなずきはしたが、自分で話を振っておいて返事がおろそかになってしまう。
帰宅途中の路地で見た短い奇妙な夢めいた記憶が、よぎって、居座っている。
「真っ黒かどうかは知らねえが、この辺じゃ、わざわざ姿を隠してるやつはろくなモンじゃねえ」
近づくなよ、と警告してくれるのに、意外に親切だと主人の顔を振り返った。
「そういうやつがいるのか」
「俺は見たことねえ。臥竜城から下りてきたのを見たって聞いたことがあるが、城の連中も普通は別にこっちと同じだ」
金を持ってねえこと以外は、と、日焼けした頬が皮肉っぽく吊り上げられた。
全身黒装束の噂はそれ以上聞けなかったが、川を渡ってきたらしき少女を見たという人がいた。
残念ながら、臥竜城区へと続く道を尋ね、向かったという。
「案内しないで止めてほしかった……」
千年前からあるのか、別の時代なのか、いびつな石を敷き詰めて舗装された山道を上がっていく。
元々は鉄道が通っていたはずだが、確か自分が子供の頃に廃線になった。まだ住人がいるのに、抗議があったかどうか知らない。
切れそうな息をおさえて勾配を上がっていく。
夏至は過ぎたばかりで日は長く、照りつける太陽が体力を奪う。
竜の尾か頭か、見え始めた臥竜の端に、ゾワリと嫌な気分になった。
元々廃墟ばかりになった土地に次第に増えていく住民に対し、住居の数が足りなかったのだろう。
木材やトタン、なにかよく判らない廃材のようなもので壁と屋根が築かれ、いい加減につなげられ、互いに寄りかかって、積み上がり、広がり、あふれていく経過が目に見えるようだ。
そして、端に作りすぎたのだろう、斜面に建った何件かの建物は崩れて、長い間放置されているようだ。
もう少し上がれば、放置された瓦礫を足場に、さらに何か構築されているのが分かり、恐ろしいを通り越して呆然としてしまう。
そうして山道を上がりきって開けた景色に、少しの間、圧倒された。
山の斜面にさしかかって崩れていた建物はごく一部で、通りを隔てて、巨大なひとつの塊が据わっていた。
家と、ドアと、壁と、屋根か床か曖昧な区切りと、這い回るパイプ。
何階建てと呼ぶべきなのか、そもそもひとつの建物とはいえないのか。
なにか判然としない建材と、その全てに浸食するサビ。驚いたことに、その上に掲げられている、雑多な案内表示がある。
落書きもあるが、入り口の名前だとか何の店があるとか、半分以上が、れっきとした看板だった。
廃材で作られた、城砦の形をした町、という風情があった。
「何やってんだい。さっさと帰んな」
突然の声に、驚いて振り返る。
さきほどの斜面の建物から城へと向かう女性が、険しい表情でこちらを見ていた。
ご挨拶だなと思いもするが、まず面食らう。
「いや……」
人がいたのか、と思い、その違和感を理解した。
これほどの建物があり、下の
それなのに今初めて、人がいることに気づいた。
「なんだよ、どうした? 迷子か、ニィサン」
早く行けともう一度目線で示す女性はけれど、入れ替わりに荒城から現れた男達の横を擦り抜けるよう、姿を消してしまった。
「買い物か? ここにゃナンでもあるぜ。案内してやるよ」
ぞろぞろと、六人の男がこちらへ近付いてくる。
ニヤニヤと浮かべる笑み、ところどころわざと崩して発音される言葉。
ここまでひどいのか、と、息をつきたくなるのをこらえ、彼らの顔に、順にひとりずつ視線を向けてやった。
男達はたじろぐ様子などない。ただ、醜く口元を歪めていても、彼らの目がギラギラと凶暴な色をしているのを見つけただけだ。
ここは商売があるのか、と、どうかミハルがここに来ていませんようにと、どちらにしてもここには居ないだろうと、考えが、頭の中を目まぐるしく回る。
「人を探しに来たんだ。十四才の女の子」
ああ~と、語尾にかぶせるように先頭の男がうなずいた。
「知ってる知ってる。案内してやるよ、ついてこい」
男が踵を返しはじめ、後ろの男達はいっそうニヤつく。
ウソだ、と、感覚が告げているが、もし本当だったら? と、思考が混ぜっ返す。
どちらにしても逃げる隙をうかがった方が、いや、その機会は今を逃して後からおとずれるのか? と、逡巡で重くなるような頭を、渋々進む足で運んで男の後について。
「おい!!」
おそろしくよく響く、低いが張りのある声が。
どこから飛んできたのかと見回すが、見当たらない。
いや、と。そのひとつに気がつくと一気に広がる視界に、状況が見えた。
でこぼこと荒れた壁面の隙間や窓から様子を窺っている顔が、あちこちに。
そうして、人の顔が並ぶとよく分かる。バラバラの家というか部屋というか区切りのような様々の壁は、遠目に見るよりずいぶん細切れで、城の中の狭さと複雑さを想像させる。
とてつもなく器用なガラクタ積みの建物の、窓のひとつが、すぐに目についた。
一人だけ、窓から半分身を乗り出すようにして、堂々と顔を見せている。
違う、と、心臓が跳ねた。
顔は見えない。グレーの袖無しパーカーのフードを目深にかぶっているせいだ。
「げえ、」
「スッ込んでろタイガー!」
「お呼びじゃねえよ水道屋! オレの獲物だッ!」
フードの男へと向けられる声の中に、明確な自白が混じっている。
この男達に話を聞く動機はなくなった。
「おいお前!!」
最初に声を掛けてくれた女性に従うべきだったのだ。
素早く身を翻したつもりが、数歩で男達に取り囲まれる。
「逃がさねえッつうの」
「話くれえ聞いてけや」
「オメーの女がどうなってもいいのか?」
無茶苦茶だ。
どうするか、一人二人ならともかく、六人が相手では数秒ももたない。
「おい!! お前ッつってンだろ!! 川向こうから来たお前、お前だよ!!」
うるせえ黙れ引っ込めと、男達がいきり立って声を張り上げる。
こちらから注目がそれた間に、窓から身を乗り出していた男が、自分に声を掛けているのだと気がついた。
臨戦態勢に入りかけていて、思わず言葉にならない。
首を巡らせ、もう一度フードの男を見つけると、そうそうとばかりの頷きとともに、まっすぐに指を差された。
途中にも別の窓があって定かではないが、高さは二階か、二階と三階の間くらいだろうか。
「チンコでかそうだな、お前!」
ハア?
「ハア?」
真っ白になる頭に浮かんだ言葉が、そのまま声に出た。
「どうだよ! デカいか!? おい!!」
もう、言葉は出なかった。
すべてが、狂っている。自分の知っている世界とは違う。
「おい、タイガーのやつ降りてこねえぞ。今のうちに連れてこう」
「オラ来い」
「ッ!」
掴まれた肘から咄嗟に腕をひねって、その腕を絡めてねじってやる。
「イッ! テェッ!!」
屈んだ顔面目掛けて膝を蹴り上げ、額に強打を食らわす。鼻を狙ったつもりだが外した。
兵役中は、格闘術では常にトップだった。
だがもちろん、基礎も出来ていない素人相手でも、六人は無理だ。
途端に殺気立って飛び掛かってくる男達に向けて、ふらつく男を突き飛ばし、隙を作る。
足を踏み出せたのはせいぜい二歩で、背中にタックルを食らって派手に地面に転がるはめになった。
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