第3話 掴む手
ミックは隣村の近くで見つけた少女と黒い外套を着た人たちを村へ案内した。
自分と歳の変わらなさそうな少女と、真っ黄色の髪や背中に翼が生えたあの人たちは、話で聞いたことがある、魔物と戦う聖女と異界騎士だと思ったし、それは間違っていないようだった。
ミックは村の手前で立ち止まった。
そこには村を出た時と変わらず魔物がうじゃうじゃいて、家や畑の作物を踏み荒らしていた。
一番近くにいた球みたいな頭を三つ持つ魔物がミックを見つけて襲い掛かって来る。思わず庇うように腕を出したが、剣を持った異界騎士が魔物を頭から真っ二つに斬った。
魔物は金切り声を上げ、黒い塵になって消える。
「ミック、大丈夫ですか?」
少女に聞かれて、頷いた。
「他の村の人たちはどこにいるんですか?」
「北にある洞窟に避難してる」
「分かりました。ドルリー!」
少女が空を見上げて手を振ると、翼の生えた人が下りて来た。
「門は見つけた?」
「はい。村の東、森の中にある開けた草原に」
「分かった。オーウェンとアランとジェームズは門、マギーとドルリーはここをお願い。イーサンも合流したら村の魔物討伐で、終わったら門の方に回って」
「了解」「分かった」「かしこまりました」と異界騎士たちがそれぞれ返事をして動き出す。少女の指示を出すその手際のよさに、ミックは魔物がいることも忘れて感心してしまっていた。
「クリントは私と洞窟に行こう。ミック、案内してくれる?」
「わ、分かった」
目の前ではすでに魔物たちが氷漬けになっていた。氷の塊が次々に砕け、魔物たちが消えていく。
ミックは村の中を突っ切った。
魔物たちが次々襲い掛かって来るが、ミックが恐怖に立ち止まる前に異界騎士たちや時にはアリスが光の魔法で作った矢を撃って倒していく。
おかげで一度も立ち止まることなく村を抜けて、無事洞窟まで戻って来た。洞窟の付近に魔物はいない。
「みんな! 助けを呼んで来たよ!」
ミックが洞窟に入ると、皆が歓声を上げて一斉にこっちを見た。
「ミック! ……?」
何故だろう、全員こっちを見て驚いた顔をしている。
すると母が駆け寄って来た。
「ミック、その髪に、目! どうしたんだい」
「え、髪と目?」
髪と目が何だと言うのだろう。髪は短くて自分じゃ見えないし、目も鏡が無いのでどうなっているのか分からない。
「やはり気付いていないんですね」
少女が顔を覗き込んでくる。
「貴方は?」
村人の質問に少女は姿勢を正した。
「申し遅れました。私はアリス・サラフィエル。こちらは私の異界騎士のクリントです。隣の村で魔物討伐にあたっていたところを彼が来て、この村の救助に来ました。今、私の騎士たちが魔物と戦っています。すぐに終わりますので安心してください」
少女、アリスの言葉に村人たちは安心したように溜息を吐いたり、胸を撫で下ろしたり、祈るように組んでいた手を解いた。緊張していた洞窟内の空気が緩むのを感じる。
「それで、ミックですが、彼はやはり元からこの髪色と目の色ではないんですね」
アリスは母に聞いた。
「えぇ、助けを呼びに洞窟を出るまで髪も目も黒色でした」
ミックはその言葉に、自分の髪を掴んで思いっきり引っ張った。
ブチブチと音がして髪が抜ける。見ると抜けた自分の髪は真っ赤だった。
「何だ、これ」
思わず髪を地面に捨て手を払った。ひょっとすると目も同じ色に……。
「ミック、洞窟を出てから私たちと出会うまで何かありました?」
「え、えっと……」
ミックは洞窟を出てからのことを思い返した。
「父さんと洞窟を出て、旧道を通って崖道に出たんだ。そしたら魔物が襲ってきて、父さんが……」
言葉が詰まった。絶対に助けを呼ばなければいけないという強い気持ちで忘れられていたけれど、あの瞬間を思い出すと頭の中が氷水に浸かったみたいに冷たくなって、目の周りがじわっと熱くなった。
「お父さんは……?」
母が潤んだ目でミックを見つめる。父がこの場にいないので、母はもう分かっているのかもしれない。それでも、黙っていることはできない。
「父さんは……その魔物に、食べられてしまって」
母は力が抜けたようにずるずると座り込むと、両手で顔を覆った。押し殺したような泣き声が洞窟内に響く。
