Ⅴ
「……悪趣味よ、あなた機械のくせに」
にらみつけた光希が首を振る。意味がわからない。だって今の声は、光希に違いなかった。それにこれは、ユウゴだけに許した呼び名だ。彼が自分をそう呼ぶのは、光希さえ入れない二人きりのときだけ。
誰も知らない二人だけの呼び名を、どうして彼が知っている。ヒューマノイドは登録してある人間しか名前で呼ばないのに。
「ハレちゃん、落ち着いて聞いてくれないかな」
光希の口が動く、彼の口調どおりに。けれど光希の人工的な美声で晴子を呼ぶ。愛し合ったときのあの呼び方で、私の名を呼ぶのは。
「……あなた」
「ハレちゃんは、解剖するお医者さんだから、そういうのを信じないってわかってる。死んだ人が軽くなるのは魂の重さじゃないって話、聞かせてくれたよね。でも、中にはあるんじゃないかって思うんだ」
死んだ人の魂が、本当に抜けて。「ユウさん……?」
愛し合うときの呼び名を告げると、光希は――彼はそっと、うなずいた。「君が、あんまりにも泣いて、僕を呼ぶから」
「うそ……」
「うそじゃないよ」
その声は、何度聞いても光希の美しい声だ。けれど「ハレちゃん」と呼ぶのはあの人しかいない。二人だけの秘密で、そう呼ばせていたのはユウゴしかいなかった。
「ハレちゃんは、信じないかも知れない。でも、ほかの誰かに話しても、誰も信じてくれないよ。だから、信じてもらえなくても、ハレちゃんに話すしかないと思ったんだ」
「信じるわ」
光の速さで晴子は答えた。
こんな私はバカでしょう? 死んだ婚約者の魂が、彼の愛用していたヒューマノイドに入る。そんな非科学的なことはありえないと、一蹴すべき立場にいなければいけない自分がいともたやすく陥落される。それは愛する人を失った今だからこそ起きた、ある種事件だった。他人事ならば、メンタルクリニックを紹介すべき事案だった。
でもこれは、私事だ。
「ユウさん……あなた光希のいうとおり、お風呂になんて入らなければよかったのよ……なんてバカなことしたの……」
「疲れて帰っても、久しぶりに君に会えたから……その、臭いとか」
「よかったのに、そんなの……どうでもよかったのよ」
生きてさえいてくれたら、そんなの。でも、今、彼はこうして生きている。生き返ってくれた。
そしてまた、この体で生き続けてくれるだろう。晴子が死ぬまで……その手にはもう、血がめぐっていないけれども。
「もう私、あなたに抱いてもらえないの?」
あの大きく包み込むような手のひらで、身も心も溶かしてくる熱い体温で、触れてもらえないなんて。機械の手は冷たい。喪服越しに伝わってくる機械の細くしなやかな指先は、ユウゴのそれとは何もかも違う。
「だって君は、機械とそういうことをするのは苦手だっただろう」
「そうね。だって機械は人を求めてなんかこないのに、そんなモノとしたって、満たされないって思っていたのよ」
でも今、光希の体内に宿っている彼は人だ。体を金属に変えてしまったけれど、彼は今、人なのだ。人である限り、人は人を求め続けるだろう。ずっと。ならば……。
お骨が焼けましたよと、ユウゴの母に呼ばれた。彼に目配せをするも、首を振られてしまう。彼の強い決意を晴子は受け取った。
骨壺に骨をつめながらも、晴子の意識は外に向いていた。真っ白で太くて、けれど人が生きている限りほとんど外部に出てくることのないその骨ではない。その骨の外の肉の外の皮の外にまで出て、けれど人工皮膚の中のコードの中の金属の骨の中に戻ってきてくれた彼のことを、晴子はずっと思っていた。
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