第3話 ステップ

 ズタボロになった顔や全身が癒えるまで結構な時間がかかってしまった。

 村を歩く際「ガキ大将どもが復讐に来るかも」と身構えたが、全くの杞憂に終わった。

 こちらの姿を見かけるなり苛めっ子たちの誰も彼もが逃げていくのだ。

 ガキ大将と鉢合わせた時も言葉にならない悲鳴を上げながら走り去る始末。

 きっとこれから先、もう絡まれることはないだろう。


 それよりも一刻も早くちよに会ってこの武勇伝を胸を張って伝えたい。

 その気持ちが抑えられそうになかった。



 俺は颯爽と茂みに潜んだ。

 はて?なぜ俺はまた隠れているのだろう?

 腰を上げようとした瞬間「こっちこっち-!」と聞き馴染みのある声が聞こえてきた。

 しまった。どうやらまた機を逃してしまったらしい。

 いつになったら懲りるのかと頭を抱えているところに、風に乗って話の内容が届いた。


『戦で侍崩れや野盗も増えてるみたい。これからは強さよ!私や皆を守れるような腕っ節が大事!』


 なんてことだ。

 俺は表面的な事ばかりに気をとられて、本質を見失っていたのかもしれない。

 たしかに今の自分では苛めっ子を懲らしめるのが精々。

 大人や野盗、果ては大勢を守るなんて想像もつかない。

 もっと力を磨いて、せめて野盗にこの村が襲われても皆を守れるくらいにならなければ。





「とはいったものの……」


 村からかなり離れた山中で途方に暮れていた。

 腕っ節だけであれば身体を鍛えれば良いが、そんな単純な話ではない。

 なにせ“みんなを守る”なのだ。

 戦場で考えるなら一騎当千と称されるような何かがなければ成り立たない。

 知恵熱は留まるところを知らず、確実に湯気が立っているほどに頭を悩ませていると、 唐突に得体の知れない胸騒ぎを覚える。




 なにやら木々の奥が騒々しい。

 音の主はどうやら凄い速さでこちらに迫っているようだ。

 いつでも動けるよう腰を落として身構えた瞬間、近くの藪から巨大な影が飛びかかってきた。


「くっ……熊っ!!?」


 すんでの所で身を捩って避けつつ交差する影を見やれば、それは体長およそ九尺……大人二人分の丈はあるであろう巨大熊だった。


 熊は地面を滑りながら突進の勢いを殺しきると、納得のいく結果ではなかったのであろう、グルルと唸りながらこちらを振り返る。

 突然の襲撃に半ば混乱に陥りながらも、必死に生き延びるために考えを巡らせる。

 幸い足の強靱さが自慢だ。

 全力で山を下れば逃げ切れる可能性も無くはないはず。

 鼓動が打つ度に大きくなっていく、弱者への余命宣告のような沈黙が訪れる。


「こっちじゃ!獣畜生めが!」


 混乱覚めやらぬ中、新たな声が場に響く。

 木々の上から飛び出した小ぶりな影は熊の頭上に躍り出ると、人をも飲み込むであろう巨大な火を吹きかけた。


「なっ!?」「グオォォォォ!!!!」


 驚愕と苦悶の声が別々に上がる中、火を吹いた当人はすたりと地面に舞い降りる。

 元服前の自分と同じくらいの上背に経年を感じさせる白髪は腰まで伸びて揺れ動く、何の変哲もないご老体に見えた。


「グァウ……グァ……グガァァ!!」


 火だるまになった熊は地面をもんどりうって火を消した後、悔しそうにこちらをひと睨みして木々の奥に逃げ去っていった。




 しばらく熊が逃げ去った方を警戒し、戻ってくる雰囲気もなさそうと判断したところでご老体と二人で息を落ち着ける。

その間もずっと、あの衝撃的な光景が頭から離れなかった。


「助けてくれてありがとうございました」


 緊張を抑えつつ礼を述べる。


「いやなに、通りすがりに見かけたもんでの。若人が熊の餌になるのは惜しいと助けたまでじゃよ」


 ご老体の名前はトザワというらしい。

 喧噪を好まず人里離れたこんな山奥で独り暮らしている変わった人のようだ。

 それに、変わっているなどという言葉では済ませられないこともある。


「あの……」


「わかっておる。皆まで言うな」


 あの不思議な力をご老体は「特殊な術での」とだけ言い、詳しくは語ってくれなかった。

 しかし、俺は何が何でもその術を学び強くならねばならない。

 弟子となり教えを授けてはくれないだろうかと、地面に頭を擦りつけながら幾度となく頼み込んだ。

 ご老体は射貫くようにこちらを凝視したのち、手を打ってこう告げた。


「ちょうど良い、爺の独り暮らしで人手も足りておらなんだ。弟子と言うより丁稚に近いかもしれんが、暫く儂の元で鍛錬してみるか?」


 お主からは何かを感じるでのほっほっほと笑いながら踵を返して歩き始める。


「わかりました師匠!」


 暗闇に光明が射した瞬間だった。





――――気がつくと3年の月日が経っていた。


 あまりの過酷さに、穴の空いた障子のように記憶が途切れ途切れになっている。