後ろにいたエミリアもポロポロ涙を零し、クリフは今の言葉を上手く受け入れられていないのだろう。不安そうな顔のまま泣き崩れる母に駆け寄って二人で抱き合い、堪らずエミリアも母を抱きしめた。
他の村人たちも悲痛な面持ちだった。
「その後は?」
アリスに静かに促され、ミックは続けた。
「そしたら足元が崩れて、俺は崖から落ちたはずなんだけど、気が付いたら崖の上に戻ってたんだ。それで走って森を抜けて、アリスたちを見つけたんだ」
自分の髪と目の色が変わるような出来事があったとしたらそこだろうが、その時のことはよく覚えていない。
アリスは唇を噛んで首を捻った。
「聖女様、これは一体、どういうことなんでしょうか」
村人が聞いたが、アリスは小さく首を横に振った。
「彼のような事例は今まで見たことがありません。王都に戻って調べたら何か分かるのかもしれませんが」
そう言いながらアリスはちらりとミックを見た。その青い目は針のように鋭くて、何かを探っているようにミックには見えた。
「アーリス」
すると突然、声と共にアリスの足元の影から人、いや彼女の異界騎士がにゅーっと生えてきた。
村人たちが驚いた声を上げる。
「終わったよ」
その一番背の高い異界騎士は、後ろからアリスに抱き着いた。いや、身長差があるので抱き着いたというよりは抱え込んだように見える。
「ありがとう。でもジェームズ、みなさんが驚くから急に出てきたら駄目でしょう。あと人前でそういうことはしません。帰ってからね」
「はい。ごめんなさい」
ジェームズと呼ばれた異界騎士は、親に怒られた小さな子どものようにしょぼんとした声でアリスからそろそろと離れる。
村人たちは何だこいつらと言わんばかりの視線を向けたが、ジェームズとアリスは全く気にしていないようだ。
そして、他に二人の異界騎士が洞窟にやって来た。
「門は破壊し、魔物も全て倒し終わりました。ドルリーが応援を呼びに行き、イーサンとオーウェンが村の消火活動を行っています」
女性の声をした異界騎士がアリスに報告した。
「ありがとう。じゃあ働き詰めで悪いけど、クリントとマギーとアランは付近の見回りと生存者がいないか確認をお願い」
クリントと女性の異界騎士、マギーは「かしこまりました」と返事をしたが、もう一人のアランは無言のままくるりとこちらに背を向けてさっさと歩いて行った。
「魔物の討伐は完了しましたが、ご迷惑でなければ町から応援が来るまでこのままお手伝いをさせていただこうと思います」
「迷惑だなんてとんでもない。助かるよ」
「ありがとうございます」「聖女様に感謝いたします」と村人たちが礼を伝える。
「とんでもないことです。聖女として当然の務めです」
「俺たちも村へ戻ろう」
村人たちが次々立ち上がって洞窟を出て行く。何人もの人が母に声を掛けたが、母は座ったまま俯いて首を横に振るだけだった。
母は中々立ち上がれなかった。無理もない。
母を一人にはしておけないと、母の友人が二人残ってくれて、他の村人は全員村に戻った。
洞窟の中には母とその友人二人、エミリア、クリフ、ミックとアリスだけになった。
「お母様、大丈夫ですか」
アリスは母の前に跪いた。
母は俯いたまま、また首を横に振った。
「行かせるんじゃなかったよ……」
母は今にも消え入りそうな声で言った。洞窟内の空気が押し潰されそうな程重くなる。クリフはエミリアにしがみつくように抱き着いて母を見つめていた。エミリアがクリフの背中をさする。
ミックは母の前にしゃがんだ。母が顔を上げ、真っ赤になった目がミックを見つめる。
「父さんがいたおかげで、俺が助けを呼びに行けたんだ。父さんは村の英雄だ。それに、まだ俺がいるだろう?」
ミックは母を励まそうとできるだけ笑顔で、明るい声で話した。
「だから、行こう」
ミックは母の両手を取ると立ち上がらせた。ミックだって悲しかった。こんな状況じゃなかったら泣いていた。
でもどれだけ悲しくても、つらくても、進むしかないのだ。
母は力なく何度も頷いた。そして友人とエミリア、クリフに支えられながら洞窟を出た。
「私たちも行きましょか」
アリスも歩き出そうとしたが、ミックは呼び止めた。
