マルディグラに連れて行ってー初段ー
時は遡る
場所は日本某県某市、瀟洒なマンションの一室に5人の男が集まり、一心不乱に低いテーブル上の怪しげな記号や文字の彫られた物体を一心不乱にかき混ぜていた。
7月も終わりにさしかかった、梅雨明けしたばかりというのに真夏を思わせる体温越えの気温は夜になっても一向に下がらない、そんな暑苦しい夜だった。
部屋の中はエアコンが効いて快適そのものだ。
男たちはそれぞれ脇に飲料の入ったペットボトルを置きひたすらかき混ぜている。
お互いの手は不干渉のように見えて、よく見ると相手の動きを牽制している。
やがて気が済んだのか男たちはかき混ぜる手を止め、それぞれ自分の前に厳かに物体を、茶色の面を上に2段1列に並べ始めた。
並べ終わると1人の男が小さな立方体2個を手に取り、祈りを捧げるかのように額の前に押し抱き、静かに精神を集中させる。
「うりゃ!」裂ぱくの気合と共にテーブル上に放擲された物体は、2段1列に整列した王城を囲む城壁にも似た四角い空間を、からからと小気味良い音を響かせながら転がりやがて止まった。
「対7、四日市の山だ」尾張修太郎は、気合を入れて宣言する。
正面に座った男の山の左端8段目から、2列2段4牌を手元に持ってくると手元に立てた。
その動作を皮切りに、右隣に座っている福原佳も、尾張修太郎が取った後の山から牌を取り並べる。
その次は尾張の正面に座った西伯心気が、最後に四日市栄光が続く。
同じ動作が3度繰り返されると、最後に尾張修太郎が、残りの山左端の上段1個と、ひとつ置いた1個を手元に取って配牌完成は完成した。
勝ち抜けで1人参加せず、ソファで4人を茶化しているのが港年雄だ。
5人は全員大学生で、地元の高校時代からの腐れ縁仲間だ。なんの因果か3年間揃って同じクラスで過ごすうち意気投合し、大学生になっても相も変わらず集まっては騒ぐ気の置けない関係が続いている。
骰子を振ったのは尾張修太郎。身長165㎝、萌えTにパン、強めの天パのぼさぼさの髪に無精ひげ、意志の強そうな目と口元が特徴だ。サラリーマン家庭の3男、SFとホラーをこよなく愛し、入った金は本に使い、金がなくなるとギャンブルで一発逆転を狙う経済学部2回生。
尾張の下家に座るのがポロシャツにスウェットの西伯心気。身長180㎝、よく鍛えられた筋肉質の体格でスポーツ万能。短く刈り込んだ髪に真っ黒に日焼けした顔がよく映える。農家の長男で、歩く梨の木を作り出すことが卒研のマッドアグリサイエンティスト(仮)農学部3回生。
尾張の対面はチェックのシャツにジーンズの、四日市栄光。身長175㎝、理知的で穏やかな顔立ちで、黙っていれば賢いが話すと残念な5人の中では一番の常識人。教師一家の長男で、大学を休学して貧乏世界旅行を計画中の無鉄砲さを併せ持つ、酒を飲んでバカ騒ぎが大好物の情報工学部3回生。
尾張の上家はラグビージャージにカーキの綿パンの福原佳。身長195㎝、高校時代はラグビーのロックで鳴らしたほれぼれするような体格に、七三に分けられたヘアースタイルと、ウエリントン型の眼鏡の奥の優しい目が印象的なこの部屋の家主。開業医の長男で決して怒らず、NOと言わず、仲間のアホな言動を笑って見守る、懐の深い母親のごとき医学部3回生。
ソファに座って座を茶化しているのは、白の長そでシャツを腕まくりしたカーキの綿パンの港年雄。自衛隊一家の長男で、身長175㎝体重50㎏と細身ながら、バスケで鍛えた敏捷性と持久力に優れた細マッチョタイプ。肩にかかる長さの髪がおかっぱで、耳が尖っていればバルカン星人そっくりな顔立ちが特徴的な、1960~70年代黄金期のアメリカ製TVドラマをこよなく愛する経済工学部3生。
