MY SWEETNESS
彼女は堂々と歩む。
背筋をまっすぐ伸ばし顔を正面に向け、独特のリズムで闊歩する。
何も恐れず、でも目耳は油断なく周囲の動きを捉え、鼻は危険な匂いを嗅ぎ分け、決して警戒を怠らない。
今日も彼女は上機嫌だ。
もっとも、そうじゃないときの方が珍しいが。
口元はうっすら笑みを浮かべ、小さく鼻歌が聞こえてくる。
ピンと立った尻尾は時折鼻歌に合わせてゆらゆら楽し気に揺れている。
落ち着いたオレンジと黒のショートヘアー、ピンと立った三角の耳。
体には必要最低限の部分をカバーする防具しか身に着けていない。
彼女の俊敏さを損なわない様に。
腰の両側のホルスターにはダガーが二挺収まっている。
彼女は美しい。
生命力に満ち溢れている。
彼女を形作っているもので特筆すべきはその目だ。
右の瞳は金、左は銀のオッドアイ。
両眼に宿る強烈な意志の輝きが、見る者を魅了してやまない。
その下に小さい鼻と楽しそうに口角を上げた口、それらが彼女の小ぶりな顔を形作っている全てで十分なパーツだ。
伸びやかな肢体、主張する胸と腰、彼女は獰猛さと美の共犯関係の体現者だ。
彼女が中央噴水広場に差し掛かる。
「ご機嫌だな、クメール」
「うちに寄ってよ、クメール」
「コイツは旨いぜ、クメール」
屋台から次々に声がかかる。
彼女のことはみんな知っている。
“ワーキャットのクメール”アルカンでも指折りのハンター。
好奇心旺盛で何にでも首を突っ込むくせにすぐに飽きて放り出す。
いつも笑みを絶やさないが、気まぐれで、ご機嫌を損ねると生きていることを後悔する羽目になる。
自由を愛し束縛を嫌う孤高のソロハンター。
他を圧倒する実力と魅力を兼ね備えているが、遠くから眺め愛でるが相応のワーキャットの娘、これがクメール。
「来たよ、ミーナ」
勢いよく店のドアを開けて誰か入ってきた。
「ドアは静かに開けてっていつも言ってるでしょ、メル」
うんざりといった風にミーナが出迎える。
「ニヒヒヒ、怒んない怒んない。次は気を付けるから」
悪びれる様子もなくクメールが答えた。
「呼ばれたから来てあげたんじゃないの。つれないわねえ。そんなんじゃ男できないよ」
「やかましい!余計なお世話よぅ」
「ハハハ、であたいを呼んだのは何でかな?可愛いミーナちゃん」
「もう、調子いいんだからぁ。まあいいわぁ。あなたに頼みたいことがあるのよぉ」
そう言うと、ミーナは店の奥に視線を送った。
「奥にきてくれないかなぁ。此処じゃちょっとねぇ」
「別にいいけど、厄介事じゃないよね?」
「大丈夫!わたしとあなたの仲じゃないのぉ。信用してほしいわぁ」
2人が奥の食堂に行くと、そこには黒魔団の連中が揃って待っていた。
警戒して口元から牙をむき尻尾を膨らませたクメールに、ミーナが声をかける。
「心配ないって。この連中は“黒魔団”わたしの新しい仲間よぅ」
「はあ!仲間?あんたに?あの人嫌いのミーナがいったいどうしたの?脅されてるの?騙されてない?」
驚愕するクメール。
「落ち着きなさいよぅメル。こいつら見た目はともかく信用できるからぁ。とにかく話を聞いてくれないかなぁ」
動揺するクメールを宥め、何とかテーブルに着かせると、ミーナは黒魔団とクメールにそれぞれをざっくり紹介した。
「ふーん、でこの新人の“黒魔団”さんはあたいに何のご用事かな?」
まだ納得のいかないクメールが素っ気なく尋ねた。
「コイツらはアルカンに来たばっかりでぇ、土地勘が全然無いのぉ。何かと不自由だからぁ、メル、暫くの間あなたに彼らの教導をお願いしたいのよぉ。あなたほどの腕利きなら何の心配もいらないからさぁ」
