第70話 最終話:野に咲くお花のように(1)
早いもので、アルヴァロとブルーベルが結婚式を挙げてから、半年が経った。
銀の仮面も外れ、生来の美しさが戻ったブルーベル・ヴィエント公爵夫人は、今ではアルタイス精霊王国で、その存在を知らない者はいないほどだ。
領民にも慕われ、美しさもそうだが、何よりもその精霊達からの愛されぶりで、精霊に慣れているアルタイスの人々をも驚かせ続けているのだった。
ブルーベルに闇魔法の呪術をかけ、彼女の美しさを奪おうとした、ドゥセテラの第一王女フィリス・ノワールは、ドゥセテラからの要望もあり、故国へと送還されることになった。
嫁ぎ先だったカラスカス帝国だが、フィリスはすでに皇帝アルセスから離縁されており、帝都では、愛妾スティラが正式に皇后の座に就いていた。
* * *
フィリスは、窓を板でふさがれた黒の馬車に乗せられ、ドゥセテラ王国へと向かっている。
窓を塞いでいても、どこからか冷たい外気が忍び込み、フィリスの体を冷やしていく。
車輪の音がガラガラと響き、馬車の揺れも強い。
決して、快適な旅ではなかった。
フィリスの身柄を巡っての、アルタイス精霊王国とドゥセテラ王国の駆け引きが、ようやく決着したのだった。
アルタイスはフィリスの身柄を引き渡す代わりに、アルタイスの魔法騎士団長であり、王弟殿下の配偶者を傷つけようとした行為の賠償金と、ドゥセテラでの呪術を行使した傷害行為に対し、相当の処罰を求めた。
飾りのない灰色のドレスを着たフィリスは、顔の右半分に大きな包帯を巻いており、右目はすっかりと隠れてしまっていた。
長かった髪も、肩の長さで、ばっさりと切り落とされている。
フィリスは馬車の中でぐったりと背もたれに体を預けていた。
馬車が揺れると、フィリスの体もまた、グラグラと揺れる。
彼女の腕は、拘束されていはいなかったが、両手首に、魔力封じの腕輪を付けられていた。
フィリスは左目を開け、変わり映えのしない馬車の中の様子に、再び目を閉じる————。
フィリスは、アルヴァロに呪いを返され、顔に大きな傷を受けた。
アルタイスの医師、魔法治療士による治療を受け、現在は傷はふさがっているが、呪術が働いている限り、傷跡が癒えることはない。
「ドゥセテラに、帰ったら」
フィリスは乾いた唇を開き、小さな声で呟く。
「きっと……この呪術を、解いてみせる……たとえ、魔力が足りなくても、絶対、やり遂げてみせる……」
馬車が、ガラガラ、とやかましい音を立てながら進んでいく。
「この呪術を……この呪術を……この……」
うわ言のように繰り返していた、その時だった。
フィリスを載せた馬車が、突然停止した。
フィリスは目を開け、体を起こして、窓を見つめる。
もっとも窓は外からふさがれていて、外を見ることはできない。
コツコツ、とドアを叩く音がした。
フィリスが窓を凝視していると、窓をふさいでいた板が外から外され、外気が入り込んできた。
そして————。
「ブルーベル!?」
フィリスは驚きのあまり、窓枠をつかんで、顔を外に出した。
そこには確かに、純白のユニコーンの背にまたがったブルーベルの姿があったのだ。
フィリスの記憶にあるままの、美しい容貌。
青とも紫ともつかない、不思議な色の瞳。
長い銀色の髪が風になびいていた。
ブルーベルの隣には、どこか見覚えのある、長い白髪をした男が、大きな馬に乗って、無表情にフィリスを見つめていた。
彼が板を外したらしい。
男の、茶色い目と、黒の眼帯をした左の目に、フィリスの意識が動いた。
「……お前は……! あの時の、使者」
フィリスの顔に急激に生気が戻り、顔が怒りで赤くなっていく。
しかし、男は無表情のまま回れ右をすると、ブルーベルだけをそこに残して、自分はかなり後方に下がって行った。
ブルーベルが馬車に近づいて、フィリスに何かを差し出す。
「フィリスお姉様、これを」
ブルーベルはフィリスにネックレスを差し出した。
銀の鎖に、先端には涙の形をした、青紫色の石が付けられていた。
フィリスは呆然として、ブルーベルとネックレスを交互に見つめる。
「これを差し上げます。この石には、わたしの魔力を込めています。ドゥセテラに帰って、呪術を解く時に、使ってください」
「な……っ!」
フィリスの顔が青ざめた。
「うるさいわね!! 余計なお世話よ、あっちへ行って! あんたなんか、顔も見たくないっ……」
ブルーベルは構わずに、フィリスの頭の上から、ネックレスを通した。
「フィリスお姉様」
「うるさい、うるさいっ!! 黙れっ……!」
「いいえ、わたしは黙りません!」
ブルーベルは叫んだ。
「いいですか。わたしは、あなたに言いたいことを言うまでは、黙りません。あなたも今まで、わたしに言いたいことを言ってきたでしょう?」
ブルーベルとフィリスは睨み合った。
「最初に言っておくけど、そのネックレスはもう外れないわ。この涙の形をした石はわたしの涙。わたしの痛み。石にはわたしの魔力を込めました。呪術を解くのに使ってください。それ以外には使えないようになっている」
ブルーベルは淡々と言った。
「でも、言っておきます。わたしは、あなたのしたことを、許してはいない。そして、もしまた、わたしとわたしの愛するものに害をなすなら、わたしは戦う。決して、黙ってはいないわ。そして、あなたには、絶対負けない」
ブルーベルはフィリスの黒い目を、怖れることなく見つめた。
「忘れないで」
ビヨークが御者に合図をした。
馬車は再び、動き出す。
「う……」
フィリスの目から涙がこぼれ落ち、そのまま彼女は硬い座席の上に崩れ落ちた。
ブルーベルはフィリスを罵りもしなければ、謝罪も求めなかった。
ブルーベルが求めたのは、ただひとつだけ。
『いいですか。わたしは、あなたに言いたいことを言うまでは、黙りません』
自分も言いたいことを、言う。
そして、二度と、沈黙はしない。
<自分は、あなたと対等な存在だ>
フィリスは、ブルーベルからのメッセージを、確かに受け取った。
ブルーベルはユニコーンと共に、遠ざかる馬車を、静かに見守り続けた。
その姿が地平線の向こうに消えるまで。
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