1年ぶりに全員が福原の部屋に集合し、恒例の宴会から徹夜麻雀の流れとなったのだが、この夜はいつもと違っていた。ありえない事象が起ころうとしていた。
「そういやお前今年もコミケ行くの、西伯?」
「当たり前だろ、決まってんじゃん。と、これ暗槓して、ここ持ってこい!おっしゃーリーチ!」
「ドラ槓なんかすな。しゃーない。それチーして一発消しといてっと。そんでお前の部屋相変わらず薄い本だらけなん?」
「俺の趣味だ、ほっとけ四日市。で、お前今年実家帰るんか?」
「帰るわけねーだろ。バイトした金全部ぶっこんで夏はヨーロッパ一周だ。いーだろー」
「「「「ふ~ん、」」」」
「流すなお前ら」
「お、いいとこ来た。良い鳴きだぜ四日市。じゃあ自分もリーチ!」
「福原お前もか、大概にせいよっと。そんで福原医学部って大変なの?」
「大変なんてもんじゃないぜ。キッツいぞ。バイトやる暇なんか全然ねえし。そんなんで動揺させよっても無駄無駄無駄あ~。それより尾張留年したって?」
「ブーメランか!講義さぼってパチンコとゲーム三昧してたら留年しちまったぜ。コレ通せ!」
「残念でした。リーチ、ドラが、お、裏ドラ乗ってドラ5で親ッパネのインパチ。毎度あり」
「引っかけかよ、汚ねえぞ西伯のくせに。人の柔らかい部分を抉りやがって。人でなし」
「はっはっは、騙される奴が悪いんだよ。早よ点棒出さんか」
「尾張何やってんだよ。そんなだから留年するんだよ」
「うるさいなあ港。そっとしといてやってくれ。そいやお前SOAP知ってるか?」
「ああ、あの何でも有りのドラマな。皮肉が利いてて面白いよな」
「バートがいい味出してんだよ」
「ほらキリキリ洗牌しろ、後輩。後つかえてるぞ」
ガラガラガラと洗牌の音がひとしきり部屋中に響く。
賽が振られる。
「左8、尾張か」
牌が取られ、次の局が始まった。
「尾張、お前留年親に怒られんかったの?」
「それがなあ西伯、何も言わずに黙って聞いて、一言“そうか”でお終いだった」
「尾張の親御さんえらいわ」
「俺もそう思う。頭が上がらねえよ」
「ご歓談中の所申し訳ないけど、リーチ!」
「お前今の話聞いて無かったのか、福原。お前もっと患者の心に寄り添わねえと良い医者になれねえぞ。それチー」
「言ってるそばからそれかよ。説得力皆無だわ尾張。これ通せ」
「悪いな西伯。それ当たり。喰いタンのみ」
「安っす~」「ショッボ~」「セコすぎ~」「自分の跳満があ~」非難の叫びが交錯する。
気が付けばとうに夜半が過ぎ、今日と明日が出会っていた。
いつもなら悪巧みと先読みに優れる尾張がトップを走り、四日市-港―西伯-福原と続く。
多少の変動はあってもおおむね毎回変わらない。いい方は悪いが性格の悪い奴ほど上にくる。
しかしこの夜は違っていた。
途中まではいつもと変わらない順位で推移していた。
しかし知らず知らず妙な展開へとシフトしていったのだった。
その発端となったのが福原だ。
半荘開始早々に彼が緑一色を上ったのだ。
役満なんてサマでも使わない限り一晩に1回出れば上等だ。
仲間内の麻雀だし、そんな技を使う奴なんているわけがない。
全員素人麻雀の使い手ばかりで、プロ級の奴はいない。
振り込んだのは尾張。当然ながら彼は一撃で飛び、ハコをかぶって最下位に転落した。
福原の勝ち抜けで港が入った。
次の半荘は西伯が大四喜を上った。
振り込んだのはまた尾張。
尾張は2回連続ハコ割れし、慰めの言葉の代わりに肩を全員からバシバシ叩かれた。
験直しのため深夜営業のファミレスに、全員で夜食を食べに行くことになった。
尾張は一刻も早く変な流れを断ち切ってしまいたかったので、カップ麺かウーバーを主張したがすげなく却下されたのだった。