「えー、面倒くさい。何であたいが会ったばっかのド新人の面倒見なきゃいけないの。他当たってよね」
心底嫌そうな顔でクメールが吐き捨てる。
「そんなこと言わないでぇ、お願いよメル。タダとは言わないわ。引き受けてくれたら、とぉってもステキな報酬を用意してあるわよぉ」
「報酬って何よぉ?」
クメールが興味を惹かれたようだ。
「それはぁ」
「それは?」
「あなたもとぉっても好きなものでぇ」
「って何よ!もったいぶらずに早く言いなよ」
しびれを切らしたクメールが叫ぶ。
お預けには弱いようだ。
「しかたないわねぇ。シン、アレを」
パチッと指を鳴らす。
「お嬢様、こちらをどうぞ」
とシンが持ってきたのは布の掛かったトレイだった。
訝し気な顔でテーブルに置かれたトレイを眺めたクメールは、おもむろに布を外す。
「ん?これは?」
彼女の動きが完全に止まった。
トレイに乗っていたものを手に取り凝視する。
「ミーナ、空いた部屋どこ?」
突然立上がったクメールはミーナに叫んだ。
「そんなことだろうと思ったわぁ。三階の突き当り」
勝ち誇ったように、指にぶら下げたカギをクメールの目の前で揺らす。
無言でカギを引ったくると、本らしきものを持ってクメールはダッシュで階段を駆け上った。
ドアが閉まってから再び開く音がするまで長い時間がたったように思われたが、実際は20分ぐらいだったろう。
「ほんとにあんなことで大丈夫なのか?」クメールが嵐のように去った後、シュウは不安げにミーナに聞いた。
「大丈夫よぅ。何も心配いらないわぁ。ああ見えてメルはわたしに輪をかけたスキものだからねぇ。今頃は舐めるように読んでいるわよぉ」
「狼は狼を知る、か。それならいいか」
ミーナ・シュウ・シンの3人は互いの顔を見合わせ酷く悪い顔でグフフと笑いあった。
ほかの3人は何が進行しているのかさっぱり分らず、カヤの外に放置されっぱなしだった。シュウとシンが悪巧みをする時は毎度こうなるので、既に諦めて成り行きに任せている。
ドアの開閉の音が響きものすごいスピードで階段を下りる音が聞こえたと思ったら、クメールがもう傍にいた。
「これは何?いつどこで手に入れたの?」
ミーナの肩を両手でつかんでクメールは激しく揺さぶった。
ミーナの頭が残像で11面観音菩薩像みたいに見える。
「「「言う、言うから止めて、し、死ぬ」」」
ひどいビブラートがかかっている声で必死で絞り出すと泡を吹いて気絶してしまった。
「「「「シンよぉぉぉぉ」」」」
次の瞬間、超スピードでシンに掴みかかったクメールは
「吐きなさい」
とドスの利いた声で迫った。
「「「ヒィィィィ」」」
ミーナの悲劇が再現される。
「「「言うから落ち着け、離せぇぇぇ」」」
あまりのむごたらしさにシュウたちが止めに入ったが、正気を失ったワーキャットの怪力には全く歯が立たない。
辛うじてケイが羽交い絞めにすることに成功し、ようやく2人を引き離した。
頭から尻尾の先まで全身の毛を逆立て、牙を剥いてシャーシャー威嚇するクメールは、大型の猫科猛獣が生物に対して有する、圧倒的な根源的恐怖を周囲にまき散らしている。
顕現した死そのものの迫力に、何があっても絶対にクメールを敵に回すまいと、全員が己の魂に刻み込んだのも当然だった。
ようやく落ち着きを取り戻し、会話ができる状態に復帰したクメールは、シンと相対してテーブルに着いていた。
「それで、これ何なの?」
テーブルの上に置いた“薄い本”を前にクメールが低い声で静かに問い正す。
「これはおれのスキルでおれがいた世界から召喚した“同人誌”です」
