第2話 ホップ

 ――――鍛錬に明け暮れて半年が経った

 その頃には、枯れ枝の様だった僕の足は見違えて太くなり、駆ければ猪にも追いつくであろう速さとなっていた。

 これならちよに堂々と接することができるはず。



 少しだけついた自信を胸に大樹に向かうも、思わず癖で茂みに潜んでしまった。

 しまった!何をやっているんだ!

 そう思ったが、出て行く前にちよと友達がいつものようにやって来て話し始めてしまい、 完全に間を見失ってしまう。


『夫婦になったら毎日見るんだもの。見目の良さって重要じゃない?』


 聞こえてきた言葉に凍ったように身が固まる。

 おそるおそる自分の身体を見ると、妖怪のように伸びた前髪にボロボロになった服。

 丸まった背中や胸に抱え込んだ手もあの日から何一つ変わっていない。

 気がつくと僕はその場から逃げるように駆けだしていた。

 半年前とは比べものにならない速さで景色が流れていく。


「こんな姿で『見目が良い』なんて言える筈がないじゃないか!!!」


 野山を駆けまわる鍛錬は終わりを告げ、次の鍛錬が幕を開けた。



 *



 僕の足の速さはこの村で一番だ。

 その自信を軸として、おどつくのをやめて背筋と腕も伸ばして常に堂々と胸を張ろう。

 決して裕福ではない家だ。

 新しい服は用意できないけど、川で小まめに洗ってせめて土汚れは残さないようにしよう。

 前髪も鬱陶しい。

 あの娘との間に壁なんて必要ない。

 それに、どもることなくしっかりと人と話せなければ。

 このままじゃ会話の度にちよに気を遣わせてしまう。


 この“人としっかり話せる”だけは克服にすごく時間がかかってしまった。

 何せ筋金入りの苛められっ子だ。

 どうしても恐怖心が足を引っ張るし、すっかり不貞腐れて錆び付いてしまったのか、舌は思うように動かない。

 それでもと村の人に積極的に挨拶し、仕事の手伝いを買って出たりと頑張っている内に 徐々に克服されていった。



 *



 ――――そして1年が経った頃


 今日も誰かの手伝いをと村の中を歩いていた、そんなとき。


「おいカワザル!お前さいきん調子にのってるみたいだなぁー?」


 ねっとりとこびり付き心を腐らせるような、かつて何度も聞いた声が聞こえた。

 早鐘を打つ心の臓を手で抑えゆっくり振り向くと、やっと明るく見え始めていた世界は急に色を失いった。

 足に鎖が巻き付いたような……まるで地獄の罪人に堕とされたような絶望に包まれる。

 そこには閻魔、いや、あのガキ大将たちがこちらを睨みつけて立っていた。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる圧力に押されるように、自然と足がズリズリと後ずさる。

 やがて柵にまで追い詰められ完全に囲まれてしまった。


「お前、自分の身の程を忘れたのか?」「そうだそうだ!」


 頭に血が上り、とっさに反論する。


「うっ、うるさい!僕はもうこれまでの僕じゃないんだ!」


「ほ~どう違うってんだ」


「それは……」


 言い返さないといけないのに口は渇ききって舌がうまく回らない。

 ゴンと頭に衝撃を感じ、ジクジクと痛み始める。

 その瞬間かつての記憶が蘇り、一瞬で頭が真っ白になってしまった。

 僕の頭を小突いたガキ大将はなんとか言ってみろよなどと舐るように顔を近づけてくる。


「おいやっちまえ!」


 ガキ大将の合図とともに、取り巻きたちが一斉に手を出し始めた。




 色々なところから拳が飛んでくる。


 ――――痛い


 殴打の勢いで身体が左右に振り回される。


 ――――いたい


 痛みの後に身体がはじけ飛ぶのか、はじけ飛んだ後に痛みが来るのか。

 もはやわからなくなってきた。


 ――――イタイ


 やがて一際大きな殴打に吹き飛ばされて、僕は地面に倒れ込んだ。

 地面に這いつくばる僕を手では殴りにくくなったのだろう。

 奴らは代わる代わるに蹴り始めた。

 拳と違いつま先による刺すような痛みに質が変わる。

 だからなんだというのか?

