第15話 母親 ①

俺が最後に母親を見たのは、クーラーボックスで生首だけになった姿だった。あの瞬間俺は母親がどうこうよりも、犯人だと思われる一成の安否を心配していた。

そのぐらい俺にとって母親はどうでもいい存在で、此処まで一成を追い詰めてしまった俺自身に腹が立ってしょうがなかった。

今でもあの件だけは、時々夢に見る程後悔し続けている。一成を死に追いやったのは、間違い無く此の俺なのだ。その後悔の念から俺は由香里と別れ、洸太郎と供に一成の意思を受け継ぐ事を決めた。

別れを切り出してから暫くの間、由香里は何度も俺のスマホに電話をしてきたそうだ。俺はスマホを速攻で処分していたので知らなかったが、此の事は後日母親から直接聞いた。

由香里と付き合っていた2年半の間、俺はあいつの母親と良好な関係を築いていた。自分でも不思議なのだが、あいつの母親と居る時間は何故か居心地が良かった。

由香里の母親は夫が自殺した後、精神を酷く病んで暫く入院していた。その後単身用のアパートを借り、生活保護を受給しながらなんとか日々を過ごしている。

俺は由香里と供に、母親の身の回りの手伝いをする事が何度もあった。家具の組み立てやパソコンの設置など、病人には辛い事は全部俺が替わりにやった。

由香里の母親は真由子さんという名で、夫の件が有る前は食品関係の企業で管理職を務めていた。高学歴の上にキャリアもあり、おまけに50代とは思えない程綺麗な人だった。




由香里と別れた事については、俺は筋を通す為に何度か真由子さんの元に話しに行った。真由子さんは全てを由香里から聞いていた為、静かに頷きながら俺の話を聞いてくれた。

真由子さんは賢い人なので、俺が何故こうしたのか彼是詮索してこなかった。彼女も夫の自殺という途轍もないショックを経験している。人生には自分ではどうする事も出来ない程、生き方を変えざる時が来る事を知っているのだろう。

「大変やったねえ、悟君。娘の事やったら心配せんでええよ、週に2回は必ず顔見せに来てくれてるから」

「すみません…………本来はきちんと由香里さんに会って話すべきなのですが、今の俺は彼女に会う事が出来ません。俺に出来る事といったら、本当にこれくらいで」

そう言って俺が財布を取り出すと、真由子さんは駄目よと言って笑みを浮かべた。生活保護の人に金を渡すと、不正受給になるので駄目だという事を俺は忘れていた。

「なんもせんでええのよ、もう十分色々して貰ってるもの。今は悟君の生活を立て直す事の方が大切でしょ。マンションの解約も由香里の新居の手続きも、全部悟君一人でやってくれたじゃない」

「俺の身勝手で娘さんを傷付けたのですから、この位やるのは当たり前です。あの……………勝手を承知でお聞きしますが、娘さんは元気に過ごしておられますか?」

俺がそう尋ねると、真由子さんは少し苦い表情を浮かべた。やはり俺との別れのショックから立ち直れず、此処に来る度に泣いている様だった。




「でもねえ、悟君。私も色々あったから、貴方が娘と別れた気持ちもわからなくもないのよ。私も今は生活保護のお世話になってるじゃない。元の職場の人からたまに連絡を頂いたりもするけど、今はとてもじゃないけど復職して働くなんて無理」

「無理して働く事はありません、また倒れでもしたら大変でしょう。人間はロボットじゃないんです、半年や1年で簡単に立ち直れたら誰も苦労しません」

俺は大の女嫌いだが、由香里と真由子さんだけは心から幸せになって欲しいと思っていた。2人も超が付く程の善人で、本来俺の様な擦れた存在と関わるべきではなかった。

「今の言葉、悟君にもそっくりそのまま返すわよ。今の貴方、とても辛そうな表情をしているわ。由香里には私から話しておくから、貴方は自分の事だけを考えていればいいのよ」

「本当にすみません………………真由子さんに心配をお掛けするなんて、俺は本当に駄目な男です」

俺がそう言って頭を下げると、意外にも真由子さんは声を上げて笑ってくれた。そして俺の肩をポンポンと叩き、自分はそんなにヤワでは無いと言った。

「恋愛なんて何が起こるかわからないものでしょ、由香里の事で悟君がそんなに思いつめる事は無いのよ。前から思ってたけど、貴方って見た目よりずっと真面目な人よね。うちの子なんて貴方より年上なのに、いつまでもピーピー泣いてばっかりで。正直、母親として情けないわ」

「其れは由香里が婚約まで考えていたからで………………30手前の女性なら、普通の事だと思いますが」

「婚約の件なんて、あの子が勝手に決めて浮かれてただけでしょ。結婚はそんな簡単なものじゃないのにねえ。

今の時代の女は特にね、自分一人でも食い扶持を稼げないと駄目なのよ。私もね、少しずつだけど復職に向けて頑張ってるの。地域のボランティアとか、自分に出来る事から1つずつ………ね」

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