先の一件で上下関係は決定済のため、小さくなってシンが答える。
「あんたのいた世界ってどういうこと?」
クメールが追及する。
シンは皆とひそひそ相談した後、諦め顔でこの世界に召喚された顛末を説明した。
仲間でもないクメールにここまで踏み込んだ説明をしたのは、ミーナによってクメールの人柄や能力が保障されていたことと、そして何より秘密を全部さらけ出すデメリットより、クメールを仲間に引き入れるメリットの方が遥かに大きいことを、皆が納得していたからだった。
「つまりあんたたちは、別の世界からこの世界に召喚された邪神の使徒で、この本は心が自分のスキルで作り出した、あんたの元いた世界の本だってこと?」
クメールは手に持った薄い本を眺めながら、眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「シン、あんたのスキルってどんな能力なの?」
同人誌を両手でしっかり握ってクメールが問い質した。
「俺の能力は“The Book”どんな本であれ、この世界だろうと元の世界だろうと“正しい名前”さえ分れば如何なる本であっても、この仮想媒体に複製できる能力だ。この本はもとの世界にある俺のコレクションに存在し把握していたから、召喚できたんだ」
「どんな本でも正しい題名が分れば複製を召喚できる、か。トンデモないスキルだわ・・・」真剣に考えこむクメールが意識せずつぶやいた。
「大事なのはそこじゃないわねぇ、メル」
後ろに回ったミーナがクメールの耳元でささやく。
「想像してごらんなさい。心の元いた世界にはぁ、こんなのがもっともっといっぱいあるのよぉ・・・」
「そうか!」
クメールの双眸がギラつく。
「未知の“どーじんし”の世界があたいたちの前に広がっているんだ!何千何万の見たことも読んだことも想像もしたことのない内容の“どーじんし”を、いつでも好きな時に好きなだけ読むことができるんだ!なんて素敵な世界なんだろう。あたいは一生かかっても読みつくせない“どーじんし”の海に沈んで、二度と出る必要はないんだ。冷めない夢がここにある!」
「決めた。シン、あたいをあんたの眷属にしてくれ。眷属でダメなら下僕でも奴隷でも何でも構わない。あたいの身も心もあんたに捧げ永遠の忠誠を誓うよ。だからお願い、シン」
クメールはシンの足に縋り付いて懇願した。
クメールの豹変に狼狽えたシンは、助けを求めて仲間を見た。しかしそこに心が見たのは、面倒ごとをスルーするように全員が彼と目を合わせない無残な光景だった。
「あー、まあ、その、リーダーとしてはいいんじゃないか?彼女もこんなに必死に頼んでいることだし・・・」
とシュウ。
「頼りになる仲間が増えるのは自分としては大歓迎だし・・・」
とケイ。
「前からケモ耳奴隷ほしいって言ってたし、ちょうどいいんじゃない?奴隷契約してあげなよ」
とエイコー。
「男として責任取るべきだよね・・・」
とトシ。
シンの必死の視線に耐え切れず棒読みで返す仲間たち。
「揃いも揃って友達甲斐の無いやつら・・・」
ガックリとシンは肩を落とした。
「やったー、だったら今この時からあたいはあんたの奴隷だ!」大喜びでクメールがシンに抱き着く。
「待て待て、なんで奴隷でそう喜ぶ?どうしてそうなる?」
クメールを引きはがそうとするが、ワーキャットの膂力には全く歯が立たず、抱き着かれたままシンは弱弱しく抵抗するのが精一杯だった。
「なんだよ、あたいじゃ不満か?あたいのどこが不足だってんだよ!」
クメールが嚙みつく。
