Ⅵ
数日の休みを得て、晴子はユウゴが遺した品物の整理に務めた。光希の中で彼が生きているとしても、肉体は死んでしまった建前で過ごさなくてはならないせいだ。
「あなたのこと、写真家仲間の人が引き取りたいって言うの。生前に、もしあなたに万が一のことがあった場合、光希を譲渡する約束をしていたっていうじゃない」
「この頭には……僕が、どの写真をどこで撮影したか、すべて記録されているんだ。そういった情報を欲しがるのは、みんな当然だよ」
「でも私、あなたを誰かに渡すなんて絶対いやよ」
ソファの上で、彼にしがみついた。骨ばった、しかも金属のそれだから、光希の体は固い。でも、思いがけず柔らかいところもあった。精密機器がショックに耐えられるように挟めてある衝撃吸収剤だった。
さらに驚いたのは、光希の体があたたかかったことだ。なぜ、金属製の機械は冷たいはずなのに。
人の魂が入っているせい?
「機器の排熱だよ。でも、君が思っている以上に、機械はあたたかいんだ」
知らなかった、私。機械なんて、所詮は鉄の塊で、人に似ているところなんて外見だけでしかないと思っていたから。
もしかすると、愛玩用のヒューマノイドがつけている疑似生殖器も、自分が知らないところで本当の人間のそれにとても近づけて開発されているのだろうか。だとすれば、人の男性だけが持つと思っていた、筋肉がむきだしになったような荒々しい屹立も兼ね備えたあれを、機械が獲得できるのだろうか。もしも、彼の体に取りつけたら……。
それ以上を想像して、ふと隣の人妻を思い出した。平日の日が昇っている間は留守の夫に代わり、彼女は愛玩用ヒューマノイドを部屋に招く。そこで一時の夢を楽しむ。求めてこない機械を求めてばかりで、彼女は楽しいのだろうかと何度も思った。思っていた。
けれど今、自分はどうだろう。彼から求めてもらえるだろうか。その機能はついているのだろうか。本人というか本体に聞くのも気恥ずかしくて、ユウゴが光希を購入したときの資料がないかと探してみた。大学卒業のときに購入したというから、かれこれ十年は経過しているだろう。
ほこりをかぶっている箱をいくつも開きながら整理しているうちに、一枚の封筒が目についた。知らない病院の名前が記入されていた。もしかして持病があったの。不安に駆られて引っ張り出した書類の文字に、晴子は我が目を疑った。
「あなた、精子提供なんてしていたの……」
精子バンク登録のお礼を認めた封筒を見て、彼は苦しそうに頭を働かせた。
「覚えてないな……二十歳のころ? 日記帳があったから、それを見てみればたぶん……」
悩みながら手書きの日記帳をめくる彼を、晴子はいとおしく思った。やはり彼はユウゴなのだ。人だからこそ、昔の記憶があいまいになる。機械ならばそうはいかない。もしもこれが光希による、自分を慰めようとした人工知能のお芝居だとしても、こんな風に昔の記憶を引き出すのに時間はかからない
。
「海外旅行の資金を捻出するのに、精子提供をしたみたいだ……覚えていなかったな」
それから十年近く経過した。けれど、待てよと晴子は思った。もしかしたらユウゴの子どもを授かれるかもしれない。
「十年だよ」と、彼は目をむいた。機械だから、それっぽい仕草にしかならないけれど。「いったいどれほどの量の精子を提供して、どれくらい利用されたかわからないけど、でも、さすがにもう保存されていないんじゃないかな」
「そうね。でも、聞いてみる価値はあると思うの。だって私、あなたの子どもが欲しいんだもの。それにもし授かれたとしたら、シングルマザーとして夫役のヒューマノイドを購入しないといけないし。それなら元々利用していた光希に写真家助手の機能を削除して、夫役の機能をインストールすれば、あなたと本当の夫婦になれると思うのよ」
彼は思考が追いつかないのか、それとも機械の思考をまだ上手に利用できないでいるのか、ひどく困惑している。晴子はそんなのお構いなしに、封筒に記されていた病院に連絡してみた。担当の者がいないのですぐには答えかねるが、事情はよくわかりましたと電子音声が答えてくれた。
「もしもあなたの精子が手に入ったら、ねえ……あなた、そういう機能ついているの? ないならつけましょう。シングルでも出産をする女性って、夫役のヒューマノイドの疑似生殖器に提供してもらった精子を入れてするんですって」
「まさか、そんなこと君は望まないだろう」
そのまさかを、自分が考えないとでも思ったのだろうか。
恋しい人の体は失った。しかし心だけは戻ってきてくれたと信じてやまない自分が、彼の子どもを手に入れる機会を逃すようなまね、すると思っているのだろうか。
「あの日、あなた私のベッドに来るつもりでいたんだから、私のこと、まだ求めてくれるのよね」
「それは当然だけど、君、一人で仕事も子育ても」
「一人じゃないのよ」
そのために、政策の一環としてヒューマノイドをあてがわれるようになっているのだから。それらをすべて利用して、ありとあらゆる手段を使って、なんとかしてこの個体を、彼を側においておきたい。
「あなたがいるから一人じゃないわ。だから私、あなたの子どもが欲しいの」
それに、彼とまた一つになりたい……。その願いを叶えることはつまり、自分がかつて嫌悪していた人々と同じになるのだとしても、でも、やっぱり自分だけは別だ。
私は機械とするのではなくて、恋人とするのだから。
「ねえ、いいでしょう」
彼は困りながら微笑むという、人でいうところの恋人に完敗した表情を浮かべた。晴子は喜んで彼の胸にすがりついて、この胸に抱いてもらえる日を待った。
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