「どうしました?」
アリスは首を傾げた。
「アリスはさ、俺の髪と目の色がこうなった理由、本当は分かってるんじゃないのか。見たことがないって言ってたけど、分からないとは言ってないだろう」
その後ミックに向けた探るような目も、そう思わせた。
「よく聞いていましたね」
アリスは微笑んだ。
「正しくは、あなたがそうなってしまった経緯や理由というより、あなたがなってしまったものを分かっています」
妙にもったいぶる言い方に少しイラっとした。
「教えて欲しい」
アリスはゆっくりと頷いた。
「ミック、貴方は『異界騎士』になっています」
「…………は?」
理解、できなかった。
「俺が、異界騎士に? なんで。髪と目の色以外は何も変わっていない」
「その髪と目の色が、異界騎士の特徴そのものなんです。それに気付いていましたか? あなたは村までの道のりを走っていましたが、私の異界騎士たちと同じ速度でずっと走り続けていました。普通の人間ならそんなことはできないんです。他にも試してみれば、貴方が人間でなくなってしまったことは分かるでしょう」
「そんな、人間が異界騎士になるなんて……異界騎士は魔物たちと同じく別の世界から喚ぶものだって聞いた。人間がなるなんて聞いたことない!」
ミックは声を荒げたが、アリスは表情をピクリとも動かさずミックを見つめていた。その揺らぎのない、真っ直ぐな青い目を見ていると、昂っていた気持ちがすーっと鎮まっていく。
「そうですね。多くの人々が知るのはそうでしょう。でも、人間が異界騎士になる方法はあります」
「え」
頭が追い付かない。でもアリスは続ける。
「大がかりな儀式を経て人間は異界騎士になることができますが、その儀式は二百年以上前に禁止されました。儀式に関する記録も全て抹消され、人間が異界騎士になれるということは一部の人々を除いて知らされていません」
「じゃあ、なんでアリスは知っているんだ」
「それは、追々に。それで、聞いたところによるとあなたは儀式を経ずに異界騎士になっています。おそらく崖から落ちた時に何かあったのでしょうが、それは私にも分かりません」
彼女が言い終わると、洞窟の中は不気味なくらい静かになった。周りは知っている景色なのに、景色が同じだけの別の世界に来てしまったみたいだった。
「ミック、あなたはどうしたいですか?」
「どうしたいって、このままじゃ駄目なのか」
「駄目ではないですが、先程も言ったように貴方の体は人間のものではなくなりました。異界騎士になった以上、まず貴方は歳を取らない。そして多少のことでは死ななくなる。そのままいれば貴方は何百年と永遠に生き続けることになります」
何百年も。とても想像できないことだが、それが絶望的なことであるのは肌で感じた。
「そん、な……元に戻れないのか」
アリスは頷いた。
「今のところ、元人間の異界騎士が人間に戻れたという記録はありません」
「じゃあどうしたらいいんだよッ!」
ミックは地面を思いっきり踏みつけた。衝撃が返ってきて右足がじんと痛む。その痛みに自分が情けなく感じた。どうにもならない、どこにぶつけたらいいのか分からない感情が胸の中でぐるぐる回る。
「元に、戻りたいよ……」
爪が食い込み、皮膚を破くくらい拳を握り締めた。
「一つ、言えるとするならば」
アリスが冷静な声が響く。
「このまま村にいて、人間が異界騎士になったと他の人々が知れば大きな混乱が起き、あなたやあなたの家族、村の人々がそこに巻き込まれることになります。それを避けるために、私のところへ来ませんか。そう簡単にいかないかもしれませんが、私と一緒に元に戻る方法を探しましょう」
そう言って、アリスは右手を差し出した。ミックはその白くて小さくて、華奢な手を見つめた。
まだ何も理解できていないし、納得もできていない。頭の中は色んな物を片っ端から鍋の中に入れてかき混ぜたみたいにぐちゃぐちゃだったけれど、この手を取った方が家族や村にとっていいのだろう。
「……分かった。行くよ」
ミックはその手を握った。
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