第58話 誕生日② 夜
「――奥、行けるか?」
「は、はい」
体をぎこちなく使ってベッドの奥に移動する陽菜と一緒に、俺は枕を彼女の方へ移動させながら布団の中に入る。
なぜこうなったか説明しよう。
♦♦♦♦♦♦
「……帰りたくない」
その言葉に、俺は一瞬耳を疑った。陽菜が、そんなことを言うなんて――。
「え、いや、でも、さすがに……」
混乱しながら返事をすると、陽菜は少し困ったような顔で視線をそらした。
「だって……今日は私の誕生日だよ? こんなに楽しい時間を途中で終わらせちゃうの、なんだか寂しいじゃん」
陽菜の声は少し拗ねたようで、だけどどこか真剣だった。
俺はそんな彼女をどう説得するべきか頭を悩ませる。
「いや、でも、それだと家の人が心配するんじゃないか?」
「それなら大丈夫だよ! ちゃんとお母さんには話してあるもん。『今日は友達の家で遅くまで過ごすかも』って。それに今日は金曜日だし」
「友達って俺のことかよ……」
思わずツッコミを入れると、陽菜は悪びれた様子もなく「そうだよ」と笑って言った。
その無邪気な笑顔に、俺の反論は見事に封じられる。
「それにね、ほら!」
陽菜は自分の足元に置いていた少し大きめのバッグを持ち上げ、中身をちらりと見せてきた。
そこにはしっかりと畳まれたパジャマやタオル、歯ブラシなどが入っている。
「準備万端でしょ?」
「……最初からそのつもりだったのかよ!」
俺は半ば呆れながら問い詰めると、陽菜は少しだけ顔を赤くしてそっぽを向いた。
「だって……どうしても今日は、もっと一緒にいたかったんだもん」
その言葉に、不意打ちのように胸がぎゅっと締めつけられる。
俺が何か言い返そうとすると、陽菜が急に俺の目をじっと見つめてきた。
「それに、誕生日の人のわがままは聞かなきゃいけないんじゃないの?」
「いや、それを理由にするのはずるいだろ……!」
「ずるくないよ。今日は私が主役なんだから!」
陽菜は少しだけ笑顔を浮かべながら、そう言い切った。
そのまっすぐな目と声に、俺は観念するしかなかった。
「……わかったよ。ただし、ちゃんとルールは守れよ?」
「うん!ありがとう、輝くん!」
陽菜は嬉しそうに微笑み、バッグを抱きしめた。
その笑顔を見ると、俺の不安や戸惑いはどこかへ吹き飛んでしまう。
それから風呂にそれぞれ入り終わると陽菜の姿が見えない。
俺は家を探し回り、最後彼女が自分の部屋にいると分かり、自分の部屋をノックする。
――トントントン。
「は、はい。開けても大丈夫ですよ」
くぐもった声が許可を下ろしたので、風呂から上がった俺は寝室の扉を開く。
そこには先程とは違った可愛らしい服を身に纏った陽菜がベッドの上にちょこんと座りながらこちらを見ていた。
「何してんだよ」
「輝の部屋探索」
「帰らせるぞ」
「ごめんって」
「そうだ。もう遅いし、早く寝な。俺は向こうのソファで寝るから、何かあったら電話かメッセージを送ってくれ」
ソファーは少し寝辛いだろうが、一人暮らしにはベッドが一つは当たり前なので仕方ない。
俺は陽菜が体を拭いたであろうタオルの入ったバスケットを手に取ると、寝室を後にしようとした。
「っ……何だ?」
その時、いきなり俺の裾を誰かに掴まれる感覚がした。
誰かと言っても、ここには俺の裾を掴めるやつなんて一人しかいないわけだが……。
「その……ソファじゃ、体を痛めちゃうよ。だから、仕方ないから、一緒にここで寝よ!」
「っ――!?」
……ちょっと待て。
今陽菜はなんて言った。
一緒に寝る!?
……いや違う。
焦るな、冷静に対応しろ。
「……仕方ないことなんてない。俺はちゃんとソファで寝られる。だから――」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
陽菜の手が掴まれたまま寝室を出ようとすれば、裾を掴む力が増した。
「流石に一緒のベットはマズい。一人が怖いって言うなら敷布団持って来て下で寝るから」
「い、嫌です」
「何でだよ」
「いいじゃないの!ほら、私今日誕生日!主役の言うことは絶対!だから、今日だけ、その……一緒に寝てほしいです」
上目遣いでおねだりする陽菜あまりにも可愛すぎる姿に、俺は思わず息を荒くしてしまいそうになる。
駄目だ、ここで取り乱してはいけない。
そしたら全てが終わる。
あくまで平然と、気にも留めない表情で。
「……充電器とかいろいろ持ってくるから、ちょっと待ってろ」
「逃げませんか?」
「そこまで言われたらもう逃げられねぇよ」
陽菜が手を離してくれたので、俺は早く寝室から出たい気持ちをぐっと堪え、歩いて寝室を出ようとする。
いつもと同じテンポと歩幅で歩き、いつも通りの力で扉を開け、そして閉める。
瞬間、その場にへたり込んだ。
扉に体重をそっと預け、未だに激しく鼓動している胸に手を当てる。
「はぁ……はぁ……クッソ……」
確実に、俺の中で陽菜の存在が大きくなりつつある。
これ以上、これ以上惚れたら駄目なのに。
好きになっても、無駄なのに。
……とりあえず、早く寝室に戻ろう。
陽菜が待ってる。
♦♦♦♦♦♦♦♦
「――奥、行けるか?」
「は、はい」
体をぎこちなく使ってベッドの奥に移動する陽菜と一緒に、俺は枕を彼女の方へ移動させながら布団の中に入る。
こういうことである。
――――――――――
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