満腹になってようやく気持ちが落ち着いた尾張は、自分がまだトータルでトップにいることを思い出し、変な復讐心は忘れトップ維持に目標を切り替えた。
役満なんてそうそう出るもんじゃないし、狙ったところで返り討ちになるのが目に見えている。
ここはひとつ堅実な打ち方で2位狙いとしよう。
変な役に振り込まなければそのうちツキも回復するだろう。
そこまで我慢々々。
とまあ彼に似つかわしくない殊勝な心掛けで迎えた次の半荘。
西伯が抜け代わりに福原が復帰した。
ここで何もなければ尾張の思惑通りになっていただろう。
しかし運命の神はサイコロを振る方だったのだ。
彼の受難はここからが本番を迎える。
この局の主役は港だった。
きれいな大車輪を上がり、尾張のトップを吹き飛ばした。
誰もが見惚れるような美しい手役だ。
振り込んだのはやはり尾張だった。
ここにきて皆は何かがおかしいと感じはじめた。
ツキが偏るどころではない、異常な事態が進行しているのではないか?
役満がでるにもほどがある。
これではまるで役満縛りじゃないか。
現実は脱衣麻雀ゲームじゃない、こんなインフレ麻雀はあり得ない。
しかも振り込むのは決まって尾張だ。
いくら性格がアレでも、日ごろの行いが悪かろうと、毎日遊び惚けてろくに講義にも出ず、挙句の果てに留年しようとも、こんな目に合うほど酷い存在ではないだろう。局所的な運の偏在が、恐怖の大王が降臨してしきそうな世紀末気分に場を作り替えていったのだった。
一度芽吹いた疑念は消え去らない。
心の中にしっかりと根を下ろし、大輪の花を咲かせつつある。
もしこの場に異常な運の偏在が顕在化しているのなら、その元凶は全て振り込み果てしなく沈み続けている尾張だ。
重苦しい空気を全身から放出し、口数も減り、慰めの言葉も耳に入らない。
もはやまともな手役を作る気は失せてしまっている様子だ。
大役狙いの時は、えてしてまともな役すらできないことが多い。世の中そんなに甘くないのだ。
水に落ちた犬はとことん打たれる運命なのだ。
第4戦目、港が抜けて福原が入った。
新しい半荘の開始だ。
次は誰が何の役で上がるのだろう?
淡々と場が進んでいく。
「ロン」
非常にすまなさそうに上がりを宣言したのは四日市だった。
「国士無双十三面待ち」
芸術的な役だ。
誰もが一度は上がってみたいと思う役のベスト3に入る筒子の最高峰。
本当は派手なガッツポーズで上がるべき役だ。
それなのに非常にひっそりと申し訳なさそうに和了した。まるで平和のみで和了したかのように静かな和了だった。
そして今回振り込んだのは…やはり尾張。
これを形容する言葉はもはや見当たらなかった。
魔王に挑む勇者一行が、城を出たばかりで肩慣らしに潜った初心者向けダンジョンで全滅してしまったら、これに近いのだろうか。
あるいは勇者パーティーから役立たずと追放されそうになった時、国王から勇者ごとパーティ全員が国から追放されたならば・・・。
尾張は黙って点棒箱の中身を場にひっくり返すと、ドアを開け外に出て行った。
「うぉぉぉー」雄たけびが長く尾を引き、近所の犬が一斉に吠え出す。
しばらく経って、汗びっしょりになった尾張がドアを開け帰ってきた。
「続きをやろうぜ」
笑顔で明るく言うが目は笑っていない。
他のだれもが一旦休憩するか、いっそのこともうお開きにしたかった。
しかしそれを口にする勇者はこの場にはいなかった。
その後も異常な荒れ場は続き、ほぼ全ての役満が出現した。
役満を和了する人物に偏りはなく、4人は概ね均等に和了っていた。
しかし、振り込み積もられ続けたのは一貫して尾張だった。