 師によると、あの不思議な力は古くは陰陽道の流れを汲み、妖の類いが操るような遁世の理をもって御する力なのだという。

 過ぎたる力は人心を狂わす。

 師匠の教えを守るべく、相応しい器であるため様々な教養だけでなく徹底的に心・技・体を研鑽させられた。


 ・水に沈まずに湖面を駆け抜ける

 ・断崖絶壁に吊されながら経を唱える

 ・現世から外れ幽世を感じ取るため、一晩中森の奥でただ独り座禅

 ・尋常でない刀の使い手である師匠と真剣稽古

 ・熊にも引けを取らないであろう魔猪を狩る


 修行の一部を振り返るだけで背筋を這う冷たい汗が止まらなくなる。

 しかし、その過酷な行の中で師匠が驚愕の目を向けることも度々あった。

 おそらく期待を超える成果を出せたのだろう。

 その自信は修行を行う糧となり、この三年間を支えてくれた。



 ある日の昼下がり。

 いつものように小川で洗濯を済ませた帰りで、森に怒号が響き渡る。

 忘れもしない、因縁の雄叫びである。

 野生の勘で師匠を避けていたのか、この三年間で一度も奴と相見えることはなかった。

 木の枝々を飛び渡り音の出所に向かうと、一人の幼子が今まさに餌食にされようという瞬間であった。


「待てっ!!!」


 矢のように疾走し少年と熊の間に割って入る。

 ボロボロの服を着た少年は腰が抜けてしまったのか地面にへたり込んでいる。

 かたや相対する熊の方は、その巨躯の至る所が焼け爛れた痕として残り、斑の毛皮で包まれているかのようだった。

 忘れもしない、3年前に師匠が追い払ってくれたあいつだ。


「かつての因縁、ここで絶たせて貰うぞ!」


 間髪を入れず背に帯びた刀を抜き放ち斬りかかる。

 熊もこちらがかつて喰い損ねた人間と気がついたのか、憎しみの眼を向け爪を振りかざした。

 巨大な鐘同士がぶつかり合ったような鋭い重音が鳴り響く。

 その木霊も消えぬうちに連続して剣閃を繰り出すも、その甲冑のような毛と筋肉の前に刃が通らない。

 荒れ狂う爪牙を躱し距離をとる。


 丹田に力を込め、拳を合わせ親指と人差し指だけを伸ばして指の腹同士を合わせる。

 その後も様々な形を手と指で作り出し組み合わせながら、最後に人差し指を伸ばした右手で左手の拳を握り込み力を解き放つように叫んだ。


「柵みとなりて縛り搦め!!!木遁!」


 瞬間、足下に茂る草や周囲の枝がずるりと蠢き熊の身体を絡め取る。

 困惑したように暴れる熊だが、幾重にも重なった草木の頑丈さはその努力を優に上回っていた。



 好機と捉え次の印を結びながら大きく印を結ぶ。

「猛り旺りて灰燼に帰せ!!火遁!」と叫び大きく息を吹き出す。


 放たれた吐息はたちまち焔へと姿を変え、猛獣の全身を包みあげる。

 炎は、かつて自分を救ってくれた灯火より遥かに大きな業火となり、宿敵の命を吸うように猛り続けた。

 絶叫が今際の鳴声に変わり、やがて沈黙となった。


「終わったな……」


 黒焦げた塊に背を向け、呆気にとられる少年に手を差し伸べた。


「大丈夫だったか?」


 この日、俺は初めて目の前の誰かを窮地から救うことができた。



 話を聞くと少年の父は戦で帰らぬ人となり、口減らしのため追放され彷徨っているうちにこの山に迷い込んでしまったらしい。

 どうせ帰る場所もないとつぶやく少年の瞳には諦めの翳りで濁ってしまっていた。


 俺はある決心とともに師匠のところへとこの子を連れ帰った。


「いよいよ出て行くか」


「はい」


 師匠は何かを察していたのだろう、強く引き留めることはしなかった。


「授けた技を使うのは構わん。しかし、無闇矢鱈とひけらかすでないぞ?儂が引導を渡しに行かなくて済むようにの」


「心得ております。この技、世を忍んで駆使することを誓いますれば」


「うむ」


「して、私が不在となり雑事の手が足りなくなると思いまして。例の熊に襲われていたところを拾いました」


 腰にくっついていた少年の背を手で押し出す。


「あっあの……」


「ふむ、坊よ。爺の独り暮らしは老骨に堪えるでな?帰るところがないのなら、良ければ手を貸してくれんかの」


 少年の身なりを見ておおよその事情に当たりをつけたのか、深く聞くことはせず師匠は少年に笑いかける。


「はっはい!ありがとうございます」


「では師匠、私は……」


「主、まだいたのか?ほれさっさと行かんか」


 師匠は何かの小袋を乱暴に押しつけてきた後、少年を家に招き入れながら背を向けてしっしと手を振る。

 ぞんざいだ、などとは思わない。

 なぜなら師匠はこういうとき顔を見せずにつっけんどんになさる方だと、この三年間で知っているから。

 世話になった偉大な背に精一杯のお辞儀をし、私は走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る