第32話

 約束はできないから保留で。

 その日、聖良はそう言って家に帰った。


 それから少し時が経ち、夏祭りが三日前に迫った頃。

 ――夏祭り、行ってあげる。


 そんなメールが返って来た。


 どうやら許可が取れたようだ。

 逸る気持ちを抑えながら、俺は聖良と予定を詰めていく。


 待ち合わせ場所と時間を決めた後、ふと思い立つ。


『浴衣、着て来る?』

『見たいの?』

『お前に合わせようと思って。洋服か、浴衣か』


 聖良が浴衣で来ているのに、俺が洋服だと浮くだろう。

 一方で俺だけ浴衣だと、変に気合いが入った人みたいになって嫌だ。


 やんわりと、意図を伝える。

 聖良も着たい服があるだろうし、浴衣を持っていない可能性もある。

 強制するようなことはできるだけしたくなかったのだが……。


『見たいの?』


 同じ文面のメールが返って来た。

 どうやら聖良にとって、俺が聖良の浴衣を見たいかどうかが重要らしい。


『見たい』


 少し悩んだが、素直にそう返答することにした。

 するとすぐに返答が返って来た。


『期待しておきなさい』


 では、期待しておこう。

 俺はほくそ笑んだ。




 そして待ちに待った、夏祭り当日。


「お待たせ。……待った?」


 待ち合わせ時刻から、送れること十五分。

 宣言通り、浴衣に身を包んだ聖良が現れた。


 青みがかった白い生地に、美しい紫陽花が描かれている。

 髪は花飾りのついた簪を使って、綺麗に結い上げられていた。


「いや、俺もついさっき、来たところだ」

「遅刻じゃない!」


 ついさっき。 

 ということは、俺も待ち合わせ時刻から遅れて到着したということになる。

 つまり遅刻だ。


 いや、間違ってないけどさ。


「いや、今のは様式美で……」

「冗談よ」


 五分前に着いたから。

 そう説明しようとする前に、聖良は小さく笑った。


 それもそうか。

 何だか、冗談が通じない人みたいになっちゃったな……。


「浴衣、似合ってる。綺麗だね」

「あら、そう」


 誤魔化しも兼ねて俺は聖良の浴衣姿を褒めた。

 月並みな言葉だったが、満更でもなさそうだ。

 

「あなたも悪くないわね。着崩れたりしてたら、詰ってやろうと思っていたけど」


 聖良はそう言いながら俺の胸を突いて来た。

 何だか、ネチネチした触り方だ。


「やめろ、セクハラだぞ」

「別にいいじゃない。代わりに私のも触らせてあげるから」


 その言葉に思わず、視線が彼女の胸に吸い寄せられる。

 相変わらず、大きい。


「馬鹿なこと言うな。……さっさと行くぞ」


 俺はそう言いながら聖良に向かって手を伸ばした。

 聖良は笑いながら、俺の手を取る。


「今のは冗談じゃないのだけれど」


 手を繋ぎながら、歩き始める。

 屋台通りがあるのは、もう少し先だ。


「遅れてごめんなさいね。妹を振り切るのに、少し時間が掛かっちゃって」

「うん、まあ、予想はしていた」


 海水浴の時も、妙に追及が激しかった。

 きっと、シスコンなんだろう。


「ところで、恒例だけど」

「うん?」

「今日は何色だと思う?」


 悪戯っぽく笑いながら、聖良は問いかけて来た。

 

 下着のことだろう。

 俺は視線を少し下げ、聖良の浴衣を観察する。


 安物の浴衣だと、たまに下着が透けて見えたりするが、そういう雰囲気はない。

 彼女が安物を着るはずないので、そこは当然だが……。

 きっと透けて見えないのは、違う理由だ。

 

「……着けてないだろ」

「どうしてそう思うの?」

「浴衣だから」


 浴衣の時は下着をつけないという与太話がある。

 もちろん、嘘だし、和装用の下着だってあるが……。


 聖良は下着を着けなくてもいい理由を年中、探しているような女だ。

 与太話を与太話だと理解したまま、実行に移してもおかしくない。


「説得力がないわ。着ててもおかしくないじゃない」

「じゃあ、俺の第六感」

「それこそ、根拠になってないわ」


 そういう聖良は少しつまらなそうだった。

 一発で正解を当てられたのが気にくわないのだろう。

 もう少し遊びに付き合ってあげても良かったかな……。


 そう思った、時だった。

 二の腕に柔らかいモノが触れた。


「確かめてみる?」


 薄い生地越しに体温が伝わってくる。

 こいつ、まさか……。


「上も着けてないのか……?」

「どうかしら?」


 そう言って妖艶に微笑む聖良の頬は、少し赤かった。

 普通に恥ずかしいようだ。

 いや、恥ずかしいからこそ、着てないんだろうけど……。


「あまりくっ付くな。……当たってるぞ」

「当ててんのよ」


 胸を擦りつけられた。

 こいつ、発情してやがる……。


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