五十話 それは言い訳あるいは懺悔

 突然だが、彼女の家から俺の家までは意外と遠い。俺の通学路には電車を乗るルートがあり、紗奈さんの家は電車に乗る前に寄っているので彼女と別れた今から俺の家へ向かう。


 といっても学校の最寄り駅から三駅分は歩いているので結構な距離だ、しかし俺達にはそんな時間も惜しかった。

 できるだけ引き伸ばして、ずっと一緒にいたいのだという気持ちからそうしている。電車賃も浮くしね。


 話を戻すと、今俺は自分の家の最寄り駅に向かっている。帰宅ラッシュの満員電車の中ガタゴトと電車に揺られ、携帯も触らずボケっとしている俺の視界に映ったのはとある女子生徒の背中。


 それだけならば気にならなかったのだが、その見覚えのある背中が妙に縮こまっていてなんとなく嫌な予感がした。


 彼女との距離は人一人分くらい。俺との間にいるのは若い女性であるが…その斜め前に、随分と様子のおかしいおっさんがいる。


 ……あぁ、そういうことか。


 事態を察した俺はその女子生徒とおっさん目掛けて一歩踏み出した。

 満員電車とはいえ多少動くだけなら問題はないくらいだった。


 その場所に立つとそのおっさんはやはり痴漢だったらしく女子生徒の尻を撫で回していた。キモッ!

 見て見ぬフリはしたくないとその薄汚い手を掴もうと手を伸ばす。しかしその手を掴むことは叶わなかった。


「それはダメでしょ、キミ」


 それを阻んだのは先程俺の前にいた若い女性であり、どうやら勘違いをしているようだった。

 彼女の目は鋭く俺を射抜いており、掴む手は強い。

 そんな俺達には気が付いた痴漢は焦ったように俺の胸ぐらを掴んできた。


「貴様!痴漢とは不埒なヤツだ!」


 俺を差し出して自分の罪を有耶無耶にしたいのだろう、ヤツはそう怒鳴る。

 それを聞いた周りの連中もヒソヒソと俺に嫌な視線を向けてきており、非常に気分が悪い。

 こんな冤罪に引っかかるなどなんともバカらしいものだ。


「あのっ違います、その人じゃないです…」


 被害者の女子生徒はおずおずとそう言った。

 その顔を見てさっきの見覚えの正体を知ることができた。


「え?勘違い?」


「いっいや!俺は見ていたぞ!確かにコイツはキミに触っていた!」


 俺の手を掴みながら目をぱちくりとさせる女性と、俺の胸ぐらを引っ張ってそう怒鳴るおっさん。ぐいぐいすんのやめろクソジジイ。


「いえ、さっきウチの後ろにいたのはアナタでした」


 彼女……麻緒まおはそのおっさんを見つめてそう言い切った。



 駅員に捕まり駅員室へと連れていかれるおっさんの背中を見る。

 いい歳なのになんとも情けない背中なのだと、少し悲しい気持ちになった。


「本当にごめんなさい!冤罪だなんてなんてこと…」


「まぁまぁ、ちゃんと犯人が捕まった訳ですし」


 呑気な話だが、容疑が晴れたので別にそこまで気にしなくても良いと思う。

 先程俺を犯人だと誤解していた女性は顔を真っ青にしながら頭を下げていた。

 とはいえ俺も逆の立場なら同じような事をしていただろう、それでも無事に終わったので心に余裕があるわけだしせっかくならその心理を利用して欲しいものだ。


 中学の時に比べればこれくらい大したことじゃない。ちゃんと解決しているだけ全然マシなのだ。


 その女性はひとしきり謝ったあと、俺はいたたまれなくなって電車に乗った。まだ最寄り駅までは途中なのだ。


たつき、助けてくれてありがとう」


「あぁ」


 そう言って来たのは当然ながら今回の被害者であった麻緒である。過去にあんなことはあったものの今回は話が別だった。


 最寄り駅に到着し二人で駅を出る。

 しれっと俺の隣を歩く彼女に睨むとも言えない視線を向けるが別に気付いた様子もなかった。


「樹には助けれてばっかだね。あの時の先輩の件もそうだけど、まるでヒーローみたい」


「そうか」


 特にこちらを見る訳でも無く彼女はそう語る。

 俺はと言うと気の利いた返事をするわけでもなく、ただ返事をするのみであった。


「…ウチはあの時、樹が大好きだったのに見捨てたよね。みんなからいじめられてたのにさ」


 いきなり彼女は何かを語り出すが、俺にとって不愉快な内容であると思ったので特に返事をすることはなかった。それでも言葉を続けるということは彼女としての聞いて欲しいものがあるのだろう。それは独り言という体だった。

 彼女は独り言を続ける。


「あの時、もし樹への矛先がウチにも向かったらって怯えてたんだ。その前に樹の手を払ったのだって、自分のしたことに後ろめたさを感じてたから」


 あぁ、あの時俺の誘いを断って他の男とデート仲良く遊んでいた時のことか。

 決定的に俺たちの心が離れた瞬間。


「自分が悪いことを分かってて、だから樹を見れなくてあんなことして…それが原因でいじめに繋がって、ウチはそれに怯えて……どこまでも自分がかわいくて大事な人に寄り添えなかった。だから、樹はウチには勿体なかったんだよ、あまりにも釣り合わない」


 それは彼女なりの懺悔なのだろう、周りに怯えて俺と別れたことへの。

 それなら俺は、考えすぎていたということになる。麻緒は俺のことが憎かったのでなく自分の行いに筋を通すだけの強さがなかっただけだ。

 まぁそんなことは許す理由にならないが。


「こんなこと今更話したってどうってわけじゃないけどね、ただ話したかっただけ。ごめん……じゃあ、ウチはここだから」


 独り言を聞いていたら気付けば彼女の家の前に着いていた。そういえばここら辺だったか。

 俺の返事を求めることなく彼女は家に向かう。


「麻緒」


「っ…!」


 名前を呼ばれた麻緒が驚いたように俺を見る。


「……じゃあな」


「っ……うん、じゃあね!」


 いくら嫌な過去があるとはいえ流石に挨拶くらいはと思ってそう言うと彼女は嬉しそうに手を振った。

 俺は前を向いて家を目指す。さっさと帰ろう。

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