ミルフィーに首ったけ

@thecatcherintherye

ミルフィーに首ったけ



 僕はミルフィー。異世界案内猫だ。黒猫だけど、別に不吉なことを起こそうなんて思ってないよ。もしかして、黒猫だから変な世界に案内する悪い猫だと思った? 違うよ。まったくもう。


 今日はある男子高校生の部屋に忍び込んでいる。もう朝の7時なのに、彼はまったく起きる気配がない。多分、深夜までゲームやYouTubeを見てたんだろうね。仕方ないなぁ、まったくもう。


 僕はベッドの枕元に立ち、前足で彼の頬をチョンチョンと小突いた。


「なんだよ」と彼が不機嫌に声を出すが、目を開ける気はないらしい。困ったもんだよ、まったくもう。


 僕は手入れの行き届いた前足の爪をキラリと光らせ、彼の頬を引っ掻いた。



「痛ってぇ~」彼はベッドから飛び起きた。


「この黒猫め。捕まえてやる!」と言って、彼は飛び掛かってきた。


 僕はヒラリとかわす。伊達に様々な異世界を旅してない。粗暴な輩に命を狙われるのは日常茶飯事だ。こんな取り柄のない男子高校生に捕まるようじゃ、命がいくつあっても足りないよ!かかってこいよ、まったくもう!


「ふん、青二才が」と僕は彼にわかるように日本語で発した。


「猫がしゃべっている…」と彼は目をキョトンとさせ、僕を見ている。しゃべる猫が珍しいのか? しかし、ジブリ映画で色んなものを配達する魔女の側にしゃべる猫がいたじゃないか。なにをそこまで驚く必要があるんだ。日本人は喋る猫に耐性があるはずだろう? がっかりだよ、まったくもう!


「君のような知性の欠片もないガキンチョに勇者が務まるもんかね」


 僕は呆れた様子で言った。


「勇者だって? もしかして、異世界に転生させられる流れじゃないよな」


彼は嫌そうに言った。


「そうだよ。嫌なのかい?」


「嫌だよ。だって、俺ってそんなにブサイクじゃないだろ。ニキビもないしさ。髪型だってめっちゃ気を使ってるんだぜ。おかげで、今かわいい彼女がいるんだ。超いい匂いのする彼女なんだ。なんか甘い匂いでさ、俺が守ってあげないと悪い男に食べられちゃいそうなくらい可憐なんだ。今、人生で一番ハッピーなのに、なんで別の世界で一からやり直さないといけないんだ!! 俺は絶対嫌だね」


 彼は身振り手振りで熱く語った。まるで人類の歴史上に存在した独裁者みたいだ。彼を異世界に転生させたら、その世界の覇者になり、破壊の限りを尽くしてしまう…のかもしれない。


「転生したら、もっとかわいい彼女ができるかもよ?」


 彼の耳がピクピクと動く。動いているのは耳だけじゃない。心もだ。


「でも、今の彼女以上とは断言できないだろ?」


 彼はモゴモゴとしゃべる。確証が欲しいのかも。


「断言はできないな」


 僕は正直者だ。


「へぇーそれじゃあ行けないな。それに本当に異世界なんかに行けるのかい?」


彼は訝しげな表情を浮かべて言った。確かに、喋る猫がダラダラと異世界に行こうと誘っているだけだからね。わかった、ちゃんと説明してあげるよ、まったくもう!


「この部屋のクローゼットを開けてみなよ」


「はぁ? なんで」


「いいからさ。開けてみればわかるよ」


 彼はさらに訝しげな表情を浮かべながら、おそるおそるクローゼットの扉を開く。


 そこにはどす黒い円の中で、何かがキラキラと輝いており、それが渦を巻いていた。あるRPGで出てくる水色で渦を巻いている旅の扉のようであり、あるSF映画で出てくるワープホールのようだ。僕もこの『夏への扉』をうまく形容できない。ただ、『夏への扉』の先にこことは違う世界が待っているのだけはわかる。彼も一目でわかったはずだ。


「なんだよ…これ」


 彼は一瞬、言葉を失った。


「『夏への扉』さ。その先に異世界が待っているよ。僕は絶対、異世界に行った方が良いと思うよ」


「なんだかキモッ」


 彼の顔に嫌悪感が広がった。そりゃあそうだよね。喋る猫がわけのわからないことを言ってるんだから。


「俺はやっぱり嫌だ!!この世界に留まる」


 彼は頑なだった。そして、この部屋を出ようと入口の扉に手をかけた。


「本当にその扉を開けていいのかい?」


 僕は意味深げに言った。これって大事だよ。


「僕はこの世界が好きなんだ」


 彼は駆け出しの役者が役者人生をかけて一世一代 の大勝負に出たときのように思いっきり表情を作って言った。たぶん、彼女に愛の告白をするときも同じように言ったんだろうな。


 彼は部屋の入り口の扉を開いた。


 その先には地獄のような光景が広がっていた。ここは住宅街だったようだ。周りの一軒家はすべて瓦礫になっていて、住んでいる人はいないようだね。外は真っ暗で、街灯もない。電気は通っていないみたいだ。その先ずっと先に大きな建物が見える。あれはおそらく新宿都庁だった建物だ。しかし、今にも壊れて崩れそうだ。


「それが現実だよ」と僕は冷たく言った。


「君がいたこの部屋だって、現実世界とは限らないだろう?もしかしたら、ふかふかのベッドの上でかわいい彼女を思って、幸せそうな顔をして寝ていたのも夢かもしれないじゃないか」


 僕はさらに続けて言った。


「嘘だ、嘘だ、こっちが夢なんだ」と彼は扉の先にある現実を指差して言った。


「夢じゃないよ。もう諦めて異世界にいこうよ、まったくもう」


 僕は頭を抱えながら呆れるように言った。


「君がいた現実世界は文明が崩壊したんだ」


 トドメの一言。あまり言いたくなかったんだよな、まったくもう。


「じゃあ、なんで俺は生きていた世界が崩壊したことを知らなかったんだ」


 彼は涙をこらえきれず、声が震えていた。


「君、夢を見ているときに、夢の世界だって気づけるかい?少なくとも君は気づけなかったじゃないか」


「じゃあこの部屋は夢の中なのか?それならクローゼットにある『夏への扉』も僕の夢が描いた幻想だろ。違うのか?」


 彼は泣きじゃくりながら言った。


「さあ、『夏への扉』を開いてみたらいいさ。少なくとも今開いている扉の向こうよりは良い世界だよ」


 僕は少し笑みを浮かべ、優しく言った。彼はゆっくりと扉を閉めた。


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