第7話 新しい日々の始まり
「ありがとうございました」
アリスが礼を言うと、白衣を着た男が自由部屋を出て行き、入れ替わりにオーウェンが入って来た。
「どうだった?」
アリスが答える。
「健康に問題は無いそうよ。でも体は異界騎士のものになってるって」
「ま、そうだよな」
翌日、朝一で家族に手紙を書いて出した後、屋敷に医者がやって来てミックは一通り体を診てもらった。医者はこちらの事情をすでに知っていたようで、特に驚いたりもせず手際よく診てくれた。
結果はアリスの言った通りだ。
そしてその間アリスはミックのことを聖人・聖女を管轄する機関の偉い人に報告したそうで、その偉い人は大変驚いていたそうだ。
ミックのような経緯で異界騎士になった人間はロージアン王国の歴史上、いや他国でも今まで確認されていないらしい。どうやら自分はとんでもない存在になってしまったようだ。
改めて、ミックは人間の体に戻る方法を探しながらアリスの元で暮らすことになったが、このことを知る人はアリスと彼女の異界騎士たち、機関の一部の偉い人たちに限定され、表向きは亡くなった聖人の元から移って来たということになったそうだ。
家族や村の人たちには入院していると、それ以外には新しい異界騎士として振る舞わなければならない。考えただけで頭の中が沸騰しそうだ。
「俺はこれから何をしたらいいんだ?」
ミックはアリスを見た。彼女は出会った時は異界騎士たちと同じような黒い外套を着ていたが、今は白いワンピースを着ている。そのワンピースも質の良さそうな綺麗なもので、姿勢よく立っているその姿はまさに良いところのお嬢様といった感じだ。
「今日からは異界騎士や魔物、聖人と聖女について勉強をしてもらおうと思うの」
「勉強?」
「そう」
「俺も魔物と戦うのか」
アリスは首を横に振った。
「それはしなくていいわ。そのために異界騎士になったわけじゃないもの。でも異界騎士の体になって私の元にいる以上、何かあった時のために必要なことは知っておいて欲しいの」
「分かった」と、ミックは素直に頷いた。
「それと、ミックの異界騎士としての名前も決めたの」
「異界騎士としての名前? じゃあ、みんなの名前も偽名なのか?」
「異界から喚んだ騎士たちは元から名前が無いから今の名前が本名みたいなものだけど、元人間の人たちはそうね。特にミックに関しては、あなたのことを知っている人がまだこの世界にいる。その人たちが、ミックが異界騎士になったことを知って混乱しないようにする目的もあるの」
言われてみればそうだ。もしかしたら王都にも村から出て行った人がいるかもしれないし、行き先で出会う可能性もある。その人たちは村が魔物に襲われたことすらまだ知らないだろう。このことを知ったら驚きじゃ済まない。
「で、新しい名前は?」
オーウェンが促し、アリスはミックを見た。
「新しい名前はルイスよ。外ではその名前を名乗ってね」
ルイス。と胸の中で言ってみる。当たり前だが変な感じだ。自分に合わない大きなサイズの服を着ているみたいだ。
どうしてルイスなのだろう。聞こうとしたが、その前にアリスが口を開いた。
「あと、契約もしておきましょう」
「契約って何?」
それにはオーウェンが答えてくれた。
「聖人・聖女と異界騎士を繋ぐものだ。契約を結べば聖人・聖女と異界騎士は互いの居場所が分かるようになるのと、異界騎士は聖人・聖女から魔力を供給してもらえるんだ」
「私と握手をして」
アリスが右手を出したので、ミック改めルイスはその手を握った。彼女の手は思っていたより冷たかった。
アリスが長めに呪文を呟くと、手を握っているところがぼんやりと白く光り、光が収まるとアリスは手を離した。
「これで終わりよ」
「ほんとに?」
自分の手を見るが、特に変わったところは無い。
「この後は図書室に行って。ドルリーが待っているから」
