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 太陽が海から生まれる水平線を、私は作業をする手を止めて見ていた。体中の神経と細胞のすべてを目に集中させて、今日の分の太陽を記憶に焼きつけておきたかったから。


「ぼさっとしてんじゃないよ」


 魔女の叱責を浴びても、私はまだ日の光を眺めていた。外に出るときはパーカーのフードを必ずかぶっていなければならない。顔を隠せと魔女に言いつけられていた私は、そのせいで空を見ることがほとんどなかった。


「ほら、いい加減にしなよ」

「誰もいないんだから、いいでしょ。お天道様と顔を合わせたって」

「やることやったらね」


 魔女の日課に付き合わされた最初の日なんて覚えていない。気づいたら、それを手伝わされていた。強制力があったかどうか考えるけれど、なかったと思う。こうしてあげるべきだ、という同情の源泉は私の胸から湧いていた。


 目の前の彼女たちを見ていると、一刻も早く、死なせて楽にしてやるべきだと。


 遠くから流されてきた無数の人々は、みな傷ついていた。手足の欠損などざらだ。臓物が飛び出しているのもマシ。眉をひそめたくなるのは、女の臓器が逆向きに飛び出しているのを見つけたとき。こんなことって、あるのかと。女の体は冷やしちゃいけないんだと魔女が客に教えるのを聞いている身としては、潮水にじかに、女を浸している彼女たちの苦痛を想像したら、あげられる言葉がなかった。


 ここは海の向こうで続く争いの土地から、不要の烙印を押されて流れてくる人のたまり場だった。すすり泣き、死なせてくれとうめき声をあげる顔を見るのもつらいので、海から引き上げたらすぐにうつ伏せにする。瞳を合わせた瞬間、情に流され、救ってやりたくなる。そんな力、私にも魔女にもありはしないのに。


 今日は三人いた。あらかじめ用意しておいた薪の中に、ぬめる肌の女たちを入れる。もう誰も抵抗しない。何も言わない。しくしく泣くしかない。足の腱を切られているから、移動もままならない。男もひとりいた。そいつは男根を引っこ抜かれ、はらわたを引きずり出されていた。男は女と違って絶命しているから、よけいに重たい。四角に組んだ薪の中へ三人を配置して、木を組み直し、支度を終える。重労働は若い私の仕事だった。魔女は年だからと力仕事をしない。魔女に年齢があるものかと、こういうときは苦々しく思う。


 魔女は薪のそばでしゃがみこみ、マッチをすった。戦局を伝えるタブロイド紙と乾燥した杉に、緋色の炎が飛びついた。ぱちぱちと、杉の葉が悲痛な叫びをあげる。炎は得意げに四方へ手を伸ばし、薪を浸食していく。炎は女の髪を舐めまわし、タンパク質が燃える独特なにおいを周囲にまき散らす。やがて炎は業火に成長し、彼女たちを包み、火柱になる。


 揺れる炎の向こうで茂みが動いたとき、私は魔女の手でフードをかぶせられた。そしてうつむかなければならない。気づくと私は、人との交流が絶たされていた。


「燃えてるね」痰の絡んだだみ声の男だった。「今日は何人だい」

「三人だよ」

「ちょっと少ないかね」

「人が死んでるのに多いも少ないもないよ」

「人ね。人……こんな扱いされるのが、人とはね」それはまるで、ろうそくを吹き消すような男の笑い。「娘は相変わらずなのか。あんた魔女なのに、娘の顔も治せないのかい」

「見てくれが悪いのを治す魔法があるなら、教えてもらいたいね。あたしは真っ先にあんたの顔と、その下半身の粗末なものを上等なやつに仕上げてやるから」

「粗末とはまたなあ、これでも立派に息子がいるんだぜ」

「あんたに似た放蕩息子だろ。いいから消えな、魔女と関わるとろくなことがないよ」

「顔が悪くたって女は女なんだろ、年頃ならちょっと味見……」


 うつむいていた私は魔女が何をしたのか知らない。男がぎゃんと悲鳴をあげて、砂浜をさささっと駆け抜けて茂みにざっと飛び込んでいく音しか聞いていない。

 頭にぽんと乗ってくる、魔女の手。土と草のにおいがしみついている。嫌いじゃない。


「あんなやつにあんたは顔を見せる必要ないんだよ。どうせバカにされるんだ。よけいなところで傷つく必要なんかない」

「下半身が粗末なやつに上半身のことで笑われたくないもんね」

「そうさ」魔女は笑った。「あんた、おもしろいこと言えるようになったもんだね」

「魔女の娘だからね」

「あたしが何かと言い返すから似たってか。そんなことしたって魔女にはなれないよ」

「あんたは生まれたときから魔女だって言ってくれたじゃん」

「あたしくらいの魔女になるにはまだまだってことだよ」


 炎は成長を続けるための餌を失いつつあった。薪は黒く変色したら、白色に近い灰へと変わっていく。同じように、女たちもいったんは真っ黒焦げになって、炭化した肉片の隙間から白い体へと生まれ変わる。短時間で一気に燃やされたことで、骨はもろく崩れやすくなる。遺骨は残さぬよう、すべて灰にする。

 これは火葬ではない。彼女たちが、二度とこの世に近づかないように、生まれてこないようにするための儀式だった。炎がちょろちょろとうごめく火になったあたりで、私はバケツに海水を汲んでくる。それを炭にぶちまけて鎮火させて、朝の作業は終わった。


「お疲れさん」


 私をねぎらう魔女は、三人がいた場所から灰をひとつかみ握り取る。それから、近くの岩場に登る。海にせり出した黒いごつごつした岩は、肌が触れるだけでかすり傷をつけてくる。強い潮風に負けたら転んでけがをするから、足に力をこめて進む。

 突端に、魔女が造ったお墓があった。魔女は灰をつかむ手を、お墓の上でゆっくり開く。

 真っ白な粒子が指のすき間から零れ落ちると、風にさらわれて、空へ向かって飛び去っていった。

 次は、雲にでも生まれ変わるといい。どこにでも行ける。なんでも見られる。自由だ。苦しむ必要もない。


「この海があんたたちの墓だよ。広いだろう。何人入っても、これなら窮屈じゃないね」


 魔女は手から灰を払うように、両手を打ち鳴らす。岩場にたたきつけてくる波よりも大きな拍手は、彼女たちがようやく死ねたことを祝っているようでもあった。

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