もはや彼は役満メーカーであり、クソ役ハンターであった。
彼のマイナスは天元突破し、かぶったハコは累積すると天井まで届いただろう。
「最後の勝負をしよう」
夜が白々と明け始める頃、尾張が鬼気迫る声で宣言した。
もう皆麻雀はお腹いっぱいだったが、誰も断ることはできなかった。
誰もが抜けたかったが、抜けられるのは一人しかいなかった。
その運の良い者は、前の半荘でトップをとった四日市だった。
安堵80%、怖いもの見たさ20%が入り混じった複雑な表情を浮かべ、四日市は最後の半荘を見守った。
親は西伯だ。
下家の尾張は、自分の配牌を見て一気に頬が紅潮した。
全身に無駄に気合が入っているのが周囲にバレバレだった。
全員が尾張に勝負手が来たことを悟ったのだった。
尾張は牌を握りつぶさんばかりに積り、叩きつけるように場に捨てた。
最終局面、尾張以外全員の考えは完全に一致していた。
絶対和了ってはならない。
この半荘は尾張が和了る。
ものすごい役で。
尾張に積もられるのは仕方ないが、自分だけは絶対に振り込まない。と。
なぜならこういう状況で尾張に振り込みでもしたら、彼に累積したとてつもない量の不運が自分の身に降りかかってくるのでは、と恐怖したからにほかならなかった 。
異常な緊張をはらみ場は進んでいった。
まるで緊張自体が目の前に具象化し、誰もそれから目を逸らすことができないかのようだった。
尾張の捨て牌が偏っている。
狙っている手はバレバレだった。
恐ろしい勢いで場に特定の種類の牌が捨てられていく。
牌を積もるのも捨てるのも、ペットボトルから水分補給するのでさえ何をしても恐ろしい。
考えることはもとより、息をすることもこの上なく重い。楽になりたい。もうどうにでもなれ。後は神の味噌汁だ。
緊張に耐えられなくなり、ついに親の西伯がリーチをかけ、千点棒を場に投げ出すと大きなため息を吐きだした。
それを見た下家の福原もリーチをかけ、後ろに倒れ込む。
それに続き尾張の上家の港も、2人に続いてリーチを宣言した。
3人とも完全に脱力してしまっていた。
3人リーチに絶体絶命となった尾張は覚悟を決めた。
清々しい顔で牌を積り、静かに切る。
ここまで来たら運賦天賦。
今さら失うものはすでに30世紀の原油のごとく枯渇している。
ようやく聴牌した。
4人リーチは場が流れてしまうためもうリーチはかけられない。
後は己の力で上がりきるのみ。
運命の時は来たれり。
淡々と打牌の音が響くなか、誰も和了らずついに海底牌が尾張に回ってきた。
(ここだ!なにを引き換えにしても構わない!神様仏様ご先祖様誰でもいいから俺に積もらせてくれ!)
静かに精神統一している尾張を皆が凝視した。
ゆっくりとした動作で尾張は海底牌を積り、じっくり盲牌したその感触を味わい、自分の牌の右に開いて置いた。
そして悟りを啓いた仏陀のような、穏やかな全てを見通す微笑みを浮かべ牌を倒していった。
一萬牌が3枚、二萬牌から八萬牌が1枚、そして九萬牌が3枚見える。
その隣に海底の萬子牌が少し離して置かれている。
役満の最高峰、純正九蓮宝燈十三面待ちだ。
溜めた息をゆっくり吐き出し、尾張が和了を宣言しようしたその時だった。
「おめでとうございま~す!君たちは異世界召喚者に選ばれました~」
室内に色とりどりの花火がさく裂しファンファーレが鳴り響く中、まったく空気を読まない能天気な声が尾張の和了宣言をかき消し、尾張たち5人の異世界召喚を告げたのだった。
放心状態で「俺の純正九蓮宝燈…」とつぶやく尾張を置き去りにして。
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