アリスに言われて自由部屋を出て図書室に入ると、中央のテーブルにドルリーとイーサンがいた。テーブルの上には大量の本が積まれている。
「来ましたね。座ってください」
ドルリーに促され、彼の隣に座る。
「これから何するの」
「アリスちゃんから聞いたろ? 勉強だ」
と、イーサンが言った。
一応小さい頃は町にある学校にも行っていたが、ちゃんと勉強をするのはそれ以来だ。ちなみに成績は中の下くらいだった。勉強は得意じゃない。どちらかというと体を動かす方が得意だ。
「まぁ試験があるわけじゃないから、気楽にやってくれ」
「分かった。お願いします」
「ではさっそく、聖人・聖女の成り立ちからいきましょう」
こうしてドルリーによる授業が始まった。
今日は聖人・聖女の成り立ちから、聖人・聖女が持つ力、異界騎士について教えてもらった。
ドルリーの授業は恐ろしく丁寧だった。本の端から端まできっちり読んで、キリの良いところで分からないところがないか聞いてくれる。少し緊張した空気が漂っていたけれど、おかげで頭が冴えていた。
教えてもらったことのほとんどは村で大人から聞いたり、本で読んだりしたことのあるものだったが、表面上しか知らないものが多くて改めて聞くととても勉強になった。
授業が終わる頃にはお昼を過ぎていた。
「ふう」
ルイスはイスの背もたれにだらりともたれかかった。
「どうでしたか?」
ドルリーが本を片付けながら聞く。
「ちょっと疲れたけど、すごく勉強になったよ。ドルリーは教えるのがうまいね」
「新しく入って来た異界騎士に教えるのは私の担当ですから、当然です」
彼は淡々と言ったが、ちょっと自慢げに見えるのは気のせいだろうか。
隣に座っていたイーサンが立ち上がる。
「次は外だが、休憩するか?」
「ううん。このまま行くよ」
疲れたと言っても人間の体の時と比べたら全然だ。体力にはまだまだ余裕がある。そのままイーサンと一緒に裏庭に出た。
クリントのガーデンや温室から離れたところでイーサンに教えてもらうのは、異界騎士の体の使い方だ。近くではオーウェンも見ている。
「んじゃ、やるぞ。そういやミック……じゃない、ルイス。魔法の属性は?」
「火だよ」
「正直、威力はあんまりだったろう?」
ルイスは素直に頷いた。貴族や鍛えられた兵士に比べれば、田舎の平民である自分の魔力など滝と一粒の水滴くらいの差がある。
「試しに向こうに向けて一発撃ってみろ」
ルイスはイーサンが指差した、誰もいない方向に向けて右手を出した。
「『燃えろ!』」
出るのはせいぜい魔物をビビらせられる程度の炎だと思っていたのだが、予想に反して手からはゴウッと爆発するような大きな炎が出た。
「うわっ!」
自分で出した魔法に自分で驚く。その拍子に手がブレてしまって足元の草が燃えてしまったが、それはイーサンが水の魔法で素早く消火してくれた。煙を上げる地面は草が黒く焦げてしまっている。
「ご、ごめんなさい!」
「これくらいなら大丈夫だ。クリントが直してくれる。試してもらった通り、俺たちの魔法の威力は人間より遥かに強い。ルイスなら庭に植えてある木一本くらい簡単に消し炭にできるだろうな。強くなったのは魔法だけじゃなく体力や力なんかもだ。今度はその場で思いっき跳んでみろ」
言われたまま、ルイスは両膝を曲げてかがんだ。そして思いっきり跳び上がった。
きっとめちゃくちゃ跳ぶんだろうと構えていたが、まさか庭に植えられた木より高く跳ぶだなんて思っていなかった。体が一番高いところで一瞬止まり、すぐに落ちていく。
「うわうわうわっ」
手足をバタバタさせながら何とか転ばずに着地した。人間なら間違いなく怪我、いや下手をしたら死んでしまう高さだったが、両足がじんと痺れるだけで終わった。
バタバタしたルイスを見てオーウェンは堪えるような笑みを浮かべていたが、
「すごいね」
ルイスはイーサンを見た。
「だろう? 慣れればこんなこともできる」