「あたいはこのアルカンの斥候じゃずっとトップを張ってるソロハンターだ。索敵・隠密・罠探知は超一流、テイムだって楽勝さ。パーティー勧誘も引く手あまた。“死なずのクメール”の名を知らないハンターはいないぜ!仲間に入れて絶対損はさせないよ」
と啖呵を切る。
「そ・れ・に」
意味深に間を置く。
「見てよこのあたいの体。あたいを奴隷にしたら、あんたの好きなあーんなことやこーんなことを、好きな時に、好きなだけ、好きなようにしていいのよぉ」
シンに密着した全身を擦り付け、耳元で甘く囁き、強烈なフェロモンで誘惑する。
「俺をテイムするな!」
シンは誘惑に負けまいと全力で抗ったが、すでに手遅れだった。サキュバスも裸足で逃げ出す強力な彼女の誘惑に、最初から心に勝ち目などありはしなかったのだ。
「隷属の指輪だよぉ」
ミーナがどこからともなく一対の指輪を取り出しシンの手に押し付ける。
期待に満ちた潤んだ瞳でクメールがシンを見つめている。
周りはおめでとう、お幸せに、と勝手に祝福の言葉を投げかけ拍手している。
外堀を埋められ壁も天井もがっちり作られもはや脱出は不可能だった。
成す術もなくシンは、観念してクメールの軍門に下ったのだった。
「本当にいいのか?後悔はしないか?」
心はクメールに覚悟を問う。
「はい、あたいは身も心も心様のものです。獣身族の創造神たるイシュタール様の御名に誓って、我が命尽きるまで心様にお仕えいたします」
と氏族に伝わる誓いの聖句を嬉しそうに唱えた。
シンはミーナから耳打ちされ、
「クメール、俺はお前を生涯唯一の伴侶とし共に歩み、俺の命が尽きるまでお前を守ることを誓う」
と返しの誓いの聖句を唱える。
そしてミーナに促され、クメールの左手薬指に隷従の指輪を嵌めた。
もう片方はクメールがシンの左手薬指に嵌め、仲間の立会いの下契約は正式に成立したのだった。
クメールが仲間になったお祝いをしなきゃな、シュウはクメールに黙ってそっと“シザー”を発動し、彼女を神の呪縛から解放した。
スキルが発動した刹那、ビクッとクメールは体を震わせた。
長年自分を縛っていたものから解き放たれ、身も心も軽くなった感覚を覚えたが、なぜなのかは分からなかった。
隷属の契約の効果かとも思ったが、そんなことは聞いたこともない。
戸惑って周りを見ると、目が合ってバツの悪そうな表情をしたシュウと、それを見て訳知り顔でニヤニヤ笑うミーナが目に留まった。
なんかやったなコイツら。まあ今は最高に気分いいからいいや。締め上げるのは後回しにしよっと、とクメールは追及を棚上げにした。
それよりもっと大事なことが彼女にはあった。
愛しいシンが傍にいて、新しい仲間に自分が祝福され受け入れられている、その実感と嬉びに今包まれている。
それだけで十分だった。
クメールは、新しい居場所での幸福な生活を確信したのだった。
幸せいっぱいで花が咲いたような笑顔のクメールと、対照的に悲喜こもごもの複雑な表情を浮かべるシンを眺めながら、なあ、隷属の契約ってこういうものか?これ本当に隷従の指輪なのか?と小声でシュウがミーナに耳打ちした。
するとミーナは、そんな危ないものうちの店にあるわけないじゃない。ただの結婚指輪よぉ、としれっと答えたのだった。
2人の指輪の裏にはそれぞれ現地語で”Marry Me”、”Marry You”と彫られていたのだが、それを見つけて一杯食わされたとシンが悔しがり、クメールがシンを“あなた”と呼ぶようになるのはまだまだ先のことだった。
ー黒魔団が7人になったー
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