第46話 文化祭②-5 押されたのは前か後ろか

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▼松村陽菜視点▼


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体育館の観客席は、熱気と興奮で溢れていた。

カラフルなライトが舞台を照らし、観客たちの歓声が天井を突き抜けるように響いている。

私――松村陽菜は、妹の咲音を連れてその喧騒の中にいた。


「すごい!お姉ちゃん、本物のライブみたいだね!」


咲音は目を輝かせながら、ステージを見つめている。

小さな手を何度も叩いて拍手する様子は、本当に楽しそうで微笑ましい咲音に対して私は微笑みつつも、心の中がどこか落ち着かない。

その理由はステージの上、眩しいライトに照らされてキーボードを弾く輝。

特別な時しかしない髪をかき上げたスタイルの彼は体を大きく動かしながらも、正確なリズムで音を奏でている。

その表情は普段の彼とは全然違う。真剣で、何より、いつもより――カッコいい。


「……すごいなぁ」


思わず小さく呟いたその言葉が、自分の心の奥底から漏れ出た本音だと気づき、顔が熱くなる。

演奏が始まる前までは、咲音に「輝お兄ちゃんが出るんだよ!」と言われても、冗談だろうとか、万が一本当だったとしてもどこか緊張していた彼の姿しか想像できなかった。

でも、今目の前でキーボードを弾いている彼は違う。

余裕すら感じさせるその姿に、胸の奥がギュッと締め付けられる。


「お姉ちゃん、輝お兄ちゃん、すっごくカッコいいよね!」

「……そうだね、本当にカッコいいね」


私の袖を引っ張りながら、はしゃいだ声で言う咲音に笑顔を向けながら、胸に湧き上がる感情を抑え込もうとする。

だけど、その気持ちは一向に消えるどころか、むしろどんどん膨れ上がっていく。

曲が切り替わると、体育館の雰囲気がさらに盛り上がる。

ボーカルの女の子が軽快なMCで観客を煽り、それに応えるように歓声が一段と大きくなった。

その声援の中で、輝が微かに笑みを浮かべるのが見えた。


「……すごいなぁ、輝くんって、こんな表情もするんだ」


思わずそう呟いてしまう。

普段の彼は少しぶっきらぼうで、自分の感情をあまり表に出さないタイプだ。

それが今、こんなに堂々として、まるで舞台俳優みたいに輝いている。

その姿を見ていると、私の胸の奥に少しずつ違う感情が混じってくるのが分かった。


(私なんかより、ずっとすごい人なんだ……)


咲音が「お姉ちゃん!」と声をかけてきても、私は彼の演奏から目を離すことができなかった。

観客たちが一斉に手拍子をし、ステージの上で輝たちがさらに音楽に熱を込めていく。

体育館全体が一体感に包まれ、会場はまるで本物のライブ会場のようだった。

でも、そんな空気が盛り上がるほど、私の心の中にじわじわと不安が染み込んでいく。

輝がキーボードを叩く手元を見つめる。普段の彼と全然違う。自信に満ちた彼の姿に、私は無意識に拳を握りしめていた。


(私、本当に彼の隣にいていいのかな……)


彼が目立つ場所でこんなに輝いているのを見るのは、初めてだった。

これまで一緒に過ごしてきた日常が嘘みたいに思えるほど、彼は別の世界にいるみたいだ。

キラキラとした彼の姿を見るほど、私の中に生まれてくるのは焦りと不安。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


咲音が私の袖を引っ張る。彼女は純粋に楽しんでいる様子で、私の心の中を察することはない。


「ううん、なんでもないよ」


そう言って笑顔を作ったけど、その笑顔はきっとぎこちなかったはずだ。


(輝くんのこと、もっと知りたいって思ってたのに……)


私が見ているのは、まだほんの一部分だけだったのかもしれない。

ステージの熱が最高潮に達する中、輝がふと目を上げた。その視線が一瞬、こちらに向いた気がした。

私の胸がドキッと音を立てる。


(見てるの……私のこと?)


いや、違う。こんな大勢の中で私に気づくわけがない。

でも、その一瞬で私の中に抱えていた感情が一気に揺さぶられる。

彼に見られたら、こんな不安な顔をしているなんて、絶対に知られたくない。


「お姉ちゃん、次の曲で最後だって!」


咲音が嬉しそうに言う。ステージから聞こえる鳴海さんの声が、最後の曲を告げた。


「そっか、最後か……」


私も何とか声を絞り出す。

最後の曲は、静かで美しいバラードだった。輝のキーボードが流れるような旋律を紡ぎ出し、観客たちは一斉に静まり返った。

その音色を聴いていると、胸の中に広がっていた焦りが少しだけ薄れていく。


(私も変わらなきゃいけないのかな……)


彼がこんなにカッコいいなら、私だって何かしなくちゃいけない。

だけど、何をすればいいのか分からない。

彼ともっと近づきたい。でも、そのためには私がもっと……もっと――。

そんなことを考えているうちにあっという間に演奏が終わり、体育館が割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

咲音は両手を高く掲げて全力で拍手している。


「すごかったね、お姉ちゃん!輝お兄ちゃん、ほんとにかっこよかった!」

「……うん、すごかったね」


私も拍手をしながら、心の中で彼の名前を何度も繰り返していた。

輝くん、私ももっと――そう思いながら。

そんなことを考えていると、私のスマホが音を鳴らす。


『体育館前に集合で』


輝からのメッセージに少しドキッとした。


「輝お兄ちゃん、体育館の前で待ってるってさ」


そう咲音に伝えすぐに体育館前に向かうとすでに輝の姿があった。

咲音が嬉しそうに輝に駆け寄っていく。


「お兄ちゃん、すごかったよ!」

「ありがと~」

「陽菜も見てくれた?」

「うん。すごかったよ」

「ありがと」


彼女の言葉に少し照れた様子で笑う輝の姿を見て、私は胸の中に抱えていた不安がほんの少しだけ和らいだ気がした。

でも、それと同時に私は改めて思う。

こんなにすごい彼の隣にいるためには、私も変わらなければいけない、と――。

少しは変わったつもりだったけど、それじゃだめだ。

もっと大胆に、もっと積極的に……。

待ってちゃダメ。

取られる前に。


「それじゃ、チーズハットグ買いに行こっか」

「いこいこ!チーズ♪ハットグ♪チーズ♪ハットグ♪」



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