するとイーサンはその場から屋敷に向かって走り出した。見ていると、彼は屋敷の窓や壁の出っ張りを掴んだり、足掛かりにしたりしながらポンポンポンと上ってあっと言う間に屋敷の屋根の上に立った。今度はそこから一気に跳び下り、またルイスの元に戻って来た。
「すげぇ」
彼の身のこなしは、子どもの頃に読んだ物語に出て来る英雄のようだった。ルイスは輝く目でイーサンを見つめた。
「人間と違って、俺たちの力の源のほとんどは魔力だ。人間には体力と魔力があって、魔力が無くなっても体力があれば行動できるが、俺たちは魔力に頼るところが大きい。魔力さえあれば走り続けたり、戦い続けたりすることができる。ただし使い過ぎには注意だ。自分の体の中にある魔力も、聖人・聖女から貰える魔力にも限りがあるからな。今日からルイスには、異界騎士の体の使い方の他に魔力のコントロールも覚えてもらう」
彼の力強い声に思わず背筋が伸びる。
「お願いします」
それからイーサンとオーウェンに体の使い方と魔力のコントロールを教えてもらった。
体の使い方に関しては小さな頃から山の中を駆けたり木に上ったりしていたし、体を動かすのが好きなこともあってすぐに慣れた。今ならいくらでも跳んで回ることができる。
ただ、魔力のコントロールに関しては難しくて炎を勢いよく出すことはできるけれど、逆にクリームを絞るみたいに小さく出すというのがなかなか上手くできなかった。
イーサンは水で剣の形を作ることができるけれど、ルイスには両手で抱えて持つくらいの大きな球を作るのが精一杯だ。
ついには集中力が切れて勉強をした時以上に精神的に疲れてしまった。
「少し休むか」
イーサンに言われ、ありがたいとばかりに頷きながらその場に座り込んだ。
「魔力のコントロールは訓練しないとムズイよな。オレも最初は苦労した」
オーウェンの右手からは雷が出てバチバチと音がした。
「そうなの?」
「最初は、って今もこういうのできないだろう?」
イーサンは指先で小さな水の球体を出しながらからかうように言った。
「それはイーサンができ過ぎるんだよ。まぁこれには得意不得意とか、魔法の属性もあるから落ち込むなよ」
「でも初めてにしては筋がいい。若いから吸収するのが早いんだろうな」
イーサンは優しい笑みを浮かべた。
そう言われると素直に嬉しかった。
ルイスも思わず笑みが零れる。何だか学校にいた頃を思い出した。勉強は苦手だったけど、村や町の子たちと今みたいに遊ぶのは楽しかった。いや今は遊んでいるのではなく訓練なのだけど、それでも不思議と苦しいとか逃げたいとかは思わなかった。
「ルイス、なんか楽しそうだな」
オーウェンが顔を覗き込んできた。
「そうかな」
「あぁ。お前って結構前向きよな。俺は異界騎士になった時、何度も死にたいって絶望したぜ」
「うーん。俺は、なってしまったものは仕方ないって思ってる。泣いてても元に戻れるわけじゃないし、だったら進むしかないかなって」
異界騎士になった経緯もあるのかもしれない。
イーサンやオーウェンは無理矢理異界騎士にさせられてしまった。自分は異界騎士になりたいと思っていたわけではないが、なりたいとかなりたくないとかそんなのを吹き飛ばすようなことしか起きなかった。
不安は全く無いわけじゃない。もし元に戻れなかったらとか、今家族はどうしてるかなとか考えるけれど、すぐに考えても仕方ない。と自分の中で結論が出るのだ。まぁこれは生まれ持った性格もあるのかもしれないけれど。
オーウェンは、ぐしゃぐしゃと両手でルイスの頭を撫でた。
「うわっ、ちょっ」
「いいねその前向きさ。嫌いじゃない!」
「だな。ルイスのその前向きなところはルイス自身だけじゃなく、周りの人たちの背中も押してくれるだろうな」
と、イーサンも同意した。
「続きやるか?」
「うん! お願いします」
ルイスは勢いよく立ち上がった。
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