Ⅱ
「あの人、人じゃなかったのね」
「ヒューマノイドですよ。あの方の夫役ですね」
一見すれば人だ。もちろん人に似せて作っているのだからそう見えて当たり前だが、遠目からでは人か機械かの判別なんてつけられないほど、現代の機械産業は技術が躍進している。その技術を少しでも変死体の解剖にわけてもらいたいのだが、いかんせん「死」を知らないヒューマノイドでは話にならない。ただ解剖をすればいいというものでもないから、やはりこの分野には人の手がどうしても必要とされる。
結婚をしない、もしくはなんらかの理由で一人親となった場合、子どもを健全に養育することは難しい。一人親だと子どもが悪くなる、なんて乱暴な決めつけは昔の言い分だが、しかし不良傾向に向かう青少年の多数に家族環境が一因していることも見過ごせない。それを改善しようと模索した結果、一人親に足りていない夫もしくは妻となる存在に、ヒューマノイドを代理としてあてがう制度が誕生した。
するとおもしろいことに人は、自分同様思い通りにならない人間ではなく、ヒューマノイドと内縁関係を結ぶようになった。彼ら彼女らとホンモノの夫婦になろうとして、自分たちに足りない生殖細胞の提供を受けて子どもを授かる。まるで機械の子どもを授かるように。
しかしそれは、機械と結婚するなんてと軽蔑のまなざしを向ける人を増やすことも事実だった。感情のない、心のない金属の塊にいったいどうして愛情を抱けるというのか。
言葉は悪いが、私もその一人だった。
「あの人、再婚するつもりなかったのかしら」
「事故で亡くした旦那さん一筋だったらしいです。それもトラウマとなっているのではないでしょうか」
生きていく限り、人には避けられない死が待っている。それは必ず人生のどこかでぽっかりと口を開いていて、人はそれの存在を知ってか知らずか生まれ落ち、生まれたからにはその穴の開いた道を歩かなければいけない。その穴に大事な人が落ちていく瞬間を目撃したら、その悲しみを二度と経験したくないと思うのは人として当然のことだ。
ならばいっそ、死なない存在とともに生きていこう――機械ならば、決して死なない。機械の体が壊れても、バックアップさえ残っていれば問題ない。新しい体に以前のデータを入れるだけで、自分の愛しい存在は生き返るかのように元通りになる。
「晴子さんはヒューマノイドが苦手なんですね」
「仕事の助手として使う分にはね、いいのよ。だってあなたは、とても優秀に補佐の仕事をしてくれるじゃない」
そのために造られたのだから当然ですよと、彼は人工知能の学習研鑽によって会得した微笑を浮かべた。かつての機械にあったようなぎこちなさはなく、人の表情筋を参考に作られた微細なコードが人工皮膚の下でうごめき、彼の口角を上向きにする。きれいな三日月形の唇だった。
「私が苦手なのは、なんていうの? その、機械に愛情を抱いて、もっと言っちゃえば、情欲を持つ人たちなのよ」
「ヒューマノイドには無縁の性欲ですね」
「子孫を残す必要のないあなたたちと、子孫を残さないといけない私たちとでは、何かと違うでしょう。それなのに残す必要のある者同士じゃなくて、必要のない者にそれを求めてしまうのは、なんだか少し、考えちゃうのよね」
「自分は医療従事用に開発された個体なので、そういった行為とはなおのこと無縁ですからわかりようがありません。けれど愛玩用として疑似生殖器をつけた個体は、主人が人間と結婚するとなるとフリーズを起こす現象が少なくないそうです」
それは興味深い話だけれど。「機械でも嫉妬をするっていうの?」
「わかりません。たぶんそれは、魂の重さと同じくらいあやふやな理由だと思います」
過去には、人の死ぬ直前と死後の体重測定を行った人物がいた。アメリカ人医師マクドゥーガル博士の努力には頭が下がる一方、その結果は彼自身も納得していなかった。死んだ人間から失われた数十グラムが、本当に魂の重さなのか疑問を抱き、以降彼はそれについての実験を行わなくなった。だから、魂の重さの確証はない。
少なくとも私は、あれは水分の蒸発によるものという見方の方が正しいと思っている。
それでも、本当のところは。「世の中わからないことだらけね」
「人はわからないものが好きでしょう。それを解明するのも、そのままにしておくのも」
わかったような口を利くヒューマノイドの助手は、ワイヤレス充電マットの上でコーヒーを入れてくれた。もちろん晴子の分で、彼は飲めない。彼、と一応は呼ぶものの、その個体には愛玩用にあるような疑似生殖器もない。だから男女の性差が彼にはなかった。
性同一性障害の人々が、自らの体内に根ざす生殖器を取って、厳密にいえば中性となった体でも、自らの求める性になったとして、彼、彼女と他人には呼ばせていた。医療技術が発達した今、自身がかつて持っていた生殖細胞を元に子孫を残す方法は、人工子宮などを利用する形で認められている。
それでも、彼ら彼女らは、性を持たない人間として生きている。あたかも初めから生殖器を持たない無性の機械のように。だから彼ら彼女らのためにも、そして機械と夫婦になる人が増えゆく未来のためにも、今後はそうした呼称が多いに必要とされるだろう。
けれども人はまだ、性差を感じさせずに他人を呼ぶ三人称を考えられていない。
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