第5話 瀬々さん

 それから、ぼくが無言で、そーっと、距離をとると、彼女も無言で、ぼくを、そーっと、追いかけだした。

 あたりまえだけど、図書館の中は、走ってはいけない。だから、そーっとした移動をしている。そーっと、移動すると、彼女の方も、そっーと、ぼくへ近づき、すると、ぼくも対抗して、そーと、にげる。

 図書館の二階には他に利用している人がいなかった。ふしぎだった、平日の午後は、いつも人はいないけど、今日は、ワをかけて人がいない。

 ぜったいに走らず、ぼくは、そーっと、した動きで、小説棚ゾーンの前から、図鑑棚ゾーンの前へ移動した。向こうも、そーっとした動きで、ついせきしてくる。階段の前を通り過ぎ、エレベーターの前を通り過ぎる。

 きほん、図書館の中は、おしゃべりはひかえるべきだった。ただし、今日、図書館の二階には、ぼくたち以外、誰もいなかった。

 でも、おたがい、なぜか言葉でコンタクトをとろうとはしなかった。よくわからないけど、そういうかんじになった。ふたりに言葉はいらないと、ふたりとも言葉をつかわないで、通じ合っている感じといえた。

 さっかくだろうけど。

 とにかく、そーっと移動すると、向こうも、そーっと、おいかけてくる。そーっとした動きなので、彼女のこともよくみえた。やっぱり、隣の中学校の制服だった。髪の毛がながいし、前髪は額で逆三角形みたいにととのえてある。保健室情報によると、背はぼくと同じくらいだった。ぼくは、へいきん的な中学生一年生の大きさより、やや、低めらしい。

 そーっとした動きで、図書館員の人が毎月かざっている今月の特集コーナーへ移動する。今月は、フルーツがでてくる物語特集だった。何冊か、おもしろそうな本もみえた。クレヨンで描いたポップもはってあるし。でも、いつものように本を手にとっている場合じゃなかった。そーっと、気になる本たちの前を通り過ぎる。彼女の方も、特集コーナーは気になるみたいで、見ながら通り過ぎる。

あのコーナーが気になるとは、なかなか、できる人だった。

 それから、開始会議室の扉の前も通り過ぎる。ここでは、たまに、なにかの会議とか、読書会なんかをやっているらしい。参加はしてないけど、ぼくがまえに、読んで面白かった本でやっていたこともあった。

そこも、そーっと通り過ぎる。何とか学とか、そういう本ばかりで、近づいたことがない場所だった。でも、ときどき、ていさつはした。なにがムズカシイのかを知ることじたいがムズカシイだろう本ばかりの棚の前へ行き、読みも、読めもしないのに、本の表紙や題名を見て、ふんふん、そうか、なるほど、みたいな顔をして、ひとりであそんでいた。

 そんな、人に話すこともムズカシイ過去の記憶のあるムズカシイ本のコーナーも通り過ぎる。

 彼女は、ずっと、そーっと、そーっとしているので、だんだん、ぼくが彼女に追いかけられているのか、彼女がただ、ぼくについて来ているのか、ワケがわからなくなってきた。

 まひしてきている。でも、すこしだけ、たのしくなってきたので、やっかいだった。

 この、そーっとの、ついせきは、おおよそ三分はつづいた。たぶん、柔道の試合時間と、おなじくらいつづいた。

 けっきょく、ぼくが、ふと移動をやめると、彼女もやめた。そーっと動いただけなのに、おたがい、ちょっと息がきれている。

 むこうも運動不足なひとにちがいない。でも、汗はかかなかった。窓から入って来る風は、涼しくてきもちいい。ずっと、ゲームで出てくるような回復アイテムをもらっている感覚だった。

