第7話 オバサンでも恋がしたい①

この日俺の元を訪れた女は、話を聞いた段階で即安楽死させる事を承諾していた。彼女は現代医学では絶対に治らない奇病に侵されており、もうベッドで辛い治療を続ける事に疲れ果てているという。

女は母親の運転する車の中から、車椅子に乗って俺の元へとやってきた。既に母親も同意書を書いており、此処で安楽死させる事の機密保持を誓わせていた。

抑々最初に相談してきたのは、対象者では無く母親の方だった。難病の治療費の為の借金が莫大な額になり、いっそ親子共々殺して下さいと頼んできたのだった。

「娘の千鶴は今年で30歳になります。17歳で此の病気になってから、一度も人生の楽しみを味わった事は有りません。親として出来る限りの事はしましたが、未来が無いのですから心から楽しめるわけがないのです」

母親は憔悴しきっており、年齢の割には頭が白髪まみれだった。俺は母親の方を説得し、自己破産した後生活保護を受ける事を薦めた。

「娘さんを天国まで見送った後、少し休養する時間を作っては如何ですか。貴方にだってご自分の人生がある。今まで娘さんにずっと尽くしてきたのですから、今度は御自身を労わる番だと僕達は思うのです」

洸太郎の言葉に頷きながら、母親は涙を流して娘を見送る事を承諾した。俺は二人の会話を聞きながら、父親はどうしているのかと尋ねていった。

「あの人なら3年前に死にました。娘の治療費を稼ぐ為に、朝から夜中まで働き詰めで……………娘が今日まで生きられたのは、全部あの人のお陰なんです」

「娘さんは不治の病で苦しみましたが、ご両親の愛情に支えられた事だけは幸福でした。俺達が責任を持って、娘さんを安らかに天国へと旅立たせます。貴方は洸太郎の言う通り、此れからは御自身の為に生きていって下さい」





それから2日後、娘の千鶴は俺達の手で天国へと旅立った。最後の最後まで母親が傍に寄り添い、優しく娘の手を取りながら何度も名前を読んでいた。

千鶴が無事旅立った後、母親は俺達に頭を下げて御礼を言った。千鶴は此れで苦しみからようやくお別れ出来ると、本当に心から喜んでいた様だった。

俺達はこれ迄にも、難病で苦しむ人間を何人も天国へと送っていった。やはり安楽死を心から強く望んでいる者は、長い時を病気で苦しんだケースが圧倒的に多かった。

そしてその経験から、残された遺族の扱いが大変な事も俺達は承知していた。いくら安楽死とはいえ、やはり家族を失うというのは相当な喪失感を伴う様だった。

しかし此の母親に関しては、少しばかり今までと様子が違っていた。母親は娘を見送った後、俺達にもう少し此処に居させて欲しいと言ったのだ。

「同意書にも記載の通り、ご遺族には見送り後は帰宅して頂く決まりになっています。お一人で悲しむのは辛いと思いますが、僕達が貴方がたに出来る事は此処までなのです」

「わかっております…………滞在費でしたらお支払いしますので、どうか3日程此処に置いて下さい。この通り………どうかお願い致します」

そう言って母親は、俺と洸太郎の前で土下座をしていった。流石に其処まで懇願されては、おいそれと突き放すわけにもいかなかった。

「簡素ですがゲストルームがありますので、其処で良ければ。ですが一応理由をお聞きしても宜しいですか?それからここで自殺などされては困りますので、監視カメラで室内の様子は24時間撮影させて頂きます」

俺がそう言うと、母親はそれで構わないと即座に応えた。そして少し妙な表情を浮かべながら、此処に残りたい理由を説明していった。




その内容は実にバカバカしいものだったが、安楽死遺族がこういう事を言うのは時折有る事だった。要するにようやく肩の荷が下りた母親は、此れからの人生について俺達に相談したいのだというのだ。

「お恥ずかしい話ですが、娘が難病になってからというもの……………私は毎日パートと娘の看病の掛け持ちで、1日たりとも気の休まる日が無かったのです。

親としてこんな事を言うのは良くないのですが、娘の看病から解放されて心底ホッとしているのです」

「貴方と同じような立場の御遺族はの中には、そう言う事を仰る方が時折おられますよ。いくら大事な家族とは言え、365日休まず看病するのは大変な事です」

「ええ……………本当に、世間様が思っている様な綺麗ごとじゃないんです。当然下の世話もありますし、精神も肉体も酷使する事が多いのです。

娘が無事に旅立って、一気に私の心はラクになれました。本当に心の底から………開放感の様なものを感じ始めているんです」

俺と洸太郎は母親の話を聞き、顔を見合わせて似た様な事を心に思った。こういう事はもうどうしようもないので、3日間は母親の好きにさせてやるしかなかった。

「私は此れからの人生、どの様に生きるのが良いのでしょう。夫も娘もいなくなって、こんな歳で一人残されて…………」

「まだ娘さんを見送ったばかりですから、そういう先の事は気持ちが落ち着いてから考えた方がいいです。失礼ですが貴方はまだ50代でしょう。大きな持病も無いとの事ですし、その気になれば再婚も可能なのではないですか」

こういう時にはこう言うと、俺は此処に来た時から既に決めていた。抑々俺達に相談する時点で、此の母親は男に縋りたい気持ちを僅かながらに持っているのだ。

夫も死んでいるのなら猶更だろう。人間が手っ取り早く苦しみから立ち直る方法は、新しい異性との出会いと相場が決まっていた。

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