 痛みの質が変わろうが、痛いものは痛いのだ。

 いつ切れたのか、口の中に鉄の味が広がっていく。

 僕にできるのは、ただ身を丸めて嵐が過ぎ去るのをじっと耐えることだけだった。




 意識が薄れはじめ、痛みの感覚が逆に遠くなってきた頃、周りははあはあといいう荒い吐息に包まれていた。


「これに懲りたら二度と生意気な真似すんじゃねーぞ!明日からは俺たちがせいぜいこき使ってやるからな!ガハハハ」


 何かを切り替えるように大きく息を吐き出しながらガキ大将は僕に言った。


「おい、お前らも行くぞ」


 何人もが歩き去って行く音が聞こえる。

 やっと嵐が通り過ぎた。

 そうか……僕は自分が変わった気になっていただけだったんだな。

 そんな諦観ともいえる、濁った重りを胸に意識を暗闇に沈めようとしたその時――――


「あのちよとかいう女ともう一人も仕置きに行くぞ。何が『父親は何人も斬り殺したお侍の~』だ。なんのこたぁねえ、只のおっさんじゃねえか」


 あいつは今なんて言った?

 この後ちよのところに行くだって?

 そんなことは断固として許すわけにはいかない。

 意識が急激に覚醒し、沸騰した血が全身を駆け巡る。



「お゛い゛!!!!!」



 自分から出たのがびっくりするような大音声が辺りに響き渡った。

 気がつくと、俺はゆっくりと立ち上がっていた。

 びくりと一瞬肩を震わせたガキ大将たちは驚いた顔でこちらを振り向くと、すぐにニタニタした薄ら笑いに表情を変える。

 そんな光景を目の前にしても、先ほどまでの惨めな有様が頭を支配することはなかった。


 向こうがゆっくりと歩を始めた瞬間、自分はもう走り始めていた。

 周りの景色が高速で流れる。

 ガキ大将の胸先三寸まであっという間に駆け寄ると、右足に思い切り力を込めて前に突き出した。

 不思議なことに、先ほどまであんなに速く景色が動いていたにもかかわらず、今度は景色が急激にゆっくりへと切り替る。

 なぜか脳裏をよぎったのは、血反吐を吐きながら繰り返し続けたあの野山の坂道だった。


 同年代より二回りは体躯の大きいガキ大将は、腹の鳩尾あたりに足跡のくぼみをつけ、 その巨体が宙を舞う。

 時間の流れが元に戻ると、ボゴンという湿った殴打……いや、蹴打音が遅れて聞こえてくる。

 ガキ大将は大人何人分も空を吹き飛んで地面に落着すると、勢い止まらずそのまた大人何人分も大地を転がりようやく止まった。

 白目をむき完全に意識は無いように見えるが、ゲボゴボと泡とも液体とも判然としないものをぶちまけ、幾度となく嘔吐いている。




 辺りががしんと静寂に包まれる。


「ぢよ゛にでをだじだら、おばえらぜんいんごうじでや゛る!!!!!」


 俺は顔中を血やら涙やら涎やらでグシャグシャになりつつも、それら一切を無視して感情の赴くままに吠えた。

 取り巻きたちを順々に睨みつけると、


「ひっ」「なんだあの蹴りは!?」「人間じゃねえ!」「逃げろ!」


 思い思いの捨て台詞を同時に吐きながら腰巾着たちはあっという間に霧散した。


 しばらく狼の威嚇のような荒い吐息を繰り返していると、殴る蹴るされた痛みが急激にぶり返してくる。

 全身を痙攣させているガキ大将をどうこうする余裕などあるはずもなくその場に放置し、 自分の身体を引きずるようにその場を離れた。



 いつの間にか日も沈み薄暗くなった道を幽鬼のようによろめきながら歩く。

 思わず、これじゃ本当に妖怪じゃないか。と自嘲してしまった。

 あれだけ荒ぶっていた気持ちも凪を取り戻し、冷静になって思い返す。

 自分の足はどうやら鍛錬で思った以上に鍛え上げられ、その成果がこそがガキ大将にお見舞いした蹴りに繋がったのだろう。


「何が『変わった気になっていただけかも』だ!これまでの僕じゃ想像もできなかったこ

とじゃないか!ふふ……あははは」


 大笑いしながら見上げた空の星々は、人生で見たことがない程に輝いて見えた。

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