第9話

「き、気付いてたなら、もっと、早く言って欲しいというか……そ、その、できれば笑い飛ばす方向の方が私もダメージは低いというか……」


「何の話だ?」


「え? だ、だから、その……」


 早乙女は目を逸らした。


「な、何でも、ないわ」

「そうか? ……それで薄い本はどうだった? まだ、読み終えていないか?」


 俺は本題に戻った。


「読み終えたわ。そ、そうね。中々、興味深かったわ。うん、悪くなかった」

「別のやつも持ってきたけど、読むか?」


 俺は紙袋を持ち上げて言った。

 早乙女は目を大きく見開く。


「べ、別のって……そ、その、え、えっちな本……?」

「うん、まあ、暇だろうかなって。お前が好きそうなのを、何冊か持って来た。……要らないならいいけど」

「い、いえ、も、もらうわ!」


 早乙女は前のめりになり、紙袋を俺から奪い取った。

 その瞬間、胸元の生地が緩み、開けた。

 白い綺麗な胸の谷間がチラりと覗いた。

 そして下着が……見えなかった。


「お前……」

「うん? どうしたの?」

「いいや、何でもない」


 もしかして、ノーブラなんじゃ……。


「ところで、代わりと言っては何だが、前に貸した薄い本だけど……どこにある?」


 実は俺も少し読み直したくなってしまったのだ。

 早乙女に新しい薄い本を差し入れたのは、その代わりでもある。


「え? あ、え、えっと……その、こ、ここには、今、ないというか……」

「ここにはない? ……学校に忘れたとか?」

「ち、違うわ! あるの、あるのよ。失くしたとかじゃないけど……。その、今、取り出し難いところにあるというか……」


 早乙女はベッドの中で手をモゾモゾと動かしながらそう言った。

 取り出し難いところ?


「隠しているってことか?」

「え、えっと……そ、そう! そうなの。ほら、ここだとお手伝いさんがお掃除の時に見つけちゃうかもしれないから!」

「なるほど」


 隠し場所は人それぞれだ。

 できれば今読みたいが、もう少し我慢しよう。

 

「やっぱり、両親は厳しいのか?」


 先日の薄い本を見た反応から察するに、その手の物に触れてきた経験が少なそうだ。

 親がそういうのを禁じているか、そこまでせずとも遠ざけて来たのかもしれない。


「うん……親はどちらかと言えば、放任主義かしら。祖父母は……昔は厳しく、躾けられたかな。今は勝手が分かって来ているから、そこまででもないけどね」


 ……家族との関係はそんなに良くなさそうだな。

 あまり深堀しない方が良さそうだ。


「まあ、安心して。見つからないようにするし。見つかったとしても、人から借りたモノだって言えば、捨てたりしないから。世間体を気にする人だしね」


 早乙女は暗くなった雰囲気を誤魔化すように、手を叩いてそう言った。

 同時に胸が少し揺れる。

 ……正直に言うと、今は早乙女の家族関係よりも、下着を着けているか、どうかが気になる。


 少しカマを掛けてみるか。


「そう言えば、ちゃんと暖かくしているか?」

「え? 暖かく……」


 俺の言葉に早乙女は首を傾げ、そしてそのまま固まった。


「あっ、ヤバ……」


 そして慌てた様子で、毛布を引き寄せ、包むようにして体を隠した。


「も、もちろんじゃない……! そんなに馬鹿じゃないわ!!」

「そ、そう……か……?」


 俺の視線は早乙女……ではなく、ベッドの端に吸い寄せられていた。

 早乙女が毛布を引っ張ったことで、隠れていた物が見えてしまったのだ。


 白い布切れが、二つ。

 そして俺が早乙女に貸していた薄い本。


 点と点が線で結びついた。


「あぁ……うん、なるほど……」

「ち、ちがっ……こ、これは、その、寝苦しかったからで、たまたま読んでただけで、べ、別に、そういう、わけじゃ……」

「とりあえず、元気そうでよかった。……じゃあ、俺はそろそろ帰る。邪魔して悪かった」

「ま、待って! 話を聞いて。言い訳をさせて」


 早乙女はそう言って叫ぶと、立ち去ろうとする俺に縋りついてきた。

 強引に肩を押さえつけられる。


「お、おい……! や、やめろ。い、いろいろ、見えそうになってるから……」


 俺は慌てて視線を逸らした。

 早乙女のネグリジェはかなり危険な状態になっており、今にも大事な場所が丸見えになりそうだった。


「だったら、納得して。私はただ、読んでただけだから!」

「そ、そうか。分かった。納得した」

「それでいいわ」


 早乙女は満足したのか、頷いた。

 それから自分のネグリジェの惨状に気付き、小さな悲鳴を上げた。


「な、なにも、見てないわよね?」

「残念ながら、ギリギリ見えなかった」


 正直なところを言うと、ちょっとそれっぽいのが視界に入った気もしないでもなかったが。

 あまり観察できなかった。

 惜しいことをした。


「そ、そう。信じることにするわ」


 早乙女はおずおずと頷くと、布団に戻った。

 しかし心なしか、元気がないように見える。 

 ……うん、まあ、異性にそういうことを知られるのは、さすがに恥ずかしいか。


「……俺も薄い本を使うことはしょっちゅうだから。普通だよ、普通」

「ふーん、そ、そう。そうなの。ま、まあ、私はしてないけどね。勘違い、しないでね」

「してない、してない。聖女様がするわけないもんな」


 こいつは性女だが。


「え、えぇ、そうよ。……ところで、一つ聞いて良い?」

「なんだ?」

「私を使うことは、あるの?」


 突然、剛速球を投げつけられた。

 どう答えればいいか、少し悩んだが……。


「使ってないから、安心しろ」


 とりあえず、否定することにした。


「そ、そう……。安心したわ」


 早乙女はそう言うと目を伏せた。


「で、いつ帰るの? 用は済んだでしょう? 早く帰って。お爺様とお婆様が戻てくると、面倒だから」

「引き留めたのはお前だろう」


 急に態度が冷たくなった早乙女に追い払われる形で、俺は部屋を後にした。

 ……怒らせるようなこと、したかな?

 心当たりが多すぎて、分からない。

 

 もう、口を聞いてくれないかもな。


 俺は少し落ち込んだ気分で屋敷を出た。

 なお、お見送りに来てくれたお手伝いさんからは「お嬢様の元気な声を聞いたのは久しぶりです」と言われた。


 どうやら俺たちのやり取りは丸聞こえだったらしい。

 めちゃくちゃ恥ずかしいな……。


 そしてお見舞いに行った、明後日後。

 早乙女は登校してきた。

 彼女は俺と目が合うと、気まずそうに目を逸らし、それから赤らんだ顔で近づいてきた。


「今日は赤だから」


 そして耳元で囁いた。



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