第12話

 体育祭が終わった後。


「お、お邪魔します……」


 早乙女はいつになくしおらしい態度で、俺の部屋へと上がった。


「せっかくだし、何か飲む?」

「そ、そうね。えっと……何があるかしら?」

「紅茶、緑茶、珈琲、昆布茶、オレンジジュース、ミネラルウォーターかな」

「ジュース!?」


 俺の言葉に早乙女は何故か、声を上げた。


「ジュース、良いの?」

「……ダメな理由、あるか?」

「だ、だって、もう四時だし……もうすぐ、晩御飯だし。お祝いもないし……」


 どうやら、早乙女家はジュースを飲んではいけない家らしい。

 ただ、飲みたくないわけではなさそうだ。

 というよりは、むしろ飲みたそうにしている。


「……俺も正直、ジュースを毎日、飲んだりしないからさ。開封したは良いんだが、まだかなり残っているんだ。できれば、飲んでくれると嬉しいな」

「そ、そう? な、なら……仕方がないわね! 残ると、勿体ないし!!」

「じゃあ、ジュースを持ってくる。少し待っててくれ」


 俺はキッチンに向かい、コップにジュースを注ぐ。

 そしてふと、ちょっとした悪戯を思いついた。


「どんな顔、するんだろうか」


 俺はほくそ笑みながら、悪戯の準備を始めた。

 お盆にジュースと、その他諸々を乗せ、早乙女が待つダイニングへと戻る。


「あ、氷室君。その、思ったのだけれど、やっぱり四時にジュースを飲むのは……え?」

「どうかしたか?」


 俺はジュースを自分と早乙女の前に置いた。

 そしてお菓子を入れた皿を、中央に置く。


「そ、それは……お、お菓子!? ど、どうして?」

「客人に茶請けくらい、出さないと失礼だろ」


 というのは建前。

 本音としては「四時にジュースを飲む程度で大騒ぎをする早乙女に、お菓子を与えたらどんな顔をするのか」見たかったのだ。

 早乙女の好みが分からないので、甘いもの・しょっぱい物、和風・洋風といろいろ取り揃えた。

 

「で、でも、今、四時だし……。三時じゃないし……」


 こいつ、小学生かよ。

 しかしお菓子を前に葛藤している姿は面白いので、もう少し遊んでみることにする。


「食べないなら、いいけど」


 俺はそう言いながら皿を下げようとする。

 すると早乙女は慌てた様子で、皿を掴んだ。


「た、食べないとは、言ってないわ!」

「でも、三時じゃないと食べちゃいけないんじゃないか?」

「そ、それは……で、でも、せっかく出してくれたものだし。食べないのは失礼だから!」


 早乙女はそう言いながら皿の盛られたお菓子の一つ、ポテトチップスを手に取った。 

 そして口に運び、目を細める。

 とても幸せそうな表情だ。


「……一年ぶりかも」

「そ、それは良かった。……好きに食べるといい」

「うん!」


 一口食べてしまえば、もう皿まで食べるしかないという勢いで、早乙女はお菓子とジュースの飲み食いを始めた。

 俺も少しだけお菓子を摘まむ。


「ところで薄い本のことだが」

「え? あ、う、うん! お、覚えていたわよ?」


 どうやら忘れていたらしい。

 早乙女は口の端についたポテトチップスの破片を指で拭いながら、頷いた。


「どういうのが読みたいんだ?」

「えっと、そうね。個人的に良かったのは……」


 俺が貸した作品のうち、三つほど早乙女は名前を上げた。

 絵柄に統一感はない。

 ただシチュエーションは似通っている。


「となると、これとこれかな……展開は似ている」


 俺は押し入れから薄い本を引っ張りだし、早乙女に渡した。

 早乙女はタイトルとあらすじを確認すると、小さく頷いた。


「そうね。こういうのがいいわ」


 そう言う早乙女の表情は嬉しそうだったが……。

 しかし満足気とは言い難い。


「他にどういうのが欲しい?」

「えっと……そ、そうね。……氷室君が好きなの、教えて」

「俺の好きなの?」

「そう。ベストコレクション、五つくらい」


 人に好きな物をオススメするのは楽しい。

 と、言いたいところだが物が物なので、少し気恥ずかしさがある。

 男同士なら良いんだが、異性が相手となると……。

 いや、今更だが。



「べ、別に他意はないのよ? あなたの好みを知って、それを元にどうこうしようとかじゃなくて……ほら、私は初心者だから! 玄人の到達点を見てみたいなって!」


「好みは人それぞれだし、到達点が同じとは限らないが……まあ、いいけどさ」


 俺は早乙女の性癖について、知ってしまっている。 

 なら、俺も性癖の開示をしなければフェアではない。

 

「個人的に好きなのは……これと、これかな。あと、最近だとこれも……」


 五冊、好きな物を選ぶと俺は早乙女の前で並べた。

 

「これがベストファイブ? 順位は?」

「いや、ベストファイブというよりは、各ジャンルの中で好きな物を選んだというか」

「つまり人生のフルコースね?」

「う、うん……? ま、まあ、それでいいよ」 


 早乙女は興味津々という様子で、俺が選んだ薄い本を一冊、手に取った。

 そして中を開き、読み始める。


「ジュース、お代わり持ってくるから」

「うん」


 俺はキッチンに向かい、冷蔵庫からジュースの瓶を取り出した。

 この分だとまだ早乙女は俺の家に居座りそうだし、わざわざコップに注ぎに戻るのも面倒なので、瓶ごと持ってダイニングに戻る。


「……」


 部屋に戻ると、早乙女は一心不乱に俺が貸した薄い本を読んでいた。

 視線は食い入るように薄い本のページに向かい、足をモゾモゾと動かしている。

 危険な動きだ。


「早乙女、戻ったぞ」

「……」


 返事がない。

 俺はジュースの瓶をテーブルに置く。

 わざと強めの音を出したが、それでも早乙女は気付かない。


 ……仕方がない。


「早乙女」


 俺は早乙女の肩に手を置いた。

 瞬間。


「わっ!! え? あ、な、何もしてないわよ!!」


 早乙女はなぜか慌てた様子で薄い本を閉じると、両手を上げた。

 ……俺はまだ何も言ってないのだが。


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