 でも、いまこうして窓から、すいすい入ってきている風は、窓が割れているから、だいたんに入ってきているだけの風だった。

 そして、さっき、そんな窓を、彼女はレジャーシートでふさごうとしていた。

 どうして。

 考えていると、彼女はいった。

「名乗る」

 いったというか、宣言だった。彼女は右手をじぶんの腰へそえてたっていた。

 でも、いまここに、他に人はいないとはいえ、図書館の中はおしゃべりはひかえるべき、というのが、彼女も思ったらしく、少し近づいて来て、さらに小さな声でいった。

「わたしは」

「はい」

 ぼくはリズムで、なんとなく、返事をした。

 すると、彼女はそのまま、かたまった。わたしは―――から、なにもいわない。

 どうしよう、けっこう顔が近いところで、とまられた。こまった、ぼくのこころが、特殊なこまり方をはじめた。

 だけど、まつしかない。

 まってみると、彼女はしゃべりだした。それは、なんとなく再起動みたいな感じに。

「わたしって、なんだろう?」

 質問をしてきた。

 しかも、ぼくが知るはずもない、彼女じしんの存在をといかける、わりかしテーマの大きい質問だった。あまりに、大きなテーマすぎて、ぼくにはなすすべがない。

そこで、ぼくは「何かを見失ったんですね」と、いった。

「まあいい」と、いって、彼女はもう片方の手もじぶんの腰へ添えた。「過去のじぶんにこだわってたら、名ゼリフは世に残せない」

 ふしぎなことを言うコだった。すくなくとも、ぼくのともだちにはこういうコはいない。

「って、あ、あ、ねえ、いまのがまさに、名ゼリフだと思わない?」

きかれて、はんしゃてきに「いや」と、こたえてしまった。

そういえば、母さんもいつかいっていた、とっさというのは、本音がでるものよ、と。

じゃあ、でたんだな、ぼくの本音。

すると、彼女は、ムスっとした顔をした。それから「あなたとは、てつがくあわない」と、いいきった。

てつがくがあわない。

「あわないとどうなる、てつがく」

ぼくは深追いした。

「しかし、なぜ、どうして、わたしからにげる」でも、こっちからの質問にはこたえず、逆にそれをたずねてくる。「わかった、みやぶったぞ。なにか、やましいことがあるんだ、そうだ、そうなんだね」

おいつめようともしてきたので、ぼくは「ごめん、てっきり、君は、ぼくにしか見えない、この図書館の妖怪なのかとおもって」と、いいかえした。

「ようかい」彼女はきょとんとして、しばらくだまった後で「ねえ、天使と、まちがえてない」といった。

だから、ぼくは「じゃあ、天使のようかいで」と、いった。

われながら、ひどい。発想のパワー不足だった。

ぼくからの回答をうけ、彼女は、腰に当てていた両手でうでを組んだ。それから右手をあごにそえた。

事件の謎を考えるみたいなポーズをとること、三秒。

「わかった、妥協して、それで手をうとう」

「あ、それでうつんだ、手を」

「あなた、むこうの中学の人だよね」

 ぼくの制服を見て、彼女はそういった。

 すこし考えてから、ぼくは「それはどうかな」と、いった。はぐらかしてみる。

すると、彼女は「そうきたか」と、いって、両手を腕組みへもどす。

そして、つぎはぼくの方からから彼女へいった。

「君が着ているのは、あっちの中学校の制服だ」

「おっとー、みためがそのまま、シンジツとはかぎらんよ」彼女はふてきな感じでいう。「ほれ、たとえば、あ、メス猫だ、と、思ってたら、オス猫だった経験、あるでしょ」

「ないよ、その経験は」

「じゃあ、たとえば、あ、バームクーヘンだ、っておもったら、ガムテープだった、経験とか」

「もしかして、ぼくが、あ、その経験あるよ、って、反応するまで、その、経験たとえば話シリーズのつづくのかな」

「なにさ、オフビートなこといって」

「オフビート?」

「というか、わたしには、あそんでるヒマはない」

「それでも、キミはヒマそうにみえるよ」

「おっと、みためがそのままシンジツとはかぎらんよ」

「そのセリフ、気にいったんだね」

 気づくと、会話はひかえないといけない図書館の中で、べらべらしゃべっている。

なんだか、わるいことをしているきぶんだった。森ノ木図書館で、こんなふうに誰かとしゃべった経験なんてなかった。

いまはちょうど、他に二階を利用する人がいないからいいものの。

 なんか、どきどきする。

「あなた、この図書館の隣の家に住んでる子でしょ」

 きゅうに、ぼくのことを言い出した。しかも、素性がバレている。

 どきどきしているとき、どき、っとした。

「わたしは、しってるからね。だから、どこへにげても、ムダだからね」

「メリカのユタ州とかまでにげてもムダかな」

「アメリカのユタ州までいくなら、にげきれるよ、そこまで追うほど、太陽のようなエネルギーは、わたしにないし」彼女は目をそらしていった。「いまのわたしには、ない」

 ぼくは、その言葉を聞きながら、ふと、けっきょく、この会話は、なんのための会話なのか、いまいちど、かんがえて、われにかえった。

 とにかく、ちゃんと話をしてみよう。

「あの、きみはここでなにを」

「ここは、うちの図書館だし」

 しつもんに対して、予想していないこたえがかえってきた。

しかも、きかされて、すぐ、どういう意味か、りかいするのに、時間のがかかるこたえだった。

 それから彼女は腕組みをといて、右手のひとさし指を床へさしながら、さらにいった。

「ここ、うちが建てた図書館」

 そうなのか。

 ということは、森のヌシの。

 そのとき、ひときわつよい風が吹いて、床にあったビニール袋がまいあがった。そして、ビニール袋は、窓の外へ飛んでいってしまう。

「しまった!」

 と、彼女はさけんで、ビニール袋をおいかけるためか、階段へ向かった。

 ああ、彼女がいなくなってしまう、と、思ったぼくは、あわてて「で、ここでなにしてたの!」と、その場から声をかけた。

 彼女は「え、あー! 昨日、ここに落ちたから、探してた!」と、いった。

 あとは、そのままあわてて階段をおりて、いなくなる。

 ぼくは窓から外を見ると、魔法の絨毯のように空を飛んでいく花柄のレジャーシートを、彼女が走っておいかける姿があった。

 それこそ、魔法に失敗した人みたいな後ろ姿だった。

気になって、ぼくは一階へおりて外へ出た。でも、もう、彼女の姿はみえなくなっていた。

 道の向こうにもいない。図書館へもどることにした。扉をあける。

 でも、扉があかない。

 扉がしまったまま、あかない。

 森ノ木図書館の扉が、ぜんぜんあかない。

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