四十四話 例え善意だとしても
彼女に連絡をしてそちらに行くと、すぐに家に迎え入れてくれた。
「はい、お茶で良かったかな?」
「ありがと」
普通ならばもう夕飯の時間だろうに、彼女は俺を笑顔で迎え入れてくれ、もてなしてくれた。
ちなみに親御さんは未だ帰ってきておらず、仕事中とのこと。忙しいみたい。
リビングのテーブルに向かい合うようにして座り、冷たいお茶を一口、二口と飲み彼女に先程のことを話す。紗奈さんは俺の目を真っ直ぐに見つめて、真剣に耳を傾けてくれた。
彼女はただ俺たちの決めたことを否定せず、それを聞いてくれた。
「ごめんね、色々と困らせちゃって。本当ならなにもしない方が良かったんだろうけど……」
彼女なりに色々と悩んでいた事はあるのだろう。自分が口を出して良かったのか、それともダメだったのか……その答えは俺にも、誰にも分からない。
ただ決めるのは当事者だけだ。
「まぁ、燈璃についてはそっとしてあげるべきだったとは思うよ。
「うん…」
そこからポツポツと語られたソレに俺は腰を抜かしそうになった。予想を遥かに超えていた。
燈璃が俺に抱いて欲しいとは思っていたものの、それに背中を押したのが他ならぬ紗奈さんだったらしい。何してんねん。
「ホントにごめんね、色々と引っ掻き回すようなことしちゃった」
「……俺は、ちょっと怒ってる」
「っ…うん、ごめんなさい」
しおらしくしながら謝罪する彼女は可愛らしいが、そんなことは関係ない。
善意でも彼女のした事は褒められたことじゃないし、結構残酷なことだと思う。
「燈璃は自分で決めて、そっと自分の中に気持ちを隠してた……それは分かるよね?叶わない想いって分かってるからこそ、求めようとはしなかったんだ」
その言葉に紗奈さんは首肯で返した。
そうでなければとっくに告白してきているはずだ。その機会はいくらでもあった。
それでもしなかったということは、並々ならぬ想いが彼女の中にあったハズだ。そこには悲しみだってあったろう。
「燈璃は辛いという気持ちを押し殺して、婚約者だけじゃなくて俺のことまで考えてくれたんだ。俺まで叶わない恋をして欲しくないと願って」
続けた俺の言葉に繰り返し首肯で返す紗奈さん。その表情は、段々と
燈璃の言った理由から、忖度できることは沢山ある。その真意は分からないまでも、彼女が自分で想いを告げないでいたのならそっとしておくことが、俺たちにできたことだったんだ。
例えば彼女の好意に俺が応えたとして、もし俺が彼女を想っていても絶対に報われない。燈璃はそれを良しとしなかった……ということと思う。
紗奈さんのした事は善意であっても、余計なお世話に他ならない。
それは燈璃の覚悟を
「燈璃の中にあった想いは、俺たちが簡単に手を出していいものじゃ…いや、手を出しちゃいけないものだったんだ。燈璃が望んだのならともかく、紗奈さんからでも俺からでも…そんな提案はしちゃいけなかった」
だんだん紗奈さんの瞳が潤いを帯びてくる。
これ以上言っては彼女を傷付けるかもしれない。でも、知っておいて欲しいことも、思ったこともある。
燈璃の気持ちを大切にしたいからこそ、俺はどう思われても正直に自分の考え…思いを伝えたかった。
「紗奈さんが燈璃にしたソレは、燈璃の覚悟を弄んでいることと変わらないよ」
「っ……!」
酷い物言いである事は百も承知だ。紗奈さんの心にそんな大それた考えが無いことだって……
それでも、もう繰り返して欲しくなかったんだ。自分の大切な人だからこそ、そんなトラブルを生むようなことは。
「……紗奈さんが燈璃のことを真剣に考えてくれてるのは分かってる。でもね?だからこそ そっとしておくっていうのも大事だと思うんだ。それこそ心を鬼にして」
「うん…」
返事をする彼女の声はひどく震えてる。そんな声を聞けば俺だって胸が痛くなる。
分かってるんだ。紗奈さんにあるのは悪意でも偽善でもなく、本当に大切な人を思う気持ちだってこと。
それでも、だからといって何をしても許されるわけじゃない。相手が燈璃だから角が立たなかっただけなんだ、次は無いかもしれない。
「……だからもう、" あんなこと " はしないでね」
「はいっ…ごめんなさい……っ!」
紗奈さんは涙を流しながらそう言った。
人間関係というのは難しいものだ、それこそ色恋沙汰ともなれば特に。
曖昧な気持ちで事を進めれば、どこかで大きなトラブルに繋がることだってある。
相手が悪意を持っていることだってあるし、誰もが紗奈さんの行動を良く捉えるとも限らない。
もしかしたら彼女の提案を嫌味として捉えた人が、激怒して取り返しのつかないこと…それこそ傷害沙汰や事件になることだって否定できない。
もっと言えば、相手が誰かは知らないけど婚約者だっているんだ。婚前だというのに不倫みたいなことをさせるのも良くないことだ。
燈璃にとってはお互い気持ちがないといっても、もし相手が知ったら傷付くかもしれないでしょ?
人の真意なんて誰も分からないんだから。
それに燈璃は、未来に訪れる自分の寂しさを受け入れると既に覚悟していたんだ。
それはある種の不可侵領域であり、どれだけ心苦しくても 見ざる としなければいけないものだった。
目の前に期待という餌を吊るすだけの行為は、彼女を侮辱することと同義。絶対にしてはならない事でもあった。ただそれが、善意であっただけだ。
それを紗奈さんには知って欲しかった。
俺はそっと席を立ち、涙を流す彼女の隣に来た。
「燈璃のことを考えてくれてありがとう。燈璃には少しでも喜んで欲しかったんだよね?」
「うんっ……うん……」
ポロポロと零れる涙をハンカチで拭いながら、彼女の頭を撫でる。
「ただ今回は、ちょっと間違えちゃったね。言いづらいことだったのかもしれないけど、今度はちゃんと相談して欲しいな」
「ごめんなさいぃ…たつきくん……」
自分のした事を後悔して泣いている彼女を見ていると申し訳ない気持ちになってくるが、これは俺だけの問題でも、紗奈さんだけの問題でもないんだ。
これはいずれ起こりうるかもしれないトラブルを防ぐためのもの。
他人の気持ちを尊重することは大事だけど、やり方を間違えてならない。
俺はその事を肝に銘じて、そっと彼女を抱きしめるのだった。
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